頼信、頼義父子は武官で、藤原道兼や道長、頼通につかえました。作品中の頼信 (河内前司) は下級 (五位~四位) ではあれ貴族なので、 「あやしき」 を庶民をさしていう場合の 「身分が低い、賤しい」 の意味にとるのは適切ではありません。かれらがとくに 「兵 (つはもの) 」 とよばれているのは、河内国に本拠をおいて武士団を形成していたからです。
「怪しき者共の心ばえなりかし」 は、「彼らの心ばえはまことに不思議である」( 『新潮日本古典集成』 )、「常人の行動半径では律せられぬ」 (岩波書店 『日本古典文学大系』 ) といった意味でしょう。
「今昔物語集」 の作者 (たち) はわかっていません。ただし、「歌学を含む貴族官人社会の常識を逸し、あるいは、仏教、ないし仏教史の知識を欠くところが散見」 するそうです(『新潮 集成』)。 「貴族の武士観が滲み出ている」 と断ずるのは、根拠にとぼしいように思います。
巻23-第14 の 「左衛門尉平致経、明尊僧正を導く語」 では、致経 (むねつね) の郎等がやはり無言で統率のとれた行動をとります。僧正は 「あさましく」 思って (不思議でたまらなくて) 一部始終を藤原頼通に報告しますが、頼通は驚きもしませんでした。
はっきりいえるのは、あきらかに武士ではない 「今昔物語集」 の制作者が、貴族をふくむ当時の人びととともに、武士特有の行動 (心構え) に驚嘆しているということです。
> 「こういうもの」 とはどのようなもののことをさしているのでしょうか??
「兵の心ばへ」 (武士の心構え) には、非常事態にことばをかわすことなくおたがいの存在を確かめることすらなく相手を信頼して一致した行動がとれること、一矢で盗人を射落とす手練、成功してもはしゃいだり余計なおしゃべりをしないこと、ことばを介さずに情愛をつたえることなどの行動が、すべてふくまれると思います。
No.1 さんの回答が出ているので、質問者さんが混乱しそうな基本事項について。
「あやし」 は、 「不思議なものに対する畏敬や驚き」 が原義です (辞書でご確認ください)。
ちなみに 『岩波 大系』 の本文は、 「恠キ者共心バヘ也カシ」 とあります。 「恠キ」 は、 「怪しき」 と同じです。
補足
ありがとうございます。とてもわかりやすかったです。 ひとつだけ聞かせてください、 卑しい者達の心の有り様であるようだ。武士達の性格はこの様に素晴らしいものであったようだ とありますが、身分の低い人たちのこころの有様であるようだ。このようなこころの有様を身分の低い武士たちは見習うべきだ って感じですかね?