こんばんは。
ちょっと長くなりそうですので、ご質問に対する簡潔な回答は最後に。
フロイトとかユングとかのあたりの人の功績は、「理性」が重んじられていた時代に、逆に「リビドー」「抑圧」「夢」などを重視し、「意識」対して「無意識」を区別して、その概念を広めていったことにあります。「人間には「理性」「意識」では捉えられない部分が存在し、人間の心や行動に影響を与えている」という考えは、当時としてはかなりセンセーショナルだったのですね。
しかし、(理性重視の風潮に対して反論をとなえたまでは良かったのですが、)心理学の研究のなかで「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理の仕組みを調べる」という流れが主流になってからは、
(1)彼らの「無意識」関連の理論が仮説的すぎて、実際の情報処理メカニズムにおいてどうなっているのかという話と対応がとれなくなっていて、(2)フロイトやユングの主張した「無意識」が、彼らの意図を超えて重視されすぎてしまうこともあり(「無意識レベルまで考えると人間の心は非常に複雑で科学でわかるはすがない」といったような極端な考えに至る人まで出てきたり)、心理学や脳科学の研究現場では(ある一部の分野の人を除いて)当時の理論が全くそのまま正しいと信じている人はいません。
彼らの「理論・仮説」は信じられていないとはいっても、「無意識」というものまで全否定されているわけではありません。「私達の情報処理のなかで『意識されない』部分が存在する」というのも、現在では支持されている考えなのです。
では現在はどうなっているかというと、
○とりあえず「エス」「イド」「集合的無意識」などの脳内仮説・妄想は無かったことにして、
○私達の情報処理の一端を表している「無意識」という言葉はありがたく使わせていただき、
○「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理の仕組みを調べる」という立場から、改めて「意識」「無意識」というものを捉えなおして、定義しなおしてみようじゃないか、ということが始まっております。
「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理の仕組みを調べる立場から「意識」「無意識」を再検討する」という研究は、心理学に限らず生理学や工学や医学など、現在多くの分野で行なわれており、分野を超えた共同研究も頻繁に行なわれています。そのような分野横断的な研究体制に対してつけられた新たな分野名が、「脳科学」「脳研究」ということになるでしょうかね。
こちらは心理学カテゴリですので、「心理学でいったいどうやって意識や無意識なんて研究するの?」という疑問がでてくるかもしれません。
生理学のように細胞に電極を刺して電気的応答をとったり、脳研究での「脳機能イメージング(画像化)」で脳のどこの部分が処理を行なっているかを視覚化するように、「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理」を行なっているハードウェア=脳のはたらきを研究する分野もある一方で、
心理学のなかで主に実験心理学という分野で、脳というハードウェアの上でどのように情報処理が行なわれているかのメカニズムを推定する、という「ソフトウェアのはたらき」に注目した研究が行なわれています。
臨床の研究はとりあえず脇に置いておくとして、心理学には多くのサブ分野があって、実験を行なったり、行動を観察したり、調査を行なったりと、人間の特性をとらえるためのいろいろな研究手法の蓄積があります。
特に知覚心理学や認知心理学という実験心理学系の分野では、視覚や聴覚に物理的な刺激パターンを提示してそれに対する人間の反応を取得するという実験を行ない、その入出力の関係から内部で行なわれている情報処理メカニズムを推定したり、なんらかの課題を行なってもらうことでその完了時間や正答率、課題遂行時の思考プロトコルから、内部で行なわれている情報処理メカニズムを推定したり、という体系的な研究手法がここ百年ほど~数十年の間に確立されています。(文章の関係上、これ以上の詳細は省略いたします)
(電気生理学と平行して発展していった手法で、途中でコンピュータの概念なんかも取り込みさらに新手していきました。脳科学という分野が確立するよりもかなり先に発展して、脳機能の画像化などに応用されているものです。)
そういう一連の手法のなかから、「目には映っているのにもかかわらず意識されにくい情報がある」、「注意を向けないところではいったいどんな情報処理が行なわれているんだろう?」などの問題に対して、適切な研究手法が選択され、実験が行なわれているのですね。
こういう心理学での研究手法は単独で使用されているわけでもなく、脳機能イメージングなどのハードウェア研究にも手法の一部が使用されていたりと、他の分野に対して相互に影響を与えつつ相互発展しています。たとえば、実験1と実験2で認知心理学実験を行なって人間から反応を取りメカニズムを推定し、実験3で脳機能を測定してその処理を行なっている脳の部位を特定する、といった具合です。
逆に、「心理学の研究だけで人間の心や意識が全てわかる!」「脳機能の画像化こそが唯一の妥当な研究手法」なんて、どれかひとつの分野だけを信奉する研究者が仮にいるとしたら、それは相当おめでたいというか、現実をわかっていないと言わざるをえません。
DNAの解析だったり、神経細胞の情報伝達に対する電気生理学的手法だったり、人間に対する心理学実験による情報処理メカニズム推定だったり、計算論的手法によるモデル構築だったり、他の動物と比較して人間独自の特性を考えたりと、脳や心や意識に対して、各分野でさまざまな研究対象、さまざまな研究手法があります。それぞれが、注目する対象に対して得意な手法を駆使してアプローチし、時には共同で研究を行ない、時には他分野の手法を応用したりして、「脳や心や意識の解明」という大きな目標に向かって研究を進めているのです。分野間の壁がうすくなって、対等に相互発展、ともに手を取り合って、という感じですね。
ただし、「脳や心や意識」がそんなに簡単な研究対象ではないのも事実で、5年や10年で完全な結論がでるものでもありませんし、情報処理過程の解明についても、できるところからコツコツと、という感じですので、「無意識」というものが再定義されるのも、まだまだ先といったところでしょう。がんばらないといけないですよね~
最後に、質問の回答としては、
フロイトやユングによって広まった「無意識」という言葉は、彼らの理論そのものの概念とは別に、一般的に使用される語になっているのと同時に、「心や行動(の変化)を生み出している内部の情報処理の仕組みを調べる」という研究の立場から、改めて「意識」「無意識」というものを捉えなおして、定義しなおしてみようということが進められています。心理学や生理学、工学、言語学、哲学、医学など数多くの分野が集まって、脳や心や意識に関する研究を進めていくことで、そのうち新しい「意識」「無意識」の概念が作られていくのではないかと思います。