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文学史事始
文学史事始 中学高校で文学史の授業を受けました。この文学史の授業はいつごろから始まり、作家はどんな基準で選ばれているのでしょうか? 漢詩は江戸時代は俳句よりも高尚なものとされていたはずですが資料に載っている漢詩は懐風藻のみ。江戸時代まで他にも詩集はあるはずですが取り上げられていません。 短歌俳句は正岡子規、斉藤茂吉、高浜虚子などかなり取り上げられているのに比べ、詩は室生犀星、萩原朔太郎、北原白秋、佐藤春夫ぐらい。西條八十は出てきませんでした。 吉行エイスケのダダイストなんて出てきません。 うろおぼえですが、川端康成あたりまでは新思潮派などと分類されていたようです。でも戦後デビューの作家は少なくとも授業では○○派、○○主義なる分類はありませんでした。この手の分類は廃れたのでしょうか?
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国文学史から(日本人の)漢詩文が排除されているのは、もとをさかのぼると西洋の文学史に範をとったことに因があるようです。 いま手元にあるのでは、中村真一郎の記述が簡潔で、ご質問の回答として適していると思うので引用してみます。(『江戸漢詩』P.7-8より) ・・・・十九世紀西欧は文学のうえで、十七、八世紀のフランスを中心とするギリシャ・ラテンに範をとった古典主義に反抗して、それぞれの民族の故郷に戻るローマン主義を発達させた。 その学問的反映が、文学史という新しい学問であって、これは各民族がそれぞれの国語で書いた作品だけを、歴史的に配列して概観するという、ナショナリズムの所産となった。 そこでフランスを例にとれば、中世以来、ヨーロッパ文化圏の共通語であったラテン語による厖大な著述は、「フランス文学史」からは追放される。・・・ 十九世紀末に、ヨーロッパから文学史という学問を輸入したわが国の国文学者も、この方法に従って専ら日本語のみの作品から、日本文学史を編むことになった。そしてそれは、それぞれの時代の、漢文学を主流とした実際の文学情況からは、ひどくかけ離れた展望を提出するという結果を生じた。・・・・ あと、これは常識的な見方なのか知りませんが、こういうのを読んだことがあります。曰く、帝大の国文学の教授は国学の流れを汲む人が多い、その結果として漢文学は追いやられた…… お手元の資料では(漢文学は)懐風藻のみ掲載されているということですが、他のテキストでも同じようなものです。中世以降は黙殺でも、上代・中古の作品は少量ながら取り上げている本が多いと思います。手元の『日本文学鑑賞辞典 古典編』(東京堂出版)で取り上げられている漢詩文は、上代1、中古3作品、中世・近世は零です。 なぜ上代、中古の漢詩文集は取り上げられるのかというと・・・ その時代は大陸の影響が大きすぎて、それを抜きにしては当時の貴族文学は語れないのでしょう。 「王朝文学は漢詩を除外しては成立し得ない」(小島憲之『王朝漢詩選』より) また、王朝漢詩は大陸の模倣の域を出ないものでレベルは高くないと言われていますが、後に花開く国風文学の種子(というか肥料、養分)としても(その関係性は)無視できないので、文学史で扱わざるを得ないのかもしれません。 ちなみに、江戸の全文学中もっともレベルが高いのは漢詩だ、と言う現代の学者(黒川洋一)もいます。 *** 質問の一部にしか回答していないので、あとは博捜の閑人、 いや、博雅の士をお待ちください。
お礼
文学史の教科書から日本人の漢詩がなかったかのように排除されているいきさつがわかりました。でも、文学史としてはいびつな状況とは思います。 詳しく書いていただきありがとうございます。