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恋愛関係において「本気で好き」とはなにか?
「本気で好き」と「結婚したい」とはイコールで結べるものでは無いと思いますが、 「彼はバイトも無断欠勤するような人だから、 結婚はお見合いでもして他の人と」と現実的な考えを持つ人は、 彼に対して本気ではないのでしょうか? また、人にはそれぞれ色々な長所がありますから、 同時に数人を好きになっても全く不思議ではありませんが、 それも「本気で好き」とは違うのでしょうか? (誰かを傷つけるから駄目だとかそういう話では無く、 本気なのかどうなのか) もしそうであるなら、本気で好きになるとどうして一人の人だけを好きになるのでしょうか?
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私は女なので、主に女性側の「本気」の分析になりますが・・・。 生物というものは本能で動いているのですが、「本気」というのは、生存に有利な子供を残すためにメスが持つ本能だと思います。 女性、つまりメスが持つ最大の生物学的使命は、数多くの男性つまりオスの中からより有利な精子を持つオスを探し、妊娠・出産することです。 有利な精子というのは具体的には、その社会で有利な条件、健康・経済力・頭脳・人間性・容姿・学歴などを持っているオスの精子です。 そういうオスを探し当てて意識的無意識的に「このオスの精子で私は子供を産もう」と決断すること。それが「本気」ということです。 人間のメスは妊娠期間が長く、出産後も子供がひとり立ちするまでにはかなりの時間がかかります。 そのためその期間は誰かの助けを得る必要があります。 助けてくれる人は両親でも兄弟姉妹でもいいのですが、子供の父親に助けてもらうのが、有利な精子を他のメスに渡さない、という観点からも理にかなっています。 ゆえに、複数のオスに「本気」になることはあり得ません。 複数のオスの本気になったら、お腹の子は誰の子かわからなくなります。 誰の子かわからないものを育ててくれるオスは、そう多くはいませんからね。父親がはっきりしない子を産むのは、危険です。 現代社会では女性の「本気」は必ずしも妊娠・出産に結びつくわけではありませんが、本来はそういう本能に根ざす感情だったのです。 次に男性、オスの「本気」ですが、 オスの生物学的使命は、自らの精子をできるだけたくさんのメスにばらまくことですので、「本気」のあり方もメスとはかなり違い、メスほど徹底的な「本気」ではありません。 人間のメス、女性の「この人以外は愛せない」という「本気」は、何年も、場合によっては数十年続くことも珍しくありませんが、男性の「本気」の継続は難しいような気がします。(私の偏見でしょうか。) また、男性は「本気」の最中でも、状況によっては他の女性との性交も可能ですよね。 女性は無理です。 つまり、人間のオスの「本気」は、強めの恋愛感情に過ぎないのです。 女性の、妊娠・出産をかけた「本気」とは、本質的に違うものなのだと思います。 こんな回答でよろしかったんでしょうか?
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- hakobulu
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「本気」という言葉がどのように解釈されているのかということになるように思います。 個人的には、 「自分の身も心も委ねることができるし、相手の身も心も全て無条件で受け入れること」 といったようなことではないかと思いますが、 「本気で好き」が、必ずしも「結婚したい」に直結することはないでしょう。 上のような定義だけで長い結婚生活が維持できるとは限らないからです。 プラス生活力が必要になります。 「本気で好き」は、愛とかいうものの感情的な部分でしかないわけで、 一人前の大人の場合、その底に相手の生命を守るという責任感が伴なわなくては本物の愛とは言えません。 「>現実的な考えを持つ人」は、愛が砂上の楼閣とならないように基礎的な部分を重視する堅実派と言えるでしょう。 ご質問文の例のような彼女の場合、むしろ彼に対しては本気なのではないかという気がします。 しかし、それが永続性に欠ける、一時的で移ろいやすく脆い愛であることを予感しているのでしょう。 不安定な愛は揺らぎが大きいことになりますから、人の心も揺さぶります。 揺らぎは摩擦を生み、その摩擦が快感としての刺激になってなかなか抜け出せないパターンも案外多いでしょう。 「同時に数人を本気で好き」になることも当然あるでしょうね。 ただ、これは小さい子供が「私のなりたいのは、ケーキやさんとスチュワーデスと花屋さんです。全部本当になってみたいです。」 と言うのと似ています。 「>本気で好きになると一人の人だけを好きになる」のではなく、 『本気で好きになることの継続性を責任を持って意識した場合は、一人の人だけを好きにならざるを得ない』 ということでしょう。 なぜなら、人はそれほど大きなキャパシティを持っているわけではありませんが、それを他者に振り分けることは本気で好きになった人との関係性継続へのエネルギーが削がれることになるからです。 二義的にはそれが相手への裏切りになるという要素も加味されます。 継続性を必要としない場合は、責任が伴ないませんから他者へも気楽にエネルギーを配分できるということになります。
お礼
>本気で好きになることの継続性を責任を持って意識した場合は、一人の人だけを好きにならざるを得ない 確かにその通りですね。独身時代だからこそ可能であったわけで、 婚約を決意した時点で他に目が行くことはなくなりました。 それは意識していたわけでもありませんが、 主人に決定したのは現実的にも成り立つ責任をお互いに果たせる愛だと 思ったのかもしれないです。 ありがとうございました。
お礼
すごく面白いです!こんな回答をいただけてよかったです。大変納得できました。 そうすると新しい疑問が出てくるのですが 「子供の父親に助けてもらうのが、有利な精子を他のメスに渡さないという観点」の逆はないのでしょうか? 子供を生んだ後に他にそのメスを取られることも考えられます。 本能的に子供を生んだあと、メスはずっとその子供を育てるようにできているのでしょうか? 生物として一人でも生きていく力ができれば(二歳程度?)、 本能的に、また子供を作ろうとは思わないのでしょうか (同じ精子をつかうにしても、違う有利な精子を探すにしても) 色々な精子を使って子供を作るほうが、 優秀な子孫ができて、生き残る可能性が高いと思いますが、 それはどうなのでしょうか? (「こんなだめな人だとは思わなかった」という人も、他のオスで子供を生みなおそうとかは思わないのでしょうか)