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最古の和歌木簡について
万葉仮名記す最古の木簡が見つかったという記事についていくつか疑問に思った所があるので相談させて下さい 「はるくさのはじめのとし・・」の和歌の事です 1、中国の南北朝の書体に似た字体だったという事ですが(日経)なぜそういう字体になったのでしょうか? 2、「ひ」と読むと言われる「皮」が「は」と読まれていますがなぜですか? ちなみに私の持っている辞書には「皮」は「は」にも「ひ」にも入っていません 3、柿本人麻呂が万葉仮名を作ったという説が覆されるという記事の新聞がありましたが、この説誰が唱えたのですか? (大学でこの説は違うと前に習った事があったので、未だに何を根拠に言われているのか気になったのです) 宜しくお願い致します 文献等あれば自分でも探してみます
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- shiremono
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1.(不明) 2.「万葉集」 に 「皮」 で 「は」 と読む万葉仮名の例はないようです。たとえば、 「春草」 は 「春草」 と書かれています (29, 239. 988, 1708, 1920, 日本古典文学大系)。しかし、2001年に藤原京跡でみつかった8世紀初めの木簡にも、 「難波津の歌」 が 「奈尓皮ツ尓」(なにはつに) と書かれていました。この万葉仮名 「皮」 については、『木簡による日本語書記史』(犬飼隆 2005 笠間書院) がくわしく論じているそうです。 http://sakuin.g.hatena.ne.jp/kuzan/20060815/p1 3.高岡市万葉歴史館の記事 (参考URL) によれば、万葉仮名は 「柿本人麻呂歌集」 の表記にみられる略体から非略体への変化をつうじて大伴家持にみられるような1字1音表記に発展した、という定説があったようです。これはもちろん、 「柿本人麻呂が万葉仮名を作った」 とか 「万葉仮名文は7世紀末ごろに柿本人麻呂が完成させた」 (朝日新聞 2006年10月12・13日) などという説ではないとおもわれます。その定説の典拠としては、稲岡耕二 『萬葉表記論』 (1976) があげられていました。 7世紀中ごろの 「最古の木簡」 は1字1音表記なのでこうした万葉仮名の発展説をあらためて否定した、というのが記事の趣旨なのでしょうが、記者やデスクの専門知識が足りなくて、トンチンカンなことを書いてしまったのかもしれません。
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返事が遅くなってしまい申し訳ありません ありがとうございました