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万人に共通する人生の目的

万人に共通する人生の目的ってあるのでしょうか?

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  • les-min
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回答No.5

こんばんは。。  外野の横槍みたいになりそうですが・・・お邪魔します。  人は思考能力を獲得するかわりに、普遍的な生きる目的を失ったのかな、と思っています。人間以外の生き物は、生きる目的に疑問を抱くとは思えないですし、人間にしても「よりよく生きようと望み、各人の思考に従いその望みを具現化しようと志向し行動する」という感じの漠然とした「共通する人生の目的」を規定することはできるかなとは思うのですが・・・  ただ、個人的には、人間に普遍的な生きる目的があるなら、それは重荷であり苦しみでしかないのではないかと思っています。  自分は、そういうものはないと思いますし、人が生きる普遍的な目的・意味・価値がないからこそ、人は人それぞれに生きがいや、生きる意味や、目的を、そしてその価値を(ある意味勝手に)設定し、それがあたかも自分がこの世に生きる意味・目的・価値であるかのように思い込むことによって生きていられるのではないかと思っているのですが。  それが、良いことなのか悪いことなのかはわかりません。(自分は少々仏教的な志向があるので、それを悪いことだと考えるのですが、それが正しいのかはわかりません。)  ともかく・・・自分は、「万人に共通する人生の目的」は、ないと思います。ないから、(なくしたから)人は人として生きていられるのだと思いますし、「人生いろいろ」などと言っていられるのだと思うのですが。  ヘンな文章ですみません。では。  

pas26
質問者

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ご回答と詳しい説明ありがとうございました!

その他の回答 (21)

  • weber7009
  • ベストアンサー率29% (72/245)
回答No.22

>できるなら、その根拠を示して頂きたいのですが・・・。 「生まれ変わり」は以下の書物で知りました。参考にしてください。 「生きがいの本質」飯田史彦著 「輪廻体験」片桐すみ子編訳 「エドガワ・ケーシー超意識革命10の法則」三村寛子解説・編集 等。

pas26
質問者

お礼

補足へのご回答ありがとうございました! 参考文献も時間のあるときに読みたいと思います。

  • weber7009
  • ベストアンサー率29% (72/245)
回答No.21

ANo.20です。 >一般人の知恵で分かるのでしょうか? 人間は「輪廻転生」、何度も生まれ変わります。 生まれ変わるたびに「自分は何の為にこの世に生まれてきたのか」を自問自答して、高次の人間性を目指します。 一般人でも、この自問自答を繰り返りかえして、その目的を見出し、実践していけば、その目的を達成する事ができます。

pas26
質問者

お礼

補足へのご回答ありがとうございました! >人間は「輪廻転生」、何度も生まれ変わります。 できるなら、その根拠を示して頂きたいのですが・・・。

  • weber7009
  • ベストアンサー率29% (72/245)
回答No.20

万人誰でも好きでこの世に生まれてきている訳ではありません。 よく生まれてきた赤子は「親を選べない」といいます。 これは万人共通の状態です。 「自分は何故この世に生まれてきたのか」という意味を自分自身に問い、その意味を知るためにこの人生があります。 ただ一回きりの人生で「その意味」を知る事ができるとは限りません。 よって、万人に共通する人生の目的は以上の通りです。

pas26
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました!

pas26
質問者

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>「自分は何故この世に生まれてきたのか」という意味 一般人の知恵で分かるものでしょうか?

noname#241887
noname#241887
回答No.19

生きて死ぬこと。

pas26
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました!

pas26
質問者

補足

生物学的にいえば、正しいとは思います。 しかし、結局死ぬことが、万人に共通する人生の目的の達成だとすると、早く死んだ方がいいことになってしまうと思います。だって、世の中には借金まみれなどで毎日が苦痛で仕方ない人もたくさんいるでしょう。でも、自殺せずに生きてる人達は、何か目的を目指して生きているのではないでしょうか?

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.18

「変革」でしょうね、多分。 人間は、全く無防備の状態でおぎゃあ(あるいは、ふんぎゃあ)と生まれてきます。 そして、外界のあらゆる刺激・影響を一身に(そして一心に)受けつつ成長していくわけです。 ところが、この刺激や影響を与える者(あるいは、物)が大体は碌でもないものなわけです。 当然のこことして、それらをまともに受け止めていたのでは同じように碌でもない存在にしかなれません。 碌でもない存在とは、自分のことより考えられない人間という意味ですが、 自分の家族だけ、または自分の仲間だけ、あるいは自分の会社だけ、そして自分の国だけを守ることによって、 その碌でもなさが帳消しになるかのように我々は錯覚しがちです。 個人のキャパシティを考えれば限界があるとの見方もあるでしょうが、他者を顧みないことに全く疑問を抱かないどころか、他者を排斥することが自らの属す集団が生き残るための絶対的な条件であるかのような論理が堂々とまかり通っているような気さえします。 歴史が語るように、今まで我々はそうやって生き延びてきたわけです。 しかし、他者の思いを想像し、その意識を理解し、必要であれば共有できるようになることが人類の進化である、との見解が間違っていなければ、 我々は、当たり前と思っている自分自身の思考形態を、常に変革すべきものとして捉える余地を残しておくことが必要ではないかと思います。 進化というものを先に述べたような内容で解釈しているうちは、何を変革すべきなのかは個人の中で時間がかかっても自ずと明らかになっていくでしょう。 もし人生に目的などというものがあるのであれば、今の段階においては、 『自己を変革することによって、人類進化の可能性をわずかながらでも前進させること』 といったようなことになるかもしれません。

pas26
質問者

お礼

とても詳しい説明によるご回答どうもありがとうございました!

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.17

#16です。 我々は、生まれてから死ぬまで常に「課題」に直面しています。 ミルクが飲みたい。今、目の前にない。お母さんのおっぱいを吸いたい。 母親は、弟ばかり可愛がる。自分にも気をかけて欲しい。 算数がおもいろい。もっと色々勉強したい。 愛ちゃんが好きだ。何とか声をかけたい。 理由なく腹が立つ。何とかしたい。 理由なく、浮き浮きする。この喜びをどう表現したらよいか? 受験勉強をしないといけない。でも、いやだ。 良い会社に就職したい。 たまには、人類の幸福のために何かしないといけないのかなぁ? 早くきれいな嫁さん見つけて、結婚したい。 責任の重い仕事で、毎日ストレスが溜まって、爆発しそうだ。 仕事がうまく行って、お祝いしたい気分だ。こんなに幸せでいいのかなぁ? 人生にどんな意味があるのだろう? せっかく、仕事が波に乗って来たのに、肝炎になってしまった。 病気も完治したので、新しい仕事に挑戦しよう。 あの人には、世話になった。何かお礼をしないと。 おいらも、年をとってしまった。こんな人生でよかったのだろうか? 人生とは、すなわち、「課題」の連続だと思います。 その「課題」の一つ一つを素直に受け止めて、解決していくことが、「人生の目的」だと思います。そして、その「課題」の一つ一つは、世界中の誰とも全く同じものではありえない、自分に固有の「課題」です。その自分に固有の「課題」を解決するには、「標準的な方法」では間に合いません。それぞれが、自分の創意と工夫で、創造的に解決していく必要があります。 従って、万人に共通の人生の目的は、「課題を創造的に解決する事」だと思います。

pas26
質問者

お礼

補足についての詳しい説明どうもありがとうございました!

pas26
質問者

補足

>万人に共通の人生の目的は、「課題を創造的に解決する事」だと思います。 すべての人が、課題を創造的に解決できるとは思えないのですが・・・。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.16

「課題を創造的に解決する事」だと思います。

pas26
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました!

pas26
質問者

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>「課題を創造的に解決する事」 意味がよく分からないので、補足をお願い致します。

  • yykke
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.15

↓の補足見ました。 こんにちは。 そうですねぇ。レベルの違いはありますがみんなそれぞれその人なりの毎日を日々経験しながら生きていますよね。 アクティブに生きている人はより高い場所を目指し、 そうでない人も日常の出来事を経験する事で、悩んだり、喜んだりしてそれなりに経験を積んでいって成長して変化していく。 転んで立ち止まり、自分ではどうしようもない状況に陥っている人は、そこで色んな事に気付き、またヨタヨタと歩き出す。 それらの「変化を伴う経験」すべてが「挑戦」だと思っています。 立ち止まったまま、頭の中であれこれ考えて得るものがあったとしてもそこには「生きている喜びの実感」って少ないと思うし、 喜びを知る事にこそこの世に生きている意味があると思うので、 「心に変化(成長)をもたらすために「体で」挑戦し続ける事の繰り返しが人生じゃないか。」と考えた。 心の成長は死んでからでも出来るような気もするから、あくまでも「体で」がポイントで。 生きるって事は体で経験して喜びを見出す事でしか学べない事を学ぶ為にある気がする。 人生の目的は結果云々じゃなくて目の前にあるものに何かの変化を求めて「挑戦する事」、その過程にこそあるのかなぁと。 ぼんやりですがそう思ったばかりだったので今回、こちらに書いてみたわけでした。 こんな感じの補足でいいのかな?分りにくくてゴメンナサイ。

pas26
質問者

お礼

補足へのご回答ありがとうございました!

pas26
質問者

補足

>心の成長は死んでからでも出来るような気もする なぜそのように思われるのでしょうか? >結果云々じゃなくて目の前にあるものに何かの変化を求めて「挑戦する事」、その過程にこそあるのかなぁと。 それは、人生の目標ではないでしょうか?

  • yykke
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.14

こんばんは。 私自身、「挑戦するために」生まれてきたんだなと今、やっとそう思えるようになったトコロだったのですが だから「挑戦する事」が万人に共通する人生の目的じゃないかなぁ?と思います。

pas26
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました!

pas26
質問者

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どのような挑戦ですか?

  • theonti
  • ベストアンサー率29% (239/802)
回答No.13

万人に共通する人生の目的は、 「生として生まれ出たからには、如何にして死を迎えるか。」である。 人は、本能の他に 理性を持って生まれてきました。 そして、同じ理性の器を持った人は皆無でしょう。 よって、死を迎えるまでの過程で、万人に共通する目的は無いでしょう。 自ら死を迎える人。 事故などで、不本意に死を迎えてしまう人。 自然に死を迎える人。 生き永らえようと、もがきながら死を迎える人。 どのような死を迎えるか。 自分は、PPK(ぴんぴん暮らし、ころりと逝く)を望んでいます。 今まで、本意・不本意は有りましたが、公私ともやりたい事をやって来ました。 幸せでした。 これからも、続けたいと思っています。 幸せでいられるようにと願っています。 だからと言って、疲れるので努力はしません。 公私とも楽しみます。 辛い事があっても、苦しいことがあっても、その先の楽しむ事が出来れば どぉって事は有りません。 あぁ!何と自分の器の小さい事か。

pas26
質問者

お礼

ご回答と詳しい説明ありがとうございました!

pas26
質問者

補足

どんな幸せでも死の直前には崩れ去ってしまうのではないでしょうか?

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