• 締切済み

人生の目的

あなたは人生に目的はありますか? 個人個人様々な夢があるでしょう。結婚、マイホーム、出世みなさん色々な夢をお持ちだと思います。 しかし、人間にとって普遍的な目的はあるのでしょうか。 人間は進化によって偶然生まれた産物なので人生の目的などはない。 あるいは神によって作られしもので、そこには目的が付与されている。 ほかにも色々な考えがあると思います。 あなたは人生の目的についてどう思いますか?

みんなの回答

  • hosiboshi
  • ベストアンサー率9% (15/158)
回答No.9

人それぞれです。 目的がない人もいるし、それで悩まない人もいるし、 神様によって目的を課されている人もいます。 一般的には自分の目的を見つけることが目的になると思います。 過去の人生を振り返れば、うすぼんやりと見えてくる場合もあると思います。

回答No.8

強いて表現すれば、 人生の目的は人生である となるでしょう。 己の生を生かし、もって、他の生を生かす という風に既に流れ、時として逆流している と思います。

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.7

決められた目的などは無いと思います。 あったら知っているでしょう。言語がわからなくても社会的な生活の仕方を知らなくても…。 生きていて何をしているのか観察すれば事実「苦しみから逃げている」「苦しみを避けている」のだと思います。止まって同じような感覚でいると苦しい。同じ音もにおいも視覚も味覚も苦しい。だから動く。他の感覚にいったら楽なのではと思って。うつってみたら前より楽だと感じる。しかしその感覚も苦しくなる。次にうつる…。苦から苦へうるつ。これが生きてしている原初的な基本的な所だと思います。 世の中は全て不安定の中で安定を求めているように感じます。 その中で生き甲斐をいかに感じるかが幸福か否かを分かつものの一つではないかと思います。 「どれだけ自分を苦しみ多い道に導く邪魔な思考や感情を捨て、慈悲喜捨の念で感情的でなく理性的にものごとを観れるか。自分と他者と生きとし生けるものの役に立つことをいかにして、充実感を得るか。」 上記したことが僕の目的ですかねw 「現代人のための瞑想法」のどを参考にして生きてます。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

noname#76141
noname#76141
回答No.6

 人生の目的は、幸福感を味わうことであり、普遍的な幸福とは、神仏に生かされ育まれていることに感謝できること自体が幸福であるし、神仏を敬い神仏に向かって自らの人格を成熟させて行くこと自体に幸福感が伴うし、更にそうした各人が集って世の中をよりすばらしくして行くことにも幸福感が伴う、という感じに、ある本に書いてあり、私は納得できました。  具体的な一例としましては、医者や音楽家等が技能等を磨いて行くと、自身の向上自体に幸福感があるし、その恩恵を受ける他者も幸福が増進するし、そうした他者の幸福増進自体が自身の幸福感そのものでもある、というあり方が普遍的な一例だし、仮に向上等困難でも感謝等に伴う幸福は普遍的に可能だし、仮に他者から感謝されなくても自らが他者を幸福にして行くこと自体、自身が神仏に近付いていることそのものなので幸福だし、神仏は常に自分を愛して下さっていることを実感できていること自体幸福、という感じに書いてあり、これも私は納得できました。  

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

[人間にとって普遍的な目的はあるのでしょうか。] これがなんとあるんですね。全員に共通の少なくとも1個の課題(試験問題)が与えられてるんですね、これが解けるかどうかなんですね。有るとか無いという不毛な議論はさておいて、現在地上で生きている人間は100年後にはほぼ死んでますから、その問題が解けたかどうかの評価は遅かれ早かれ全員知ることになるでしょうね。1問試験ですから100点か0点のどちらかしかない試験ですね。この1問試験が0点だと死後、天国には入れないことになってますね。面白い試験ですがそれが地上に生まれる全員に与えられる少なくとも1個の課題ですね。 課題なんか無いという人もこれだけは逃れらないんですね。答えは単純であるが正解を落とすもの多数というのが現実ですね。

回答No.4

>あなたは人生に目的はありますか? ありません。 週3回のセックスが唯一の楽しみです。

noname#80116
noname#80116
回答No.3

 かつて 次のように思索した人がいます。古くさいおとぎ話ですが 現代に到っても わたしたちは きちんと その考えを 揚げて棄てていなければいけないと考えます。  人生の目的は ひとそれぞれだと思いますが その目的を遂行するためには 次のような平和(もしくは ふつうの生活)の問題が 並行して 誰もの課題になっていると考えます。  ▼ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  天の国は地上を寄留(巡礼)している間に あらゆる民族からその市民を召し出し あらゆる言語の寄留(巡礼)者の社会を作る。  地の国の平和をもたらして保存している習慣や法律や制度の相違には何ら意を用いず それらのうちの何ものをも廃止したり 破壊したりせず むしろそれらは異なる民族においてさまざまではあっても 地上の平和という一つの目的をめざしている限り もしも唯一の最高の真なる神が崇拝さるべきだと教える宗教が阻止されないならば これを保持したり追及したりするのである。  それゆえに 天の国すら地上において寄留している間は地上の平和を用い 死すべき人間の本性に属する事物に関しては 敬虔と宗教とを妨害せぬ限り 人間の意志の結合を保護しかつ欲求し 地上の平和を天上の平和にもたらす。 天上の平和こそは真の平和であって 厳密にはこれのみが理性的被造物の平和 つまり神を享受し神において相互を享受するもっとも秩序があり もっとも和合した社会であって またそう呼ばれてしかるべきものである。  その平和に到達したとき 死すべき生はなく 明らかにまた確かに生ける生があるであろう。そして人間が頽廃している間 魂を重くしている動物的な身体はなく 何の欠乏もなくあらゆる部分が意志に従う霊的な身体があるであろう。  このような天上の平和を 天の国は寄留している間は信仰において持ち そして神と隣人とのためになす――というのは 天の国の生は社会的であるゆえ――良き行為のすべてを 天上の平和を得ることに関連づけるとき その信仰によって正しく生きているのである。 (アウグスティヌス:神の国について 19:17 松田禎二訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すでに《あらゆる民族と言語から その国の市民と名乗る巡礼者が出て この地上に 社会を作って》います。果たして その 仮りのすがたとしてでも 現在のあり方は 妥当で満足すべきものでしょうか。  制度としての宗教 つまり 教会とやらは いちど 解体すべきではないでしょうか。地上の平和のためにすら成っていない。それどころか それを掻き乱しているのではないでしょうか。  この現状は 対岸の火事というべきでしょうか? われわれは 何度も何度も生まれ変わるのだから 何の問題もない ということでしょうか? つまり 放っておけばよいのでしょうか? あちらには ブッショウとやらがないのだから 仕方がないということなのでしょうか? わたしたち日本人も 舞台をひろく持って歩んでいくときなのではないでしょうか。  人生の目的のためには こういう課題が並行して あって そのことの解決過程は われわれにとって たのしみなことなのではないでしょうか。調停役は われわれに持って来いの務めではないでしょうか。それには 昔の思想を仕訳けしておかねばならないと考えます。ここにおける質問も回答も そういう方向に向かわないでしょうか?  現代人としてのわたしにとって 人生の目的は 以上のようなものです。

noname#84871
noname#84871
回答No.2

補足ありがとうございました。 それを踏まえて違う回答を追加させていただきます。 (二面性というかどちらも私にとって正解だと思う考えです。) >人間にとって普遍的な目的はあるのでしょうか。 幸福に生きることだと思います。 この幸福の定義が人間の場合、個々によって全く違うために人間社会が成り立っているのではないでしょうか。 自らの資産を増やすこと、家族と平穏な生活を送ること、友人(恋人)と仲良く過ごすこと、自分の中で目標(ビジネス、スポーツ等で)を決めそれを達成すること、他人を蔑んで自分のレベルが高いと納得すること、他人からどう見られようが食べ物に困ろうが自由を求めること・・・。 ざっと思いついただけでもこのくらい人によって幸福の種類はあります。 誰も不幸になりたいと思いながら生きているとは思えませんので。 極論になりますが自殺する人も自殺することによって得られるであろう幸福を求めているのではないでしょうか。

noname#84871
noname#84871
回答No.1

>人間にとって普遍的な目的はあるのでしょうか。 人間にとってというより生物である以上、種の保存。 自分のDNAを持った子孫をできるだけ多く残したい。 神(自然)が与えたものはそれに尽きるでしょう。 ただ人間には個々に考える能力があるので「結婚はしない」「子どもはいらない」と言った主義の方が派生してしまうところが他の生物と違うところですがそういう考えを持ち、貫くというDNAを持っていると当然、子孫を残すことができず長い生物の進化の観点からみれば絶滅してしまう種となってしまうんでしょうね。 わざと精神論には触れない回答とさせていただきましたのでご参考程度に。。。

hikaru0705
質問者

補足

面白い視点だと思います。 生命というものはDNAの乗り物だという話を私も聞いた事があります。確かに生命だけが種の保存により自分の子孫を残す能力を付与されていますね。そういう点からあなたの考えはごく自然なように思います。 現在は食物連鎖の頂点に君臨している人間ですが、長い時間の末には絶滅してしまうのでしょうか。創造すると、少し寂しいですね。 哲学の項目に載せましたが、様々な視点からの見方を募集しております。