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キリスト教・自殺者遺族

まず、キリスト教において「自殺は悪である」とされているのは知っています。その根拠を教えて下さいという質問ではありません。 年間3万人を超える自殺大国・日本。この中には多分クリスチャンの方もいらっしゃると思います。悲しみにくれる遺族に、牧師さんや神父さん、あるいは同じクリスチャンの友人は、どのような慰めの言葉をかけるのでしょう。それが知りたいのです。まさか「あんたの息子(娘)は罪人だから地獄行きだよ」とまでは言わないと思うのですが。 なお、私自身知人を自殺によって亡くしており、苦しんでいます。できれば死者を冒涜するような発言は避けていただきたいと思います。 ちなみに、何故「キリスト教」についての質問なのかというと、 1)日本の他のメジャーな宗教(仏教・神道)に比べ、より明確に自殺を悪としている。 2)自分は無信仰だが、小さい頃通った日曜学校に好印象をもっている。 という理由からです。

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回答No.1

 おはようございます。  まず、私は長年聖書に親しんでいますが、「自殺は悪である」という明確な認識に至っていません。確かに、生殺与奪の権を持つのは唯一の神です。その神の領域を侵すことは、すなわち罪であるわけです。けれども、それは聖書全体を通して類推するだけで、「自殺した者は必ず地獄へ行く」との明文はありません。  また、自殺者の多くが鬱病患者です。すなわち、病気に罹った結果、死に至ったわけです。となれば、自殺者を罪人として扱うのは明らかに不当です。  加えて、聖書は、自殺者に限らず、すべての人が罪人であると説いています。生まれてこのかた、何の罪も犯さずに死ぬのは、嬰児以外に存在しません。  それで、聖書は説いています。すなわち、人は自分の罪を認め、イエス・キリストが自らの罪の身代わりに死んでくださったと信じ、受け入れるなら、罪なき者として天国に行けるとの約束です。(つまり新約)  それで、ご質問の趣旨 》どのような慰めの言葉をかけるのでしょう。 について、これは明白です。  故人は、長く苦しいところから解き放たれて、今は天国にいるのだ。そして、私たちは、しばらく後にそこで会うことができる、と慰めます。もっとも、真のキリスト者にとって、このことは初歩の初歩、常識ですから、あえてこのような言葉をかける必要はありません。  もし機会があれば、教会でもたれる葬式に出席されることをお勧めします。仏式などと違って、それはそれは明るいものです。まるで、アテネへ旅立つオリンピック選手を空港で見送るようなものです。「必ず会える」この確信が遺族に勇気を与えます。

sawai197
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。 >すなわち、病気に罹った結果、死に至ったわけです。となれば、自殺者を罪人として扱うのは明らかに不当です。 涙がでました。 私の亡くなった知人は本当に良い人でした。その人が「罪人」とされること、また、死後も苦しみ続けているのではないかと思うことは、私にとって耐えがたい苦痛でした。 そうですね。キリスト教国では昔、自殺者は葬式を出すことが禁じられたとか、遺体にムチ打ちの刑を科したなどという話を聞いていたので、特にキリスト教は自殺者に厳しいイメージがありましたが、聖書に明文化されたものは「殺しをしてはいけない」であって、これは仏教でもイスラム教でも同じですものね。  >「必ず会える」この確信が遺族に勇気を与えます。 私もそう思いたいです。でも「いつか会える」のではなく「今すぐ会いたい」とも思ってしまいます。この苦痛にみちた地上で、それでも生きようとする力・動機はいったいどこにあるのでしょう。(回答に対する質問はルール違反かもしれません。質問というより独白なので、黙殺して下さい)

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その他の回答 (4)

  • srmaria
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.5

日本のカトリック司教団が出した『いのちへのまなざし 二十一世紀への司教団メッセージ』に、「自殺者について」という項があったと思います。下に回答されている方が書いておられるような内容です。

sawai197
質問者

お礼

しばらくこの回答をチェックしていなかったのでお礼が遅くなり申し訳ありません。彼の人のことは今もいつでもこころにあります。教えて下さった著書を読んでみたいと思います。随分昔の質問に答えていただいてありがとうございました。

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回答No.4

キリスト教といっても一概に言うのは難しいので、カトリックの立場を概説します。 キリスト教で自殺が良くないとされてきたのは、命は神から授かっているもので、自分の所有物でないという考えからです。親から授かるのでは決してなく、神から(親を通して)授かるものとの概念です。 従って、神から預託されている命を、自分からも他人からも徒に奪っては良くないという、考えです。 もちろん、自殺はできれば回避されるべき悲しい事態ではありますが「自殺者は決して救われない」という従来の狭義の考えは、現代では改められています。命はこの世で終わりでない(不滅)という宗教感のなかで、神の愛・慈しみは、それをより必要としている自殺者や残された縁者にこそ一層豊かに注がれていると、神の愛に信頼すべきとされています。 また、祈りという行為は暗闇にいのちをもたらす救いの道であり、自殺した方に対しても、祈りを通し対話することができ、それが心の平和・平安、希望・信頼をもたらすとされています。この世の重荷から解放された故人が神の平安に満たされるよう、神に祈ることがすすめられています。 (蛇足:一般に「キリスト教は云々」と語られる説明は、実際の信者でない方が書かれることが多く、一面的であったり過去の考え方であったり、正しくないことが多いと思います。プロテスタントはひとくくりに出来ないほど多様でありますし、カトリックの説明は中世のプロテスタント主張のままだったり、多くは東方教会の霊性の知識が欠落していたりします。有名百科事典の内容も、現代の信者から見ると、疑問がでる内容も多いです。)

sawai197
質問者

お礼

随分昔(この業界では)に立てた質問に答えていただいてありがとうございます。もちろん回答を閉めることを忘れているわけではないのです。 私はキリスト教徒ではありませんが、 心の貧しい人々は幸いである/天国はその人たちのものである。 という言葉がとても好きです。 自殺者や遺族が、キリスト教において迫害されているわけではない。ということを嬉しく思います。

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  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.3

私たちは死んだ人の原因や理由などわかりません。 ただ言えるのは、「イエス様、お救い天国にいけます様に」  その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 死に様は色々ありますが、お許しがあったと思います (私自身、クリスチャンの方が亡くなり経験しました)

sawai197
質問者

お礼

ありがとうございます。やはり経験されている方もいらっしゃるのですね。ここの回答があまり集まらないので、経験されている方が少ないか、「禁句」にしているのかどちらかなのかと思いました。かの人達が許されて天国にいることを願います。

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回答No.2

》この苦痛にみちた地上で、それでも生きようとする力・動機はいったいどこにあるのでしょう。 『イエスは、彼に言われた。「まことにあなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」』(新約聖書ルカによる福音書23・39~43)  もし許されたとしても、限られたこの記述欄でどれほどのことをお伝えできるでしょう。ご自分で聖書から学び取ってください。

sawai197
質問者

お礼

ありがとうございます。学びたいと思います。

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