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自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(中秋節)

 日本語を勉強中の中国人です。自分の書いた作文が自然な表現になっているか、非常に気になっていますので添削していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。(大変申し訳ありませんが、字数はここの制限を超えたので、No.1さんのご回答の補足欄をお借りして、残りの部分300字ぐらいを後ほど付け加えさせていただきます。)  友人と食事をしてから家に帰った。父と母はすでに夕食が終わったようだ。「台所の台には月餅が置いてあったよ。食べてね。今日は中秋節だから」と母に言われた。「また月餅か。最近、月餅ばっかり食べてる。今日はパス」と言いながら、自分の部屋に潜り込んでテレビをつけた。 「気象専門家の話によると、今年の中秋節は月が地球に一番近いところまで運行してきたので、9年ぶりに一番大きな月を見ることが出来るそうです……」とニュースが流れはじめてきて、思わず窓の外へ目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて窓際に近づけていった。夜空の幕に一輪の月が静かにかかっている。汚れなく、まるで白玉で出来たお皿のようだ。田舎の小道で、闇の中を手さぐりで歩いている人はこの月の光のおかげで、先の道が見えるようになるだろう。うっかり針を落としてしまったお婆ちゃんはこの月の光のおかげで、針を探すことができるだろう。月は自ら発光できないが、太陽から受けた光を私心がなく、その光を人間の世界に降り注いでいる。月の光を浴びて、私たちはお月様に感謝するべきである。  あの白玉皿により近づけようと思って、思わず窓から頭をつきだした。窓の外に、お月様は私を見下ろしている。私はお月様の穏やかな目線に迎え、仰いでいる。星が1つもない寂しい高空から、私たちの人間の世界を見下ろしているお月様、あたなは相当寂しいだろう。お月様は微笑んでいるばかりで、やさしい目で私を見ているだけである。

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  • hakobulu
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回答No.14

1、 {台所の台には月餅が置いてあったよ} a.【台所の台に】という表現はあまりしません。 『キッチン(台)の上に』、あるいは単に、 『台所に』のほうが良いでしょう。 b.【置いてあったよ】 ・「~してあった」は【見聞】を表わします。 原文のままだと、 月餅が置かれているのをお母さんが見つけて、それを知らせていることになります。 ・「置いてある」でも良いのですが、単に『ある』だけのほうが妥当な場合も案外多いようです。 これは、「置いた」という自らの動作をあえて明確にしない、 一種の謙譲表現ではないか、と個人的には思っています。 c.『台所に月餅が置いてあるよ』 『キッチン台の上に月餅があるよ』 などとするのが良いでしょう。 2、 {自分の部屋に潜り込んで} a.悪くはありませんが、「潜り込む」という表現は、 「狭い場所に無理に入る」といったようなニュアンスを持っています。 『ベッドに潜り込む』という表現は良く使われますね。 b.恐らく、 「お母さんの勧めを断わるために急いでその場を離れた」というニュアンスを出したかったのではないか、と思われるので、 『自分の部屋に逃げ込んで』 などとするのが良いと思います。 3、 {思わず窓の外へ目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて窓際に近づけていった。} a.【目線】は視線と大差ない意味なのですが、 主に【俳優さんなどの視線】ということで、演技上の言葉として使われることが多いようです。 b.『目を移すと』『目をやると』という表現が適当ではないか、と思います。 c.【移したら】どうだったのか、という結果を受ける言葉がないので不自然なまま文が終わっています。 『目を移したら月があった』 『目をやると月があった』 などであれば文は完結します。 『目をやると、「あっ、あった」。』という【劇的】な表現で、一旦文を終了するのも良い方法でしょう。 d.【窓際に近づけていった】 恐らく「目線」を目的語としてお使いになったと思いますが、あまり自然な印象は与えません。 ここは素直に『窓際に近づいた』とするほうが良いでしょう。 4、 {夜空の幕に一輪の月が・・・}というのは、なかなか独創的な良い表現ですね。 a,夜の闇を表わすのに、「夜の帳(とばり)」という表現も使われることがあります。 『夜の帳の中で一輪の月が・・・』ということも可能でしょう。 b.静寂を表わす言い方で『しじま』という表現もあります。 「冬の星座」という唱歌に、 「・・・・ しじまの中に きらめき揺れつつ 星座はめぐる」 という歌詞が出てきます。 本来は静寂を意味するのですが、【静かな闇】というニュアンスもあるのでしょうね。 『夜のしじまの中に一輪の月が・・・』でもまた別の趣が出るかもしれません。 c.【一輪の月】というのは思い切った表現ですね。 通常は「一輪の菊のような月」「一輪の花のような月」と言うところでしょうが、原文のほうが感性豊かな優れた表現だと思います。 5、 {白玉}は、日本では殆んどお団子を作る「白玉粉」のことを指します。 「玉(珠)」は【宝石のような】という意味で使われることもあり、 『玉のような赤ちゃん』 『珠のように滑らかな肌』 などという表現があります。 月はよく、 『白磁のような輝きを持つ月』または、 『青磁のように光輝く月』などと、磁器に例えられることが多いようです。 6、 {月は自ら発光できないが、太陽から受けた光を私心がなく、その光を人間の世界に降り注いでいる。} という視点は、大変素晴らしいと感じました。 a.ただ、「降り注いでいる」という述部の文節にかかる箇所が、【受けた光を】と【その光を】の2つになってしまっているので、不自然な文になっています。 b.【私心がなく】でも良いのですが、リズムを考えると、 『私心無く』としたほうが良いでしょう。 c.『月は自ら発光できないが、太陽から受けた光を私心無く人間の世界に降り注いでいる。』 のようにすると良いでしょう。 7、 {月の光を浴びて、私たちはお月様に感謝するべきである。} ここで【感謝するべきである】という言葉を使うのは、やや違和感が残るように思います。 「感謝するべき」と断定してしまうと、「明るさに感謝するべき」という文意になってしまい、 単に「明るさ」だけに価値を見出していることになってしまうからです。 「私心無く」とおっしゃっておられるように、awayuki_chさんは、月がただ明るいから感謝すべきだ、と思っているわけではないでしょう。 『月の光を浴びながら、私は、その無私の精神に学ぶべきところが多いような気がした。』 などとするほうが、おっしゃりたいことが良く伝わるように思います。 8、 {あの白玉皿により近づけようと思って} a.【白玉皿】は『艶やかな白磁』などとしたほうがイメージ的には合いそうです。 b.{近づけようと思って} 「自分の体を近づけようと思った」という意図はわかりますが、近づきたいと思った気持ちを大事にして、 『近づきたいと思って』と、素直に自分の願望を打ち出したほうが適切な表現になると思います。 c.{あの艶やかな白磁により近づきたいと思って} などとするのも良いと思います。 9、 {窓の外に} 『窓の外で』 10、 {私はお月様の穏やかな目線に迎え、仰いでいる。} a.「目線」よりも『視線』のほうが良いでしょう。 b.お月様の目線をawayuki_chさんが迎えるのでしょうから、【に迎え】ではなく『を迎え』とする必要があります。 c.直前にも「お月様」という言葉が出ていますから、同じ言葉をすぐに続けないで代名詞を使うほうがすっきりした感じになります。 逆に、「仰いでいる」という述部には再度「お月様」を登場させます。 d.『私はその穏やかな視線を迎えるように、お月様を振り仰いでいる。』 (「振り」は後に続く動詞を強調する役割です。) などとするのも良いでしょう。 11、 {星が1つもない寂しい高空から、私たちの人間の世界を見下ろしているお月様、あたなは相当寂しいだろう。} a.【星がひとつもない】でも悪くはありませんが、 『星ひとつない』と表現した方が「【星ひとつ】すらもない」ことが強調されて、寂しさの程度が深まります。 また、「寂しい」が重複するので後半を生かして、【寂しい高空】を【高空】に変えたほうが効果的でしょう。 b.【私たちの人間の世界】 「私たち」=「人間」ですから、 『私たち人間の世界』としたほうが良いでしょう。 スポーツ選手の大会での宣誓で、 「我々選手一同は~、」とやりますが、それと同じです。 c.【相当寂しいだろう】という推測よりも、ここは『優しい語りかけ』のほうが、直後の文に効果的につながるでしょう。 d.『星1つない高空から私たち人間の世界を見下ろしているお月様、あたなは寂しくないのですか。』 などとすると、直後の文と呼応することができます。 12、 {月を眺める習慣はなくなるわけにはいかない。} a.「月を眺める習慣」を主語として、「なくなる」を自動詞としてお遣いになったと思います。 ただ、「わけにはいかない」は意志を表わす言葉ですから、「習慣」は目的語としては使えても、主語にするのは基本的には不自然になります。 b.『月を眺める習慣は【なくす】わけにはいかない』(○)(「私たち」が隠れ主語ということになります) 『月を眺める習慣【を】なくすわけにはいかない』(◎) などとするのが良いでしょう。 13、 {家族全員が囲んで座って} 『家族全員が【卓を】囲んで座って』などと、「囲む」の目的語を明記する必要があります。 14、 {月餅を食べながら、話をする場面は何と温かい一家団欒の場面であろう。} a.【話をする】 話だけをするわけではありませんから、 『話などをする』 としたほうが良いでしょう。 b.【場面】の重複は避けたほうが良いでしょう。 形式名詞(「こと」「もの」)を表わす、『の』という格助詞が便利です。 『彼は泳ぐのが好きだ』 『私は本を読むのが好きだ』など。 c.【温かい一家団欒】 『温かな一家団欒』のほうが「な」の語感から温かみが増すはずです。 (文法的な解釈が何かあるかもしれませんが、私にはわかりません。) d.『月餅を食べながら話をするのは、何と温かな一家団欒の場面であろう。』 などとするのが良いかもしれません。 15、 {月餅1つも食べたくないどころではなく} a.「ほんの少しのことさえしない」という意味の、 【~でもなく】という慣用句的表現が適当でしょう。 『彼らは茶碗ひとつ洗うでもなく、ただ食べるだけだ。』 『彼女は文句ひとつ言うでもなく、黙って私の言うことを聞いてくれる。』など。 b.『月餅ひとつ食べるではなく』とすると自然でしょう。 c,【○○どころではなく△△】は、 「○○する可能性など全く無くて、もっと簡単な△△すらしない(できない)」という意味を表わしますから、この場面では使いません。 『歯が痛くて、月餅(を食べる)どころではなく水すら飲めない』などであれば自然です。 良く似ているもので、 『○○どころか△△』という表現があります。 「○○という些細なことを提示して、もっと程度の大きい(または大事な)△△を強調する表現」です。 『学校に行くどころか、立つこともできない。』 『明日は雨どころか、台風らしい。』 など。 『月餅ひとつ食べる【どころか】月見もしない』と言うことは可能です。 16、 {自分の部屋から出て、台所の月餅を取りにいってきて、父と母の部屋のドアを「トントン」と二回ノックしてみた。} a.「部屋を出ること自体」にあまり重心をかけないようにするために、 『自分の部屋【を】出て』とするほうが良いでしょう。 b.部屋の配置が良くわからないのではっきりとは言えませんが、 【台所の月餅を取りにいってきて】ではなく、 『台所の月餅を取りに行き、帰りに(または、ついでに)』としたほうが、前後のつながりは良くなるでしょう。 【いってきて】は、「元の場所(自分の部屋)に戻る」というニュアンスがありますから、お父さんとお母さんの部屋に突然着いてしまったようで不自然に聞こえるわけです。 c.『自分の部屋を出て台所の月餅を取りに行き、帰りに父と母の部屋のドアを「トントン」と二回ノックしてみた。』 とすると良いかもしれません。 17、 {「はーい」と中から母の嬉しそうな声が聞こえてきた。} お母さんの嬉しそうな顔がすぐに浮かんでくるような、 しかも、くどくない上に余韻の残る、非常に優れた終わりかただと感じました。 ◆ご質問文の添削◆ A. {非常に気になっていますので添削していただけないでしょうか。}(◎) という表現は、本当に自然な表現だと思います。 B. {字数【は】ここの制限を【超えた】ので} a.回答者がこの文を読む段階では、まだ字数を超えていないので、「超えた」と過去形にすると不自然な印象を与えます。超えることが確実であっても、 『超えそうなので』 『超えることになると思うので』 などとしたほうが良いでしょう。 b.「字数について述べれば、制限を超える」という意図で、 「字数」という『主題の提示』のために【は】をお遣いになったと思います。 しかし、ここは、 「字数」を『特定・強調』する必要があるので、【が】を使わなければなりません。 非常に微妙で難しい場合もありますが、 「主題の提示=[は]」にするか、「特定(または強調)=[が]」にするかということは、 【文全体の眼目(骨子)は何か】または、 【前後のニュアンス】によって決まります。 この文の骨子は、 《残りの部分300字ぐらいを後ほど付け加えさせていただきます。》という部分でしょう。 その理由として「制限を越えた」ということを述べています。 そこで、『何の制限か』ということを特定するために【字数】が必要になるわけです。 『単なる主題(話題)として「字数」が持ち出されたわけではない』 という点が、【が】を使わなければならない最も大きな理由です。 「夜空の幕に一輪の月【が】静かにかかっている。」という素晴らしい表現もありますね。 『ニュースで言っていた、まさにその月が夜空にかかっている』というawayuki_chさんの気持ちが、『が』によって【月】を特定(強調)することによって自然に読者に伝わっています。 これが、もし、 「夜空の幕に一輪の月【は】静かにかかっている。」 であれば、どうでしょうか。 これは、単に【は】によって主題として提示された、月に関する『(「かかっている」という)情報』が語られているにすぎません。 「父と母【は】すでに夕食が終わったようだ。」 という文もありました。 これは、「父と母」という主題に関して、「夕食が終わった」という単純な事実を述べているにすぎませんから、【は】を使うのが正解なのです。 状況にもよりますが、一般的には、 「道を歩いていると、父と母【は】向こうからやってきた。」 では不自然ですね。 なぜかと言うと、 道で父母に会うという珍しい出来事を述べようとしているので、「父と母」は単なる主題として提示されるのではなく、「やってきたもの」として特定(強調)する必要があるからです。 『道を歩いていると、父と母【が】向こうからやってきた。』とするのが自然です。 とはいえ、ご質問文中かなりの部分で「は」と「が」は適切に使われていますから、立派なものです。 この【[は]と[が]の用法】は、日本人の間でも、以前から解釈を巡って色々な意見が交換される問題です。 あまり神経質にお考えにならずに、焦らずに、日本語の本をたくさん読んで慣れていくのが良いでしょう。 c.『字数がここの制限を越えることになると思うので』などとするのが良いでしょう。

awayuki_ch
質問者

お礼

 毎度お世話になります。  とても詳しくご親切に教えていただき誠にありがとうございます。どこが間違っているのか、よく分かりました。「夜の帳」、「夜のしじま」などのきれいな表現を教えていただきとても嬉しいです。日本では月を磁器に例えるのが多いのですね。質問文の添削にも感謝いたします。これからは気をつけるようにします。「は」と「が」についての認識はまた前へ一方進みました。大変参考になりました。  心より厚くお礼申し上げます。

awayuki_ch
質問者

補足

 15についてもう少しお伺いします。 >b.『月餅ひとつ食べるではなく』とすると自然でしょう。  ここの「は」は「も」のタイプミスでしょうか。その前の文は「でもなく」について述べておられましたので、気になりました。それとも「でもなく」のほかに、「ではなく」という形もあるのでしょうか。「でもなく」は手元の本で見つけられませんでした。前に普通最小限の単位(たとえば、1つ、1冊、1分、1円などなど)が来るのでしょうか。 >c,【○○どころではなく△△】は、 「○○する可能性など全く無くて、もっと簡単な△△すらしない(できない)」という意味を表わしますから、この場面では使いません。  そうのようですね。私はどれを○○に入れるのか、どれを△△に入れるのか、迷っていました。 >「○○する可能性など全く無くて、もっと簡単な△△すらしない(できない)」という意味を表わしますから、この場面では使いません。  手元の本には「一週間どころではなく、一ヶ月も休んだ」と「知っているどころではない。恋人としても半年も付き合ったことがある」という例文があります。中国人が編集した本なので、参考にならないかもしれません。いま気づいたのはたぶん「一週間休んだ」や「知っている」は実際したことではないから、こんな言い方があるかもしれません。でも、私の「月餅1つも食べたくない」は実際したことなので、不適切なのですね。 >『歯が痛くて、月餅(を食べる)どころではなく水すら飲めない』などであれば自然です。  この文は「どころか」なら、だめですか。 >『月餅ひとつ食べる【どころか】月見もしない』    この文は「どころではなく」なら、だめですか。でも、「どころか」を使っても、私はたぶん「月餅ひとつ食べる」のところで「月餅ひとつ食べない」と書きます。  次は日本人編集者が編集した本から抜粋した内容です。私はたぶん1と2の使い方を一緒にしているようで、行き詰まっているのです。 「AどころかB 1、Aはもちろん、もっと程度の重い(軽い)Bも。 ●この製品はアジア諸国どころか遠い南米やアフリカにまで輸出されている。 ●うちの父はお酒はまったくだめで、ウイスキーどころかビールも飲めない。 ●隣の部屋に住む人は出会っても話をするどころか、あいさつもしない。 2.Aなんてとんでもない、事実はBだ。 ★「Aを完全に否定して、事実はその正反対だ」と言いたいときに使う。 ●タクシーで行ったら道が込んでいて、早く着くどころかかえって30分も遅刻してしまった。 ●休日に子どもづれて遊園地に出かけるのは、楽しいどころか苦しみ苦しみ半分だ。 ● A:先日お貸しした本、どうでしたか。退屈だったんじゃありませんか。 B:退屈どころか寝るのも忘れてしまいましたよ。」  とても知りたいのですが、「Aどころなく、B」=「Aどころか、B」という考え方でよろしいのでしょうか。もともと「どころか」を使うつもりでしたが、「どころではなく」と「どころか」は同じだと思っているので、「どころではなく」を使いました。「食べたくないどころではなく、見るだけでは気持ちが悪い」という文は正しいと思われますか。

その他の回答 (18)

  • gumyo
  • ベストアンサー率50% (3/6)
回答No.8

すばらしいですね!敬服します。 真摯に学ばれていらっしゃるようなので、敢えて細かい部分を指摘させていただきました。 私は逆に中国語を勉強中なのですが、あなたのレベルに達するのはいつになることやら…。 応援しています。頑張ってください! 1)台所の台には月餅が置いてあったよ。食べてね→台所に月餅があるから食べてね 2)ニュースが流れはじめてきて、思わず窓の外へ目線を移したら、、「あっ、あった」とリモコンを置いて窓際に近づけていった。→ニュースが流れてきたので思わず窓の外へ目を向けると、「あっ、あった。」リモコンを置いて窓際に近づいた。 3)あの白玉皿により近づけようと思って→あの白玉皿により近づこうと思って 4)窓の外に→窓の外で 5)お月様の穏やかな目線に迎え、仰いでいる→お月様の穏やかな視線に迎えられ、天を仰いでいる 6)私たちの人間の世界→私たち人間の世界

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。指摘してくださったところは今後は気をつけるようにします。大変参考になりました。  応援していただき本当にありがとうございました。外国語の勉強は続けることだと思います。毎日五分でも良いので、努力がぜったい報いられると信じています。一緒に頑張りましょう!

  • trying
  • ベストアンサー率35% (7/20)
回答No.7

感動しました。 ただ・・・最後のところは「あたな」じゃなくて、「あなた」でしょう。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご感想を聞かせていただきとても嬉しいです。「あたな」は「あなた」なのですね。これからはもっと丁寧に入力するようにします。  本当にありがとうございました。

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.6

こんにちは(^^) 中秋節はいかがでしたか。 私も月餅早く食べないと(笑) ■父と母はすでに夕食が終わったようだ。 「夕食を終えているようだ」の方が自然だと思います。 ■台所の台には月餅が置いてあったよ。 現代社会の話なら、私も「テーブル」の方が自然だと思います。 また、月餅を置いたのは誰ですか?もしお母さんが置いたのなら、自分の行為に「置いてあったよ」は使いません。 置いたのが誰であっても使えるフレーズになると「台所のテーブル(の上)に月餅があるよ。」になります。 ■リモコンを置いて窓際に近づけていった。 自分が窓の方に歩いて行ったのですよね。なら「近づいていった」では? ■一輪の月が 「輪」という数詞を見ると、普通日本人は「花」を連想します。月にはまず使いません。 と言いますか、月はもともと1つなので、数詞は使いません。 ■白玉で出来たお皿 「白玉」とは「真珠」のことですが、日本人でしたら、真珠よりも先に食べ物の「白玉」(笑)を連想すると思います。 「白磁のお皿」ではいかがですか? ■太陽から受けた光を私心がなく、その光を人間の世界に降り注いでいる。 「太陽から受けた光を私心なく人間の世界に降り注いでいる。」 の方がスマートだと思います。まだちょっとぎこちないんですが… ■あの白玉皿により近づけようと思って 自分が近づいたのなら「あの白玉皿により近づこうと思って」です。 また「白玉皿」の部分も適宜変えて下さい。 ■窓の外に この表現もアリだと思いますが「窓の外で」の方が自然です。 ■私はお月様の穏やかな目線に迎え、仰いでいる。 「私はお月様の穏やかな目線を仰ぎ見ている」の方がいいと思います。 ■星が1つもない寂しい高空から 「高空」とは、あまり言いません。意味はもちろんわかりますが。 「高い空」の方が自然だと思います。 また、「寂しい」が2回出てくるので、どちらかは別の表現を考えた方がいいと思います。 ■あたなは 「あなたは」。ケアレスミスですよね? ■お月様は微笑んでいるばかりで、やさしい目で私を見ているだけである。 「ばかり」と「だけ」は、同じ「ONLY」の意味です。 ひとつの事象に対して使う「ONLY」を並記するのは、違和感があります。

awayuki_ch
質問者

お礼

 こんにちは(^-^)。いつもお世話になります。日本では、団子を食べるらしいですね。結局あの日、月餅を半分ぐらいしか食べられませんでした。願望は美しいのですが。  ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。指摘してくださったところは今後は気をつけるようにします。大変参考になりました。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>また、月餅を置いたのは誰ですか?もしお母さんが置いたのなら、自分の行為に「置いてあったよ」は使いません。置いたのが誰であっても使えるフレーズになると「台所のテーブル(の上)に月餅があるよ。」になります。  たぶん母が置いてくれたのです。母自身の行為なら、「置いてあったよ」は使わないのですね。勉強になりました。「台所のテーブル(の上)に月餅があるよ」をいただきます。 >自分が窓の方に歩いて行ったのですよね。なら「近づいていった」では?  はい、気づきました。「近づいていった」にするべきでした。 >「輪」という数詞を見ると、普通日本人は「花」を連想します。月にはまず使いません。  日本では、太陽と月について「輪」を使わないのですね。勉強になりました。 >「白玉」とは「真珠」のことですが、日本人でしたら、真珠よりも先に食べ物の「白玉」(笑)を連想すると思います。「白磁のお皿」ではいかがですか? 「白玉」は食べ物を連想させられるのですか(泣)。私は「白玉」という食べ物があるのを知りませんでした。(でも、きれいな名前ですね。おいしいですか^^。)「白磁」でも良いのですが、何だか反射力、上品さ、清らかさ、純潔さなどは玉とは少し差があるような気がします。「白い玉のお皿」あるいは「玉のお皿」はいかがでしょうか。 >「あなたは」。ケアレスミスですよね?  はい、そうです。そそっかしいこの私でございます ><。

  • ht218
  • ベストアンサー率30% (192/633)
回答No.5

すばらしいと思います。 私より、ずっときれいな日本語ではと思います。 気になるのは、お母さんが「台所の台には月餅が置いてあったよ。・・・・・」のところですかね。 「台所の台に月餅が置いてあるよ」にしたほうが自然だと思います。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。大変参考になりました。  励ましていただきありがとうございました。日本語はまだまだ下手です。これからも頑張ります!

  • nanayaka
  • ベストアンサー率0% (0/4)
回答No.4

とても立派な日本語だと思います。大変熱心に勉強されているのですね。頭が下がります。 このままで十分通じると思いますが、小説か散文でしょうか。添削のポイントはは文章の形態にもよりますが、個人的に気になった部分を指摘させて頂きます。 1段落目 >「台所の台には月餅が置いてあったよ。 「台所の台」というのは、間違った表現ではありませんが「台」が重複するので、台を他の単語(テーブル、カウンターなど)と置き換えるか、直接「台所には」でいいと思います。 2段落目 >運行してきたので、 「月が運行」という表現は少し不自然な感じもします。個人的な感覚の差かもしれません。 前後ひっくるめて、「月が地球に一番接近してきている」でもいいのでは。 >とニュースが流れはじめてきて、 十分通じますが、「流れはじめて」、あるいは「流れてきて」の方がより自然かと思います。 >思わず窓の外へ目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて窓際に近づけていった。 この文は何か変です。どういう意図で書かれた文でしょう。 前後から、私は「月を窓の外に見つけて、リモコンを置いてから、自分が窓に近寄った」という内容だと受け取りました。 この文がその内容で書かれたものだとしたら、「近づけていった」よりも「近づいた」でいいでしょう。 もしくは何を窓際に近づけたのかを書くべきでは。 >太陽から受けた光を私心がなく、 「私心がなく」の「が」はちょっと変な気がします。これも個人的な感覚があるかもしれません。 専門ではないので感覚的な違和感からの意見で恐縮ですが、私でしたら「も」にすると思います。 3段落目 >窓の外に、お月様は私を見下ろしている。 後ろの文を生かすなら、「窓の外で」あるいは「窓の外から」の方がいいかな、と私は思いました。 >私はお月様の穏やかな目線に迎え、仰いでいる。 「目線を迎え」でいいと思います。 細かい指摘ばかりで申し訳ありませんでした。 外国語をやっていましたが、語学としての日本語は専門外です。 添削部分は「私ならこう直す」というものですので、あくまで参考と受け止めてください。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。指摘してくださったところは大変参考になりました。  励ましていただきありがとうございました。日本語はまだまだ下手です。分からないところがいっぱいあります。これからも頑張ります!

awayuki_ch
質問者

補足

>このままで十分通じると思いますが、小説か散文でしょうか。添削のポイントはは文章の形態にもよりますが、個人的に気になった部分を指摘させて頂きます。  小説か散文によって、添削のポイントも違うのですね。実は、私でも自分の作文がどういう文体なのかよく分かりません。全部あるといっても過言ではないかもしれません。中秋節の出来事を少し加工して作文を書いただけです。あえて言うならば、第一、第五段落は小説風にしたかったかもしれません。第二、第三段落は散文風にしたかったかもしれません。第四段落は一番苦手な論説文風にしたかったかもしれません。 >>思わず窓の外へ目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて窓際に近づけていった。 >この文は何か変です。どういう意図で書かれた文でしょう。 前後から、私は「月を窓の外に見つけて、リモコンを置いてから、自分が窓に近寄った」という内容だと受け取りました。 この文がその内容で書かれたものだとしたら、「近づけていった」よりも「近づいた」でいいでしょう。 もしくは何を窓際に近づけたのかを書くべきでは。 『「気象専門家の話によると、今年の中秋節は月が地球に一番近いところまで運行してきたので、9年ぶりに一番大きな月を見ることが出来るそうです」というニュースを聞いた途端(見た途端)、思わずテレビに向けていた目を窓の外に変え、月を探そうと思った。ちょうど窓の外の月が見える範囲にあったので、何の探す苦労もせずに順調に見た。もっとはっきりとその月を見たいので、リモコンを置いて、窓際に近づいた」ということを表したかったのです。「近づける」は「近づく」の誤用だと気づきました。

  • agboy
  • ベストアンサー率29% (93/317)
回答No.3

私も、概ね宜しいかと思いますが。 『台所の台』はダイニングテーブルの事でしょうか? 2度出てくる『目線』は視線、または眼差しでしょうね。『目線』というのは、カメラマンが被写体に向かって『スイマセン、目線下さい!』という風に使うものと思います。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご親切に指摘していただき誠にありがとうございます。「目線」は写真屋でよく使うのですね。大変参考になりました。  励ましていただきありがとうございました。日本語はまだ下手です。これからも頑張ります!

awayuki_ch
質問者

補足

>『台所の台』はダイニングテーブルの事でしょうか?  はい、そうです。「台所の台」を「ダイニングテーブル」に変える必要はあると思われますか。

回答No.2

立派に日本語になってますが… アメリカの人は、「スシ、テンプラ、フジヤマ、ゲイシャ」といえればしゃべれると言い張るのでそれに比べりゃ月と鼈

awayuki_ch
質問者

お礼

 励ましていただきありがとうございました。まだまだ勉強不足です。これからも頑張ります!

  • llalpple
  • ベストアンサー率17% (33/186)
回答No.1

  OK !! 合格 完璧な日本語です。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 励ましていただきありがとうございました。頑張ります!

awayuki_ch
質問者

補足

 残りの300字を付け加えさせていただきます。よろしくお願いいたします。  現代の生活は昔と違って、だいぶ変わってきた。そうかといって、中秋節に月を眺める習慣はなくなるわけにはいかない。伝統を受け継ぐのは大切なことである。また、月見をきっかけに、家族全員が囲んで座って、月餅を食べながら、話をする場面は何と温かい一家団欒の場面であろう。中秋節なのに、月餅1つも食べたくないどころではなく、月見もしない、しかも、家族の人とも一緒に過ごさなかった自分自身はとても恥ずかしかった。  反省しながら、自分の部屋から出て、台所の月餅を取りにいってきて、父と母の部屋のドアを「トントン」と二回ノックしてみた。「はーい」と中から母の嬉しそうな声が聞こえてきた。