命数論について(音楽・文学)
音楽および、文学の世界(とりわけ俳句・短歌などの短詩形文学)において、昔命数論について取りざたされたことがあると思うのですが、最近さっぱりそんな議論を聞きません。
命数論とは、その組み合わせの数が有限であるという前提の下、表現されうるものも、有限であるという理論だと単純には理解しています。音楽においても、譜面に落とせる組み合わせは有限であるはずだし、かつ、聞いて心地よい音の組み合わせはさらに限定されるはずです。
それでも、音楽は次々と発表される。
俳句や短歌なども、同じ意味で音楽よりたとえその組み合わせは多くとも有限であることには変わりはないわけで、正岡子規は明治の間には、すべての組み合わせが使われてしまうだろうなんていったのではないかと記憶しています。
昭和に入っても、寺山修司の模倣騒動などの中で、再度命数論が取りざたされたように思いますが、その後さっぱり聞きません。
理論的には解決されうる問題ではなさそうであるのに、今もって、表現に完全な行き詰まりは見せていないというのが私には不思議でなりません。
どなたかこの問題について詳しい方がいらっしゃれば教えてください。