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何を見るともなく見る
漫画「バガボンド」で沢庵が武蔵に言った言葉 『一枚の葉にとらわれては木は見えん 一本の木にとらわれては 森は見えん どこにも心を留めず 見るともなく全体を見る それがどうやら「見る」ということのようだ。』 このフレーズが非常に好きなんですが、このフレーズを簡単に言い表した、ことわざみたいなのってないですか? ネガティブな意味なら『木を見て森を見ず』って言葉がありますが、いい意味で使われている言葉を教えていただきたいです。
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さあてまあ、坊様が使う語ですけど無執無着(の観法)とでも言いますかね。ちょっと分かりにくい字に代えて無住無著でもいいかな。抹香くさいのが厭ならゲシュタルト的把握とか。 武蔵本人の考えはしかしまた別のようで、かような全体観を作る拡散的感覚を「観の目」と呼び、それとは逆に部分(とは要するに敵の剣尖)に焦点を合わせる求心的感覚を「見の目」と称して、両者を並列して用いることが肝要と説いていたように記憶します。しかも「見の目つよく観の目よわく」と註釈していたのではなかったかしら。 つまり、森も見えてなくちゃいかんにしても、やっぱし目の前の葉っぱをよく見なくちゃいかんよな、ってことですな武蔵が言うのは。このあたりが実践の人らしさを感じさせるというか、机上の空論という謗りをあらかじめ防除するようなレトリックになっているというか。 すべてをいきなり見渡すことなんかできるものかよ、と武蔵は仏法者の頭でっかちを嗤っているのかもしれません。五輪書が手元にないのでうろおぼえのまま綴りました。あしからず。
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- sssinyaaa
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「沢庵」の言った言葉を「簡単に」は「言い表」せないとは思いますが、 華厳経の、「一即多(あるいは一即一切)」という世界観に酷似していますね(禅の世界にも通じていると言われますが、専門家でもないので良く解りません)。 微塵(みじん)の中に全世界が宿り、刹那(せつな)に永遠が映し出されるという、『一即一切』(いっそくいっさい)・・・一つはすなわち一切(全体)、 とか 『一切即一』(いっさいそくいつ)・・・一切(全体)はすなわち一つ、 という言葉はどうでしょう? 「微塵の・・・永遠が映し出される」という言葉がなんとなく好きなので回答させていただきました。 ちょっと抹香くさかったですか?
お礼
ご解答ありがとうございます。 『一即一切』 難しい言葉ですが、いい言葉ですね。でも解釈が難しそうですね。もっとしっくりくる意味があるといいんですが。。わがまま言ってすみません。
お礼
ご解答ありがとうございます。 武蔵は二つの見方を持ってたんですね。非常に勉強になりました。 確かに全体を見るだけでは見えてると言われればそうですよね。でもやっぱり僕は沢庵の言葉の方が好きですね。