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自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(中秋節)
日本語を勉強中の中国人です。自分の書いた作文が自然な表現になっているか、非常に気になっていますので添削していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。(大変申し訳ありませんが、字数はここの制限を超えたので、No.1さんのご回答の補足欄をお借りして、残りの部分300字ぐらいを後ほど付け加えさせていただきます。) 友人と食事をしてから家に帰った。父と母はすでに夕食が終わったようだ。「台所の台には月餅が置いてあったよ。食べてね。今日は中秋節だから」と母に言われた。「また月餅か。最近、月餅ばっかり食べてる。今日はパス」と言いながら、自分の部屋に潜り込んでテレビをつけた。 「気象専門家の話によると、今年の中秋節は月が地球に一番近いところまで運行してきたので、9年ぶりに一番大きな月を見ることが出来るそうです……」とニュースが流れはじめてきて、思わず窓の外へ目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて窓際に近づけていった。夜空の幕に一輪の月が静かにかかっている。汚れなく、まるで白玉で出来たお皿のようだ。田舎の小道で、闇の中を手さぐりで歩いている人はこの月の光のおかげで、先の道が見えるようになるだろう。うっかり針を落としてしまったお婆ちゃんはこの月の光のおかげで、針を探すことができるだろう。月は自ら発光できないが、太陽から受けた光を私心がなく、その光を人間の世界に降り注いでいる。月の光を浴びて、私たちはお月様に感謝するべきである。 あの白玉皿により近づけようと思って、思わず窓から頭をつきだした。窓の外に、お月様は私を見下ろしている。私はお月様の穏やかな目線に迎え、仰いでいる。星が1つもない寂しい高空から、私たちの人間の世界を見下ろしているお月様、あたなは相当寂しいだろう。お月様は微笑んでいるばかりで、やさしい目で私を見ているだけである。
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1、 {台所の台には月餅が置いてあったよ} a.【台所の台に】という表現はあまりしません。 『キッチン(台)の上に』、あるいは単に、 『台所に』のほうが良いでしょう。 b.【置いてあったよ】 ・「~してあった」は【見聞】を表わします。 原文のままだと、 月餅が置かれているのをお母さんが見つけて、それを知らせていることになります。 ・「置いてある」でも良いのですが、単に『ある』だけのほうが妥当な場合も案外多いようです。 これは、「置いた」という自らの動作をあえて明確にしない、 一種の謙譲表現ではないか、と個人的には思っています。 c.『台所に月餅が置いてあるよ』 『キッチン台の上に月餅があるよ』 などとするのが良いでしょう。 2、 {自分の部屋に潜り込んで} a.悪くはありませんが、「潜り込む」という表現は、 「狭い場所に無理に入る」といったようなニュアンスを持っています。 『ベッドに潜り込む』という表現は良く使われますね。 b.恐らく、 「お母さんの勧めを断わるために急いでその場を離れた」というニュアンスを出したかったのではないか、と思われるので、 『自分の部屋に逃げ込んで』 などとするのが良いと思います。 3、 {思わず窓の外へ目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて窓際に近づけていった。} a.【目線】は視線と大差ない意味なのですが、 主に【俳優さんなどの視線】ということで、演技上の言葉として使われることが多いようです。 b.『目を移すと』『目をやると』という表現が適当ではないか、と思います。 c.【移したら】どうだったのか、という結果を受ける言葉がないので不自然なまま文が終わっています。 『目を移したら月があった』 『目をやると月があった』 などであれば文は完結します。 『目をやると、「あっ、あった」。』という【劇的】な表現で、一旦文を終了するのも良い方法でしょう。 d.【窓際に近づけていった】 恐らく「目線」を目的語としてお使いになったと思いますが、あまり自然な印象は与えません。 ここは素直に『窓際に近づいた』とするほうが良いでしょう。 4、 {夜空の幕に一輪の月が・・・}というのは、なかなか独創的な良い表現ですね。 a,夜の闇を表わすのに、「夜の帳(とばり)」という表現も使われることがあります。 『夜の帳の中で一輪の月が・・・』ということも可能でしょう。 b.静寂を表わす言い方で『しじま』という表現もあります。 「冬の星座」という唱歌に、 「・・・・ しじまの中に きらめき揺れつつ 星座はめぐる」 という歌詞が出てきます。 本来は静寂を意味するのですが、【静かな闇】というニュアンスもあるのでしょうね。 『夜のしじまの中に一輪の月が・・・』でもまた別の趣が出るかもしれません。 c.【一輪の月】というのは思い切った表現ですね。 通常は「一輪の菊のような月」「一輪の花のような月」と言うところでしょうが、原文のほうが感性豊かな優れた表現だと思います。 5、 {白玉}は、日本では殆んどお団子を作る「白玉粉」のことを指します。 「玉(珠)」は【宝石のような】という意味で使われることもあり、 『玉のような赤ちゃん』 『珠のように滑らかな肌』 などという表現があります。 月はよく、 『白磁のような輝きを持つ月』または、 『青磁のように光輝く月』などと、磁器に例えられることが多いようです。 6、 {月は自ら発光できないが、太陽から受けた光を私心がなく、その光を人間の世界に降り注いでいる。} という視点は、大変素晴らしいと感じました。 a.ただ、「降り注いでいる」という述部の文節にかかる箇所が、【受けた光を】と【その光を】の2つになってしまっているので、不自然な文になっています。 b.【私心がなく】でも良いのですが、リズムを考えると、 『私心無く』としたほうが良いでしょう。 c.『月は自ら発光できないが、太陽から受けた光を私心無く人間の世界に降り注いでいる。』 のようにすると良いでしょう。 7、 {月の光を浴びて、私たちはお月様に感謝するべきである。} ここで【感謝するべきである】という言葉を使うのは、やや違和感が残るように思います。 「感謝するべき」と断定してしまうと、「明るさに感謝するべき」という文意になってしまい、 単に「明るさ」だけに価値を見出していることになってしまうからです。 「私心無く」とおっしゃっておられるように、awayuki_chさんは、月がただ明るいから感謝すべきだ、と思っているわけではないでしょう。 『月の光を浴びながら、私は、その無私の精神に学ぶべきところが多いような気がした。』 などとするほうが、おっしゃりたいことが良く伝わるように思います。 8、 {あの白玉皿により近づけようと思って} a.【白玉皿】は『艶やかな白磁』などとしたほうがイメージ的には合いそうです。 b.{近づけようと思って} 「自分の体を近づけようと思った」という意図はわかりますが、近づきたいと思った気持ちを大事にして、 『近づきたいと思って』と、素直に自分の願望を打ち出したほうが適切な表現になると思います。 c.{あの艶やかな白磁により近づきたいと思って} などとするのも良いと思います。 9、 {窓の外に} 『窓の外で』 10、 {私はお月様の穏やかな目線に迎え、仰いでいる。} a.「目線」よりも『視線』のほうが良いでしょう。 b.お月様の目線をawayuki_chさんが迎えるのでしょうから、【に迎え】ではなく『を迎え』とする必要があります。 c.直前にも「お月様」という言葉が出ていますから、同じ言葉をすぐに続けないで代名詞を使うほうがすっきりした感じになります。 逆に、「仰いでいる」という述部には再度「お月様」を登場させます。 d.『私はその穏やかな視線を迎えるように、お月様を振り仰いでいる。』 (「振り」は後に続く動詞を強調する役割です。) などとするのも良いでしょう。 11、 {星が1つもない寂しい高空から、私たちの人間の世界を見下ろしているお月様、あたなは相当寂しいだろう。} a.【星がひとつもない】でも悪くはありませんが、 『星ひとつない』と表現した方が「【星ひとつ】すらもない」ことが強調されて、寂しさの程度が深まります。 また、「寂しい」が重複するので後半を生かして、【寂しい高空】を【高空】に変えたほうが効果的でしょう。 b.【私たちの人間の世界】 「私たち」=「人間」ですから、 『私たち人間の世界』としたほうが良いでしょう。 スポーツ選手の大会での宣誓で、 「我々選手一同は~、」とやりますが、それと同じです。 c.【相当寂しいだろう】という推測よりも、ここは『優しい語りかけ』のほうが、直後の文に効果的につながるでしょう。 d.『星1つない高空から私たち人間の世界を見下ろしているお月様、あたなは寂しくないのですか。』 などとすると、直後の文と呼応することができます。 12、 {月を眺める習慣はなくなるわけにはいかない。} a.「月を眺める習慣」を主語として、「なくなる」を自動詞としてお遣いになったと思います。 ただ、「わけにはいかない」は意志を表わす言葉ですから、「習慣」は目的語としては使えても、主語にするのは基本的には不自然になります。 b.『月を眺める習慣は【なくす】わけにはいかない』(○)(「私たち」が隠れ主語ということになります) 『月を眺める習慣【を】なくすわけにはいかない』(◎) などとするのが良いでしょう。 13、 {家族全員が囲んで座って} 『家族全員が【卓を】囲んで座って』などと、「囲む」の目的語を明記する必要があります。 14、 {月餅を食べながら、話をする場面は何と温かい一家団欒の場面であろう。} a.【話をする】 話だけをするわけではありませんから、 『話などをする』 としたほうが良いでしょう。 b.【場面】の重複は避けたほうが良いでしょう。 形式名詞(「こと」「もの」)を表わす、『の』という格助詞が便利です。 『彼は泳ぐのが好きだ』 『私は本を読むのが好きだ』など。 c.【温かい一家団欒】 『温かな一家団欒』のほうが「な」の語感から温かみが増すはずです。 (文法的な解釈が何かあるかもしれませんが、私にはわかりません。) d.『月餅を食べながら話をするのは、何と温かな一家団欒の場面であろう。』 などとするのが良いかもしれません。 15、 {月餅1つも食べたくないどころではなく} a.「ほんの少しのことさえしない」という意味の、 【~でもなく】という慣用句的表現が適当でしょう。 『彼らは茶碗ひとつ洗うでもなく、ただ食べるだけだ。』 『彼女は文句ひとつ言うでもなく、黙って私の言うことを聞いてくれる。』など。 b.『月餅ひとつ食べるではなく』とすると自然でしょう。 c,【○○どころではなく△△】は、 「○○する可能性など全く無くて、もっと簡単な△△すらしない(できない)」という意味を表わしますから、この場面では使いません。 『歯が痛くて、月餅(を食べる)どころではなく水すら飲めない』などであれば自然です。 良く似ているもので、 『○○どころか△△』という表現があります。 「○○という些細なことを提示して、もっと程度の大きい(または大事な)△△を強調する表現」です。 『学校に行くどころか、立つこともできない。』 『明日は雨どころか、台風らしい。』 など。 『月餅ひとつ食べる【どころか】月見もしない』と言うことは可能です。 16、 {自分の部屋から出て、台所の月餅を取りにいってきて、父と母の部屋のドアを「トントン」と二回ノックしてみた。} a.「部屋を出ること自体」にあまり重心をかけないようにするために、 『自分の部屋【を】出て』とするほうが良いでしょう。 b.部屋の配置が良くわからないのではっきりとは言えませんが、 【台所の月餅を取りにいってきて】ではなく、 『台所の月餅を取りに行き、帰りに(または、ついでに)』としたほうが、前後のつながりは良くなるでしょう。 【いってきて】は、「元の場所(自分の部屋)に戻る」というニュアンスがありますから、お父さんとお母さんの部屋に突然着いてしまったようで不自然に聞こえるわけです。 c.『自分の部屋を出て台所の月餅を取りに行き、帰りに父と母の部屋のドアを「トントン」と二回ノックしてみた。』 とすると良いかもしれません。 17、 {「はーい」と中から母の嬉しそうな声が聞こえてきた。} お母さんの嬉しそうな顔がすぐに浮かんでくるような、 しかも、くどくない上に余韻の残る、非常に優れた終わりかただと感じました。 ◆ご質問文の添削◆ A. {非常に気になっていますので添削していただけないでしょうか。}(◎) という表現は、本当に自然な表現だと思います。 B. {字数【は】ここの制限を【超えた】ので} a.回答者がこの文を読む段階では、まだ字数を超えていないので、「超えた」と過去形にすると不自然な印象を与えます。超えることが確実であっても、 『超えそうなので』 『超えることになると思うので』 などとしたほうが良いでしょう。 b.「字数について述べれば、制限を超える」という意図で、 「字数」という『主題の提示』のために【は】をお遣いになったと思います。 しかし、ここは、 「字数」を『特定・強調』する必要があるので、【が】を使わなければなりません。 非常に微妙で難しい場合もありますが、 「主題の提示=[は]」にするか、「特定(または強調)=[が]」にするかということは、 【文全体の眼目(骨子)は何か】または、 【前後のニュアンス】によって決まります。 この文の骨子は、 《残りの部分300字ぐらいを後ほど付け加えさせていただきます。》という部分でしょう。 その理由として「制限を越えた」ということを述べています。 そこで、『何の制限か』ということを特定するために【字数】が必要になるわけです。 『単なる主題(話題)として「字数」が持ち出されたわけではない』 という点が、【が】を使わなければならない最も大きな理由です。 「夜空の幕に一輪の月【が】静かにかかっている。」という素晴らしい表現もありますね。 『ニュースで言っていた、まさにその月が夜空にかかっている』というawayuki_chさんの気持ちが、『が』によって【月】を特定(強調)することによって自然に読者に伝わっています。 これが、もし、 「夜空の幕に一輪の月【は】静かにかかっている。」 であれば、どうでしょうか。 これは、単に【は】によって主題として提示された、月に関する『(「かかっている」という)情報』が語られているにすぎません。 「父と母【は】すでに夕食が終わったようだ。」 という文もありました。 これは、「父と母」という主題に関して、「夕食が終わった」という単純な事実を述べているにすぎませんから、【は】を使うのが正解なのです。 状況にもよりますが、一般的には、 「道を歩いていると、父と母【は】向こうからやってきた。」 では不自然ですね。 なぜかと言うと、 道で父母に会うという珍しい出来事を述べようとしているので、「父と母」は単なる主題として提示されるのではなく、「やってきたもの」として特定(強調)する必要があるからです。 『道を歩いていると、父と母【が】向こうからやってきた。』とするのが自然です。 とはいえ、ご質問文中かなりの部分で「は」と「が」は適切に使われていますから、立派なものです。 この【[は]と[が]の用法】は、日本人の間でも、以前から解釈を巡って色々な意見が交換される問題です。 あまり神経質にお考えにならずに、焦らずに、日本語の本をたくさん読んで慣れていくのが良いでしょう。 c.『字数がここの制限を越えることになると思うので』などとするのが良いでしょう。
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- hakobulu
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#16です。ご返事をありがとうございました。 ◆ まず、補足で述べられているawayuki_chさんの解釈は全くその通りで大正解です。 しかも、補足文全体も完璧な表現になっています。\(^○^)/ 別人のようです。(^^;) ◆ ここのデザインは前の方がずっと良かったですね。 特に、質問や回答をした後で「マイページ」→「公開プロフィール確認」をクリックしないと、自分の「質問/回答一覧」を見れないのが非常に不便です。(怒) そして、画面表示が非常に遅くなりました。(怒・怒×100) ◆ 質問を立ち上げて皆さんのご意見を伺い、大変参考になりました。(お時間のある時にでも覗いて見て下さい) 該当質問はもうしばらく開けておくつもりですが、今までの段階で気がついたことをまとめておきます。 1、【AどころかB】は、 【どころ】という語だけに注目してみると、 『ある事柄の極端な程度を挙げ、それを強く否定する』という意味があります。 【どころか】は、それに、疑問を表わす格助詞【か】(ex.「彼の行動は正しいか、やや疑問だ」)が組み合わさったものと考えられそうです。 ゆえに、 ≪『Aどころか』と言った段階で、Aを強く否定する意図が確定する≫(no.1) ということがまず言えるでしょう。 ですから、#14でawayuki_chさんが挙げられた例の全文が述べられていない場合でも、 『ヨーロッパどころか』は、地域の範囲の程度としてのヨーロッパの否定(便宜上、アジアの替わりにヨーロッパにします)、 『ウイスキーどころか』は、酒の度数の強弱に関するウィスキーの否定、 『話をするどころか』は、親密さの程度としての「話をするという段階」の否定、 ということになります。 また、そういう意味を含んだ単独の文としても(主に返答として)成立し得ます。 例えばある二人の間で、 ○○が非常に規模の大きな優秀な会社で、また肯定的な印象を持っていることが暗黙の内にでも了解されていれば、 「○○は、ヨーロッパにも輸出しているらしいね」 「ヨーロッパどころか。」 『そんなに大きな会社でしたか。もっと手広く輸出しているんですね?』 「世界中ですよ」 という会話が可能です。 「ヨーロッパどころか」と言うだけで、 『ヨーロッパなんて(いう狭い地域なんて)とんでもない。もっと広い地域に輸出している』という意味であることが理解できるわけです。 しかし、逆に ○○は大したことのない小さな会社だ、という否定的な印象を持っていることが明らかな場合は、 「○○は、ヨーロッパにも輸出しているらしいね」 「ヨーロッパどころか。」 『え?輸出事業はやっていなかった?』 「お隣のアジアにだって輸出していない。」 などという会話が想定されます。 「ヨーロッパどころか」と言うだけで、 『ヨーロッパなんて(いう遠い地域なんて)とんでもない。もっと近い地域にさえ輸出していない(または、どこにも輸出なんてしていない)』 という意図がすぐに伝わっているわけです。 以上から、 ≪【AどころかB】と言う場合、 Bが【Aより程度の大きいこと(または本質)の強調を意味する】のか、【Aとは正反対の事実の強調】であるのかは、文脈によって異なる(単独文だけでは判断できない)≫(no.2) ということが言えるでしょう。 2、【AどころではなくB】は、 【どころ】で一旦否定されたAを【ではなく】という語で再度否定していることになりそうです。 しかも、推測ですが否定されているのは、A自体ではなく『Aどころ』という≪程度≫である点が重要なように思います。 「ヨーロッパどころではなく」と言う場合、 否定されているのは「ヨーロッパ」という地域ではなく、【ヨーロッパという範囲の程度】と解釈して良いでしょう。 そして、 ≪「程度を否定」することによって強調できるものは『もっと大きな程度』のみ≫ ということが言えるのではないか、と思います。 そういう理由で、 「ヨーロッパどころではなく、お隣のアジアにも輸出していない」という文は不自然に感じられるのではないでしょうか。 (「ヨーロッパどころではなく、世界中に輸出している」であれば自然ですが、 「ヨーロッパどころか、世界中に輸出している」のほうが妥当でしょう。) ≪【AどころではなくB】または【Aどころではない】は、 【Aより程度の大きいこと(または本質)の強調を意味する】働きだけをする≫(no.3)ということです。 【Aとは正反対の事実の強調】という働きはしない、ということが【どころか】との違いになると思われます。 このように考えてくると、 【食べたいどころではなく、見るだけで気持ちが悪い】は、 「食べたいが、見るだけで気持ちが悪い」という不自然な意味に誤解される危険性が高いように思います。 唯一正しいと判断されるのは、 「食べたいという気持ちになるどころではなく、見るだけで気持ちが悪い」という意味に解釈された場合でしょう。 しかし、【気持ちになる】という部分は省略するには大きすぎる要素で、やはりこの表現は不適切ではないか、というのが私の結論です。 私としては、 『Aをしている余裕は全く無い』という意味として、主に使うのが適切ではないかと思います。 お母さん:「今日は中秋節なんだから、月餅ぐらい一緒に食べましょうよ。」 awayuki_chさん:「明日は試験で、月餅どころではないのよ!」 など。 3、【月餅1つも食べたくないどころではなく、月見もしない、】という箇所は、 「月餅ひとつ食べるどころか、(中秋節に最低限、当然すべき)月見もしない、」とすると正しい表現になります。 ()内で示したように、後半の「月見をしない」ことを非常に強く否定(結果として後悔)した表現です。 人によっては、そこまで強く否定(後悔)するのは少し大げさではないか、という印象を持つかもしれません。 『月餅ひとつ食べないばかりか、(その上さらに悪いことに)月見もしない、』という表現も同様です。 awayuki_chさんが、とても悔んでいるのであれば、これらの表現が適切になるでしょう。 しかし、それほどでもなければ、 『月餅ひとつ食べる(という当たり前のことをする)でもなく、月を見ることすらしない、』 などという表現もあります。 『とても良い天気だったが、外へ散歩に出るでもなく、一日中家でゴロゴロしていた。』 などのように、非常に悔いているというよりは、「残念に思う」という【軽い後悔(否定)】を表現する場合に適しています。 「月餅を食べなかったこと」「外へ出なかったこと」をあまり大げさなこととして捉えていない点で、読者に切迫感を強要しないで済みます。 大げさなほどに悔いているのであれば適さないということは言えますが。 ◆最近はネイティブでも難解な解釈についてのご質問が続いています。 awayuki_chさんは、その解釈についてネイティブと対等に【日本語で】論理を展開させているわけです。 十分に自信を持って大丈夫です。 今回の「どころか」「どころではなく」に関しても、瞬時に明快な説明ができるネイティブは少ないでしょう。 私も正直言うと、良くわからないのです。(^^;)(← この顔文字一度使いだすと癖になりますね。でも、面白いので時々使ってしまいそうです。) そこを調べながら回答させていただくのが、また私(たち)の喜びにもなっているわけです。 時折、息抜きをしながら、気長にやっていきましょう。 ネイティブでも完全に日本語をマスターしている人は殆んどいない、と言っても過言ではないのですから。 国会議員の選挙を前にした人間が、「今朝、立候補の決意を決めました」なんてテレビに向かって平気で言う国ですからね。 気のせいかもしれませんが、今回のご返事文の行間に、どことなく元気が無いような印象を受けたので気になりました。 これからは寒い季節に向かいますね。 風など引かぬようご自愛ください。
お礼
前回、ここのデザインが急に変換したことで、どこかで読んだ「幸せの終点は分かれ」という言葉を思い出しました。ぼうとしていて、気分はブルーでした。お気を使っていただいてありがとうございました。顔文字は効果がありますよ。それから素敵なメロディーもいっぱい聴きました。ありがとうございました(^-^)。 非常に詳しく説明していただきまして誠にありがとうございます。だいぶすっきりいたしました。「どころではなく」の使う範囲は「どころか」より少し狭いのですね。あとはたくさんの文章を読んで、このルールをチェックすることですね。 日本語にとても興味を持っていますので、本当に楽しいのです。気長にやっていきたいです。結果より、その過程が重要だと思います。励ましていただき本当にありがとうございました。頑張ります!!そろそろ秋が深くなりますね。金色の秋は収穫を迎える季節で美しいですね。hakobuluさんもぜひお体に気をつけてください(^-^)。
- shigure136
- ベストアンサー率37% (278/744)
awayuki_ch さん、こんにちは。 遅くなってしまいました。申し訳ありません。 では、早速、補足にお答えいたします。 「どうにでも」の意味は、 ⇒「どのようにでも」 ⇒「自分の好き勝手に」 ⇒「自由自在に」 ⇒「思うままに」など、その人が思った通りに出来るような場合に用います。 ★自分の意思でどのようにでも出来るようなものに対する思いを・・・・というような感じです。 「そうかといって」について。 awayuki_ch さんの、「そうかといって」も十分に自然な表現です。 ⇒「だからといって」「とはいうものの」「そうはいっても」「それだからといって」などすべて同じ使い方が出来る言葉です。 ★「そうはいっても」の例文。 1.彼は入社早々だけどかなり仕事が出来るらしい。そうはいっても、経験が不足しているので全てを任せるわけには行かない。 2.あいつはうちの学校ではトップクラスのランナーだ。そうはいってもこの大会は全国のトップランナーが集まってくるから、そう簡単には勝てないと思う。 「今回の第四段落は間違いだらけ」と記してありますが、間違いだらけというよりも、かなり難しい文脈の構成になってしまいましたね。 文体の整理も必要かと思いました。 >中秋節なのに月餅ひとつも食べないばかりか、月見もせず、家族と一緒に過ごそうともしなかった自分自身がとても恥かしく思えた。 先ず、私の書いたこの3行は、以下の★印の文章と差し替えていただきたく思います。 私もこの文章を書きながら、あまりしっくり来ないまま「投稿する」ボタンを押してしまったのです。 ★中秋節だというのに、月餅のひとつも食べなかったばかりか、月見もしなかったうえ、家族と一緒の時間を過ごそうともしなかった自分自身がとても恥かしく思えた。 さて、この文末の「思えた」についてですが、「私は思った」とするのが一番簡単な終わり方です。 この場合は、単純に「私が思った」という事実を述べていることになります。 これに対して、「思えた」という表現は、自分の行為などを、自分が第三者的な視点で見つめ、反省的な意味を込めて「思った」というニュアンスが出せるのです。 「自分自身が恥かしい行為をしてしまったと思うことが出来た」 「そのようなことをした自分が、とても恥かしいし、残念に思えた」というニュアンスです。 このニュアンスは、「思った」だけでは出せるものではありません。 また、例えば「喜んでくれていると」の後に「思った」と「思えた」をそれぞれつけてみると、 「彼が喜んでくれていると思った」は、一方的に彼が喜んでくれていると思っていることになります。 一方、「彼が喜んでくれていると思えた」とすると、彼の表情や仕草などから、客観的に見ても、「彼が喜んでいることが分かり、誇らしかった」というニュアンスが生まれてきます。 非常に微妙な言葉遣いですが、「思う」という行為の中に、もうひとつ言外に込める意味合いが深まる表現になります。 「食べたくないどころではなく」ではなく、「食べたくないばかりか」のように「ばかりか」の方が良いと思います。 ★「食べたくないどころではなく」の後には、「目にするものを片っ端から平らげた」とか、「ひとつ残らず食べてしまった」などが来ます。 「どころではない」を使いたかったのですが、やはりまだ自分の文章の中では生かせません。私は「どころか」のつもりで、使ったのです。確認していただきた「Aどころなく、B」=「Aどころか、B」だと思います。 「食べたくないどころではなく、見るだけでは気持ちが悪い」という文は正しいと思われますか。 ⇒「見るだけでは」ではなく、「見るだけでも」となりますが、この文章は正しいです。 ⇒「食べたくないどころではなく」は、「食べたくないと言っていたが、それどころではなく」という意味を表しています。 ⇒したがって、「食べたくないなんてものではなく、見るだけでも気持ちが悪くなる」という文意になるのです。 ★彼は野球が出来ないどころではなく、ボールすら投げられない。 ★あいつはお化けが怖いどころではなく、夜道すら歩けない。 ★彼女はギターが弾けないどころではなく、音符すら読めないみたいだよ。 などと、「○○どころではなく」「もっと基本的な事柄もダメ」のような意味合いを表現するときに効果的です。 そして、この「どころではなく」は「どころか」と置き換えることが出来ます。 「どころか」は、全く見当違いであることを表す表現ですが、 【「食べたくない」なんて全くの見当違い、見ることさえダメ。】 【野球がダメなんて見当違い、ボールも投げられない】などの意味合いを考えれば良いと思います。 ところで、awayuki_ch さんのご質問を読んで、急に白玉団子が食べたくなり、近所のスーパー行って「白玉粉」を買ってきて作りました。 日本では、白玉=白玉団子で、「白玉」から「月」を連想する人は極めて稀だと思います。 ちなみに、白玉粉(しらたまこ)は、もち米を加工した粉。別名、寒晒し(かんざらし)といいます。 もち米を水洗後、一晩水に浸してから水切りし、水を加えながら挽く。その乳液をふるいにかけ、沈殿したものを圧搾脱水し、天日乾燥させたもの。白玉だんごや和菓子の材料に用いられる。白玉粉は室町時代ないし鎌倉時代に、禅の修業のために中国・南宋に渡った僧侶や日本への渡来僧によって伝えられたようである。 一般に広まったのは江戸時代・元禄の頃で、砂糖や餡といった甘味が庶民の手に入りやすくなるとともに大衆化された。 awayuki_ch さんのお国が発祥の地であることを初めて知りました。 是非これを機会に、日本人好みの「白玉」を召し上がってみては如何でしょうか?
お礼
shigure136さん、こんばんは。再びありがとうございます。お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。ここはいろいろ変わったようで、まだ慣れていません。模索中です。 「どうにでも」はよく分かりました。「好き勝手」という表現を見たら、なんか以前聞いたことがあるような気がします。 「そうはいっても」の例文は参考になりました。同じ意味の表現もたくさん列挙しいただきありがとうございます。助かりました。 「思えた」は本当に奥深いですね。できるだけ早く自分の文章に生かしたいです。 「食べたくないどころではなく」につながる内容の傾向としては、「食べた」と「食べなかった」両方可能性なのですね。参考にさせていただきます。 白玉粉はどんなものなのか、分かりました。中国では、よくこれで胡麻団子を作ります。子どもの時、大晦日の午後、よく母といとこと一緒に胡麻団子を作ったものです。鼻先に白玉粉をつけたり、つけられたり、家事の手伝いを言い訳に遊びました。でも、もう何年も作っていません。本当に懐かしかったです。チャンスがあれば、日本の白玉団子をぜひ食べたいです。きっと青は藍より出でて藍より青しでしょう。 本当にありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#16です。 色々考えていたのですが、前回 ーーーーーーー 「食べたくないどころではなく、見るだけでは気持ちが悪い」は正しい文とは言えません。 『食べたくないばかりか、見るだけで【】気持ちが悪い』 『食べたいどころではなく、見るだけで気持ちが悪い』 『食べたいどころか、見るだけで気持ちが悪い』であれば、いずれも正しい表現です。 ーーーーーーー と述べた箇所について。 ちょっと自信が無くなりましたので、質問を立てようと思います。 よろしければご参考になさってください。
お礼
わざわざ質問を立てていただきありがとうございました。日本語はとても難しいですね。参考にさせていただきます。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
1、『月餅ひとつ食べるではなく』 「~するでもなく」(A) 「~するではなく」(B)どちらも使えます。 基本的には殆んど同じ意味で区別は難しいのですが、Aのほうが良く使われるでしょう。 あえてニュアンスの違いを述べてみれば、 Aは、~の結果として、特に意味のないこと(ボーッと外を見つめている・黙り込んでいる・歩いている、など)をした、という内容が文として後に続く場合が多いような気がします。 それに対して、 Bは、何か逆のことを積極的にしている文が後に続くように思います。 (あくまで私の感覚的な差異で、厳密な区分があるという根拠はありません。) 確かに最小限の単位がつく場合が多いのですが、必須というわけではありません。 『暑い一日だったが、プールに行くでもなく、家で無為にゴロゴロしていた。』などという文も可能です。 『昨日はせっかくのデートだったのに、近況を伝え合うでもなく、ただ二人で歩き続けるだけに終わった。』などとも言います。 『暑い一日だったが、外へ遊びに行くではなく、一日中家で勉強していた。』などという表現もできるでしょう。 2、【○○どころではなく△△】は、~~この場面では使いません。 :正しくは、 【○○どころではなく△△ではない】、と否定形の呼応として書くべきでした。 大変失礼しました。 状況としては逆になりますが、例に挙げていただいた内容を言い換えると、 「一ヶ月どころか、一週間だって休んでいない。」 「恋人として付き合ったことがあるどころか、知りもしない(見たこともない)。」などとなります。 3、『歯が痛くて、月餅(を食べる)どころではなく水すら飲めない』は、 『歯が痛くて、月餅(を食べる)どころか水すら飲めない』と言い換え可能です。 後者のほうが「歯の痛みの程度」を端的に述べた、すっきりした表現と言えます。 前者は、歯の痛みもさりながら、月餅を食べるなんてとんでもない、というニュアンスが強調された表現になります。 4、『月餅ひとつ食べない【どころか】月見もしない』という文は意味が不明になるでしょう。 『月餅ひとつ食べないどころか全部食べてしまった』または、 『月餅ひとつ食べない【ばかりか】月見もしない』、であれば正しいですが。 【どころか】は、 『直前の文節をただ【否定】するだけではなく、次に示されるさらに程度の大きい事柄を強調する働きがある』 とお考えになると良いと思います。 「一週間ではなく一ヶ月も休んだ」よりも、 「一週間どころか一ヶ月も休んだ」のほうが、一ヶ月の長さを強調した表現になるということになります。 「一ヶ月どころか一週間だって休んでない」は、 「休んでないこと」を基準にすれば、「一ヶ月の休み」と「一週間の休み」では一週間の休みのほうが程度が大きいと考えることができます。 『月餅ひとつ食べる【どころではなく】月見もしない』という文自体は間違いにはなりませんが、 「月餅ひとつ食べる余裕すら無い」というニュアンスになります。 5、「AどころかB」が、 「Aはもちろん、もっと程度の重い(軽い)Bも。」(ア) 「Aなんてとんでもない、事実はBだ。」(イ) と意味を分けて考えるのも良いとは思います。 ただ、共通している要点は、結果として「Aだけであること」を【否定している】ということです。 否定した結果アという意味を表わしたいのか、イという意味にしたいのか、は表現者の意図がどこにあるか、で決まってくるでしょう。 イの場合でも、作者の意図や前後の文脈によってはアの意味にすることも可能です。 「タクシーで行ったら道が【空いて】いて、早く着くどころか【門が開く前に着いて】しまった。」 「休日に子どもづれて遊園地に出かけるのは、楽しいどころか【生きがい】だ。」 「退屈どころか【あくびの連発でした】よ。」 「食べたくないどころではなく、見るだけでは気持ちが悪い」は正しい文とは言えません。 『食べたくないばかりか、見るだけで【】気持ちが悪い』 『食べたいどころではなく、見るだけで気持ちが悪い』 『食べたいどころか、見るだけで気持ちが悪い』であれば、いずれも正しい表現です。 (因みに「見るだけでは」の【は】は不要です。) 言い忘れていましたが、日本では「中秋節」とは殆んど言いません。 「十五夜」「十五夜さん」などと言います。 回答制限字数が厳しくなったようで、言い足りない感もあります。 不明な点は再度補足してください。
お礼
再びありがとうございます。ここのデザインは急に変わりましたか。以前のほうがシンプルで好きだったのに(泣)。 さて、理解できるようになりました。「どころか」は直前の文節をただ【否定】するだけではなく、次に示されるさらに程度の大きい事柄を強調する働きがあると意識しておきます。「ばかりか」は「どころか」(「どころではなく」)と違って、前項を否定する役割がないことにも気づきました。「十五夜」と「十五夜さん」を覚えます。 >『月餅ひとつ食べる【どころではなく】月見もしない』という文自体は間違いにはなりませんが、 「月餅ひとつ食べる余裕すら無い」というニュアンスになります。 はい、このニュアンスがよく理解できました。本当にありがとうございました。
補足
次の理解が正しいかどうか確認していただけないでしょうか。 >「一週間どころか一ヶ月も休んだ」 上の文の話し手の意図は長い時間休んだということにある。「一週間どころか一日だって休んでない」でも正しい文である。この場合の話し手の意図は短い時間休んだということにある。 >「一ヶ月どころか一週間だって休んでない」 上の文の話し手の意図は短い時間休んだということにある。「一ヶ月どころか一年も休んだ」でも正しい文である。この場合の話し手の意図は長い時間休んだということにある。 以上の理解で間違いがありましたら、ぜひ教えてください。また、「どころではなく」と「どころか」の区別をつけるのはいまの私にとって、やはり難しいです。いまの段階で、文中にあるなら同じものだと理解してもよろしいでしょうか。また、文中の使い方としては、「どころではなく」より、やはり「どころか」のほうが一般的ですね。「どころではない」は文末に使うのが多いですね。
No.10,12です。 回答した後で気になったのでもう一言。 No.12で 中秋節に月を眺める習慣はなくなるわけにはいかない。 →中秋節に月を眺める習慣をなくすわけにはいかない と書きました。直後の文の「伝統を受け継ぐのは大切なことである」から推測し、このように書きましたが、もしかして「中秋節に月を眺める習慣がなくなるわけではない」の意味だったでしょうか。 ニュアンスとしては「月を眺める習慣をなくすわけにはいかない」は時代は変わっても、伝統を変えてはいけない、月を眺める習慣をなくしてはいけない、この習慣を受け継がなければならない等の意味で、「月を眺める習慣がなくなるわけではない」となると、時代は変わったが、月を眺めなくなったということではない=今でも昔のように月を眺める習慣が残っている。に近い意味です。
お礼
度々ありがとうございます。「がなくなるわけではない」でもできそうですね。ただ、「をなくすわけにはいかない」が私の表したかった意味です。この2つの表現の違いがよく理解できました。 何度もご親切に説明していただきまして本当にありがとうございました。
- shigure136
- ベストアンサー率37% (278/744)
awayuki_ch さん、こんにちは。 かなりの長文ですが頑張りましたね。 Awayuki_ch さん、こんにちは。 長文へのチャレンジ、かなり頑張りましたね。 もう一息、いえ、もう二息でちゃんとした日本語になると思います。 今回の作文の中で「変なところ」を先に列挙します。 1.私はお月様の穏やかな目線に迎え、仰いでいる」 2.リモコンを置いて窓際に近づけていった。 3.現代人の生活は昔と違って、だいぶ変わってきた。 4.習慣はなくなるわけにはいかない。 5.家族全員が囲んで座って、 6.食べたくないどころではなく、 7.家族の人とも一緒に過ごさなかった自分自身はとても恥かしかった。 8.あの白玉皿により近づけようと思って、 9.9年ぶりに一番大きな月を見ることができる。 細かな所はまだありますが、上記の九箇所は日本語として「変なところ」ですから、最初に指摘させて頂きました。 1の文章は意味が通じません。 ★「目線に迎え」とは何を迎えるのでしょうか。 「私は月を仰ぎ見ている」のです。そのお月様は穏やかな目線を持っているわけですが、その目線に迎え(られ)とでもすれば何となくつながりますが、この「迎え」で切ってしまうと文意が理解できなくなります。 2の文章は、多分「近づいていった」のことだと思います。 ★「近づけていった」を使うのであれば、「リモコンを置いて窓際に○○を近づけていった」のように、近づけていく「何か」を記さないとなりません。 3の文章は「昔と違って」と「だいぶ変わってきた」が同じことを表現していますので、どちらか一方でよいのです。 ★【現代の生活は昔と違ってきている。】とか、「現代の生活は昔とはだいぶ変わってきた」とか。 4の文章は「習慣をなくすわけにはいかない」か、「習慣はなくなるわけはない」のいずれかだと思います。 ★「なくなるわけにはいかない」という表現は、自分の意思を表現する場合、例えば、「俺の命がここでなくなるわけにはいかない」などのように、自分の意思でどうにでもなるようなものに対する思いを表明するような場合には使えます。「習慣」などのようなものは、「習慣」というものを「なくすわけにはいかない」「なくなるわけがない」などとなります。 5の文章は「家族全員が○○を囲んで座って」と囲むものを入れるほうが良いと思います。 ★「家族全員が月餅を囲んで座る」とか、「家族全員がお膳を囲んで座る」などなど。 6の文章は、「食べたくないどころではなく」ではなく、「食べたくないばかりか」のように「ばかりか」の方が良いと思います。 ★「食べたくないどころではなく」の後には、「目にするものを片っ端から平らげた」とか、「ひとつ残らず食べてしまった」などが来ます。 7の文章は、「家族の人とも一緒に過ごさなかった自分自身はとても恥かしかった。」は、「家族とも一緒に過ごそうとしなかった自分自身がとても恥かしかった」の方が良いと思います。 ★「自分自身」「は」とすると、そこには「恥かしかった」ではなく、「恥かしい人間だ」などと「自分自身を表す名詞」が来ます。 ★「恥かしかった」と結ぶのであれば、「自分自身が」と「が」を使います。 8の文章は、「あの白玉皿により近づこうと思って」とすべきです。 ★「近づけよう」を使うのであれば「○○を近づけよう」と何を近づけようとしているのか、○○が入らないとなりません。ここでは、白玉皿に近づけようとしたのは自分自身ですから、「私を近づけようとして」となりますが、それはとりもなおさず、「近づこうとして」という表現になるのです。 9の文章は、「9年ぶりに」「一番大きな月」「を見る」となると、「一番大きな月」がいくつもあることになります。 ★「9年ぶりに○○より大きな月を見ることになる」など、「一番大きな」でなければ問題はありません。 ★「一番大きな月」という表現を使うのであれば、「ここ9年間では一番大きな月を見ることが出来る」などとして、「ある一定期間の中での最大」という使い方にしないとなりません。 では、私なりに添削を加えた文章を作成してみました。 友人と食事をしてから家に帰った。 父と母はすでに食事をすませたらしく、ソファーに座ってテレビを観ていた。 「お台所に月餅が置いてあるわよ。今日は中秋節だから食べるといいわ」と母が言った。 「また月餅か!最近、月餅ばっかり食べているから今日はパスするよ」と言いながら、私は自分の部屋に入るとすぐにテレビをつけた。 「気象専門家の話によると、今年の中秋節は月の運行軌道が地球に最も接近するので、この9年間の中では一番大きな月を見ることが出来そうです・・・」とのニュースが映し出されていた。 そのニュースを見ながら窓の外に目を向けた私は、「あっ、あった」と思わず小さな声を出していた。すぐに右手に持っていたリモコンをテーブルの上に置いて窓際に近づいて行った。 夜空のスクリーンに、一輪の花のように浮かんだ月は、まるで白玉で出来たお皿のように純白で汚れのない姿をしていた。 田舎の夜道で、後も先も分からないような闇の中を手探りで歩いている人は、この月の光のおかげで、行く手が見えるようになるだろう。また、うっかり針を落としてしまったお婆ちゃんも、この月の光のおかげで、落とした針を見つけることが出来るだろう。 月は自分で光を発することは出来ないが、太陽から受けた光で、私心なく人間の世界を照らしてくれている。月の光を浴びている私達は、このお月様に感謝すべきであろう。 あの白玉皿のようなお月様にもっと近づこうと思って、私は思わず窓から身を乗り出していた。窓の外には私を見下ろしているお月様があった。私はお月様の穏やかな視線を受けながら、夜空を仰ぎ見ていた。星ひとつ無い暗くて寂しい夜空から、私達人間の世界を見下ろしているお月様、あなたは本当は寂しいのではないでしょうか。お月様は黙って微笑んでいるばかりだが、やさしい目で私を見つめてくれている。 現代の生活は昔とは違ってしまっている。そうは言っても中秋節に月を眺める習慣をなくすわけにはいかない。伝統を受け継いでゆくのは大切なことである。 また、月見をきっかけに、家族全員が月餅を囲んで座り、談笑する光景は何と温かい一家団欒の一場面であろうか。 中秋節なのに月餅ひとつも食べないばかりか、月見もせず、家族と一緒に過ごそうともしなかった自分自身がとても恥かしく思えた。 私は反省しながら部屋を出ると、台所に寄って月餅を持って父と母の部屋のドアを「トントン」と二回ノックしてみた。 「はーい」と中から母の嬉しそうな声が聞こえてきた。
お礼
shigure136さん、こんにちは。一つ一つご親切に教えていただき誠にありがとうございます。また、全文の添削例を書いていただいてとても感動です。文と文のつながり、単語の使い方は一目瞭然で、とても参考になりました。「食事をすませる」、「ニュースが映し出されていた」、「談笑する光景」などはとてもいいですね。 本当にありがとうございました。私は精一杯頑張ります!
補足
>「目線に迎え」とは何を迎えるのでしょうか。 たぶんこの「迎える」は中国語に影響されたのです。「を受ける」、「に向かう」、「に応える」のつもりでした。日本語の「迎える」には、このような使い方がないと気づきました。 >「なくなるわけにはいかない」という表現は、自分の意思を表現する場合、例えば、「俺の命がここでなくなるわけにはいかない」などのように、自分の意思でどうにでもなるようなものに対する思いを表明するような場合には使えます。 上の文の中の「どうにでも」はどういう意味でしょうか。 >>現代の生活は昔と違って、だいぶ変わってきた。そうかといって、中秋節に月を眺める習慣はなくなるわけにはいかない。 >現代の生活は昔とは違ってしまっている。そうは言っても中秋節に月を眺める習慣をなくすわけにはいかない。 私の「そうかといって」は自然なのでしょうか。shigure136さんの「そうはいっても」の例文をもう少しいただけないでしょうか。今回の第四段落は間違いだらけですね。私は論説文がとても苦手なので、これからこのような文章も少し練習してみようと思います。 >中秋節なのに月餅ひとつも食べないばかりか、月見もせず、家族と一緒に過ごそうともしなかった自分自身がとても恥かしく思えた。 この文の書き方は全文で一番困っています。shigure136さんの書き方はとても参考になりました。お聞きしたいのですが、なぜ文末は「思った」ではなく、「思うことができた」の「思えた」という形になっているのでしょうか。「思えた」という形は確かによく見かけますが、自分ではまだ使えません。私が書くなら、絶対「思った」と書きます。「思えた」のニュアンスを教えていただけないでしょうか。 >6の文章は、「食べたくないどころではなく」ではなく、「食べたくないばかりか」のように「ばかりか」の方が良いと思います。 ★「食べたくないどころではなく」の後には、「目にするものを片っ端から平らげた」とか、「ひとつ残らず食べてしまった」などが来ます。 「どころではない」を使いたかったのですが、やはりまだ自分の文章の中では生かせません。私は「どころか」のつもりで、使ったのです。確認していただきたいのですが、「Aどころなく、B」=「Aどころか、B」という考え方でよろしいでしょうか。「食べたくないどころではなく、見るだけでは気持ちが悪い」という文は正しいと思われますか。
No.10です。続きの文の回答です。 >中秋節に月を眺める習慣はなくなるわけにはいかない。 →中秋節に月を眺める習慣をなくすわけにはいかない >月餅1つも食べたくないどころではなく、月見もしない、しかも、家族の人とも一緒に過ごさなかった自分自身はとても恥ずかしかった。 →月餅1つも食べたくないどころか、月見すらせず、しかも、家族の人とも一緒に過ごさなかった自分自身がとても恥ずかしかった 反省しながら、自分の部屋から出て、台所の月餅を取りにいってきて、父と母の部屋のドアを「トントン」と二回ノックしてみた。 動作がだらだらと続いて、~しながら~して~して~した。とすっきりしない文章になっているので、どこかで切ってみてはいかがでしょうか。
お礼
再びありがとうございます。「月餅1つも食べたくないどころではなく、月見もしない、しかも、家族の人とも一緒に過ごさなかった自分自身はとても恥ずかしかった」という文の書き方は全文で一番困っています。書き方を教えていただき非常に助かりました。「て」の問題と「わけにはいかない」という表現の前に来る部分に今後は気をつけます。 心より厚くお礼申し上げます。
- damdamdam5656
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1行目 夕食が終わったようだ。→夕食を終えているようだ。 1行目 月餅が置いてあったよ。→月餅を置いてあるよ。 4行目 月が一番近いところまで運行してきたので→月の軌道が最接近しているので 5行目 目線→視線 6行目 近づけていった。→近づいていった。 11行目 より近づけようと思って。→より近づこうと思って 12行目 目線に迎え、仰いでいる。→まなざしを、仰ぎ見ている。 13行目 あたなは→あなたは 14行目 なくなるわけにはいかない。→なくなるわけではない。 15行目 家族全員が囲んで座って→家族全員で座を囲み で、どうでしょうか。 それにしても、文才がありますね。 外国の方とは思えない表現力です。
お礼
ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。一目瞭然で理解しやすいと思いました。大変参考になりました。 励ましていただき本当にありがとうございました。日本語の勉強、頑張ります!
>父と母はすでに夕食が終わったようだ。 「すでに」や「もう」などと組み合わせときは、「終わっていたようだ」とするほうが自然です。 例 父と母はすでに夕食が終わっていたようだ 父と母はちょうど夕食が終わったようだ 父と母はたった今夕食が終わったようだ >台所の台には月餅が置いてあったよ。 もし、この月餅が、母の置いたものであるなら「置いてあったよ」よりも、「置いておいたよ」口語なら「置いといたよ」が自然です。 「置いてあったよ」は誰が買ってきたのかわからないけどそこにあったという印象です。 >自分の部屋に潜り込んで 部屋に対して潜るという表現はあまり使いませんね。 水に潜る、布団に潜る、コタツに潜るなど、頭を隠すようにすっぽりと入り込むときに使います。 普通に「自分の部屋に戻って」などでよいのではないでしょうか。 >今年の中秋節は月が地球に一番近いところまで運行してきたので、9年ぶりに一番大きな月を見ることが出来るそうです ここは難しいですね。色々な言い回しがあると思いますが、私なら、 「今年の中秋節は月が地球に最も接近し、9年ぶりに大きな月を見ることが出来ます。」 とします。 >ニュースが流れはじめてきて、思わず窓の外へ目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて ニュースが流れはじめてきて、思わず窓の外へ目線を移した。「あっ、あった」とリモコンを置いて >窓際に近づけていった。 →窓際に近づいていった >夜空の幕に一輪の月が静かにかかっている。 →輪という表現はリング、つまり真ん中がくりぬけている丸いもののイメージです。なので月の回りに輪がかかっているという表現は使いますが、月そのものの表現としては使わないです。 >月は自ら発光できないが、太陽から受けた光を私心がなく、その光を人間の世界に降り注いでいる。 この文の主語は月、述語は降り注いでいるとなるので、「私心がなく」には「が」は入れないほうが自然 「光を」が重複しているので、2回目の「光を」は不要。もしくは強調したくて2度入れた場合ならば「その光を」を先に持ってくる 例 太陽から受けた光を私心なく人間の世界に降り注いでいる 太陽から受けたその光を私心なく人間の世界に降り注いでいる > あの白玉皿により近づけようと思って、 近づけようと→近づこうと 先ほどにも「近づく」「近づける」の表現がありましたが自分が近くに行く場合は「近づく」自分が何かを近くに移動させる場合は「近づける」を使います。 >思わず窓から頭をつきだした。 →思わず窓から体を乗り出した。 >窓の外に、お月様は私を見下ろしている →窓の外では… >穏やかな目線に迎え、仰いでいる。 →穏やかな目線に迎えられ、この空を仰いでいる。 「迎え、」と使う場合は「~を迎え」ですが、この場合は迎えられる立場なので上記の表現がいいと思います。 以上です。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。とても理解しやすいと思いました。特に、「月は自ら発光できないが、太陽から受けた光を私心がなく、その光を人間の世界に降り注いでいる」という文の書き方はとても助かりました。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
補足
>部屋に対して潜るという表現はあまり使いませんね。 「潜り込む」という表現についてですが、もともとは「入る」と書きましたが、「月餅はもう嫌」という気持を表現したかったので、「潜り込む」に直しました。やはり不適切なのですね。
- osi_nari
- ベストアンサー率43% (193/441)
>月餅が置いてあったよ。 これは、お母さんが置いたのでしょうか? 例えば誰か知らない人が置いていったのをお母さんが 発見して、「置いてあったよ」というのは自然な日本語ですが、 お母さん自身が月餅を置いたのであれば、「置いておいたよ」または「置いてあるよ」と来るのが普通です。 「置いておいたよ」というのは「自分が置いた。今もあるかどうかはわからない」・・・だいぶ前に確認した話 「置いてあるよ」のほうは「(お母さん自身も含めて)誰かが置いた。確かに今もある」・・・ついさっき確認した話 「置いてあったよ」は、「お母さん自身も含めて)誰かが置いた。今もあるかどうかはわからない」・・・だいぶ前に確認した話 以上のように、微妙に違いますので使い分けてください。 >潜り込んで とても狭いイメージで、外界と遮断された所に入るイメージがある言葉です。例えば、朝日を避けて布団に潜り込んだり、犯罪を追って組織に潜り込んだり、というように、良いイメージの言葉ではありません。 それを狙って使っているのなら良いのですが、特に意味が無いのであれば「入って」で充分でしょう。 「月餅はもう嫌」という気持を表現したいのなら、「逃げ込んで」の方が一般的ですね。 あとは、「そそくさと部屋に入り、TVを~」「素通りして部屋に入り、TVを~」というように、「部屋に入る」の前に飾る言葉をつけるのも良いですね。 >思わず窓の外へ目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて窓際に近づけていった。 これ、このままだと、「リモコンを」「近づけていった」という意味に読めます。 まず、「近づけていった」は、あまり自分の体には使いません。自分の意志で何かを動かした、という意味合いで使います。 自分の体に使いたいときは、「(私は)身を近づけていった」というように、自分の(強い)意志で、自分の身体を動かした、という意味の文章の時に使いましょう。 簡単にするなら、「近付いていった」とすれば良いです。これで、主語が誰なのかわかります。 >目線を移したら、「あっ、あった」とリモコンを置いて この部分も、言いたい事はわかるのですが、変です。 「誰が?」「何故?」という部分が全くわかりません。 目線を移したら・・・自分の目に見えている風景の描写 リモコンを置いて・・・自分の目に見えている「誰か」の行動? と、混乱する文章になってしまっています。 例えば、ですが、 目線を移した・・・行動 ら・・・転換 月が見えた・・・風景 ので・・・転換 「あっ、あった」とリモコンを置いて・・・行動 というように、行動と風景(理由)を分けましょう。 ※他人の行動を描写するときは、無理に分けなくても良いです。 >あの白玉皿により近づけようと これも先ほどの「近づいていった」と同じです。 「近づこうと」のほうが一般的です。 >目線に迎え 目線「を」迎え、のほうが正しいですね。 でも日本語ではあまり使わない言い回しです。 意志を持ってお月様の目を見るなら、「目線に応え」とか 正面に相対している状態を表したいなら「目線に向かい、」とかの方がしっくり来ます。 余談ですが・・・ 「白玉」(しらたま)と言われると、日本人は「白玉団子」を思い浮かべます。 最初に宝石の「玉」を思い浮かべる人は少ないです。 面白いですね。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。 「おいてあった」の一連の表現は難しいですね。なんとなく分かりました。 「潜り込む」についてですが、もともとは「入る」にしたのですが、「月餅はもう嫌」という気持を表現したかったので、「入る」だけなら不満足でした。「逃げ込んで」がまさに私の表したかった意味です。いただきます。「そそくさ」、「素通り」などの表現も覚えておきます。 「近づく」と「近づける」の違いがよく分かりました。 「目線に応え」、「目線に向かい」はとても満足でした。私の表したかった意味です。 大変参考になりました。本当にありがとうございました。
補足
>目線を移した・・・行動 ら・・・転換 月が見えた・・・風景 ので・・・転換 「あっ、あった」とリモコンを置いて・・・行動 というように、行動と風景(理由)を分けましょう。 ※他人の行動を描写するときは、無理に分けなくても良いです。 申し訳ありませんが、上に引用させていただいたご回答はよく理解できていません。『「気象専門家の話によると、今年の中秋節は月が地球に一番近いところまで運行してきたので、9年ぶりに一番大きな月を見ることが出来るそうです」というテレビのニュースを聞いた途端(見た途端)、思わずテレビに向けていた目を窓の外に変え、月を探そうと思った。ちょうど窓の外の月が見える範囲にあったので、何の探す苦労もせずに順調に見た。もっとはっきりとその月を見たいので、リモコンを置いて、窓際に近づいた」ということを表したかったのです。よろしければ、もう一度説明していただけないでしょうか。 >「白玉」(しらたま)と言われると、日本人は「白玉団子」を思い浮かべます。 私は「白玉」という食べ物があるのを知りませんでした。名前だけ聞くとおいしそうです。「白玉皿」の出典は中国の漢詩です。昔、月を「白玉皿」にたとえる詩句がありました。「白い玉のお皿」あるいは「玉のお皿」はいかがでしょうか。まだ食べ物の「白玉団子」を連想させるのでしょうか。
- 1
- 2
お礼
毎度お世話になります。 とても詳しくご親切に教えていただき誠にありがとうございます。どこが間違っているのか、よく分かりました。「夜の帳」、「夜のしじま」などのきれいな表現を教えていただきとても嬉しいです。日本では月を磁器に例えるのが多いのですね。質問文の添削にも感謝いたします。これからは気をつけるようにします。「は」と「が」についての認識はまた前へ一方進みました。大変参考になりました。 心より厚くお礼申し上げます。
補足
15についてもう少しお伺いします。 >b.『月餅ひとつ食べるではなく』とすると自然でしょう。 ここの「は」は「も」のタイプミスでしょうか。その前の文は「でもなく」について述べておられましたので、気になりました。それとも「でもなく」のほかに、「ではなく」という形もあるのでしょうか。「でもなく」は手元の本で見つけられませんでした。前に普通最小限の単位(たとえば、1つ、1冊、1分、1円などなど)が来るのでしょうか。 >c,【○○どころではなく△△】は、 「○○する可能性など全く無くて、もっと簡単な△△すらしない(できない)」という意味を表わしますから、この場面では使いません。 そうのようですね。私はどれを○○に入れるのか、どれを△△に入れるのか、迷っていました。 >「○○する可能性など全く無くて、もっと簡単な△△すらしない(できない)」という意味を表わしますから、この場面では使いません。 手元の本には「一週間どころではなく、一ヶ月も休んだ」と「知っているどころではない。恋人としても半年も付き合ったことがある」という例文があります。中国人が編集した本なので、参考にならないかもしれません。いま気づいたのはたぶん「一週間休んだ」や「知っている」は実際したことではないから、こんな言い方があるかもしれません。でも、私の「月餅1つも食べたくない」は実際したことなので、不適切なのですね。 >『歯が痛くて、月餅(を食べる)どころではなく水すら飲めない』などであれば自然です。 この文は「どころか」なら、だめですか。 >『月餅ひとつ食べる【どころか】月見もしない』 この文は「どころではなく」なら、だめですか。でも、「どころか」を使っても、私はたぶん「月餅ひとつ食べる」のところで「月餅ひとつ食べない」と書きます。 次は日本人編集者が編集した本から抜粋した内容です。私はたぶん1と2の使い方を一緒にしているようで、行き詰まっているのです。 「AどころかB 1、Aはもちろん、もっと程度の重い(軽い)Bも。 ●この製品はアジア諸国どころか遠い南米やアフリカにまで輸出されている。 ●うちの父はお酒はまったくだめで、ウイスキーどころかビールも飲めない。 ●隣の部屋に住む人は出会っても話をするどころか、あいさつもしない。 2.Aなんてとんでもない、事実はBだ。 ★「Aを完全に否定して、事実はその正反対だ」と言いたいときに使う。 ●タクシーで行ったら道が込んでいて、早く着くどころかかえって30分も遅刻してしまった。 ●休日に子どもづれて遊園地に出かけるのは、楽しいどころか苦しみ苦しみ半分だ。 ● A:先日お貸しした本、どうでしたか。退屈だったんじゃありませんか。 B:退屈どころか寝るのも忘れてしまいましたよ。」 とても知りたいのですが、「Aどころなく、B」=「Aどころか、B」という考え方でよろしいのでしょうか。もともと「どころか」を使うつもりでしたが、「どころではなく」と「どころか」は同じだと思っているので、「どころではなく」を使いました。「食べたくないどころではなく、見るだけでは気持ちが悪い」という文は正しいと思われますか。