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「座禅を組む人」に象徴されるものとは?

「座禅を組む人」に象徴されるものとは何でしょうか。  例えば、箱は子宮、水は生命、鳥は自由、悪魔は死、卵は生、の象徴といったような感じで。

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noname#2287
noname#2287
回答No.2

回答の前に、質問文中に「箱は子宮・悪魔は死・卵は生の象徴」とありますがよく解りません。「夢」「絵の主題」など、精神分析的な象徴でしょうか?(ユングでもフロイトでも)「鳥は自由」は或る程度普遍的でしょうが、「水は生命」「卵は生」の象徴でしょうか? 例えばの例が「アフリカ」でも同様な意味合いとしても、「座禅を組む人」は解釈不能でしょう。象徴は「文化」に根ざすからです。 その意味で、ユング派に正面きって反論はしませんが、「集合意識」を「人間=ホモ・サピエンス」に共通してるとは思いませんので。 さて「座禅を組む人」は、「絵画」にもっとも多く登場します。(箱・水などと違い、状況的・シチュエーションなのでエンブレム的意味の象徴にならない。記号や記章に「座禅を…」の例はまず無いのでは?) 2次元上での(絵画など)表現で「座禅を組む人」は、普通は、高僧・高僧の人物画・修行中の僧と、単純には取れます。仏教の一派で「弟子に教えを継がせる」際のアイテム的扱い(師資相承)、日常生活で埋没せず「自省を忘れない」戒めの「契機・促し機能」の役目などかな。 稀に「腕が失って座禅を…」などの例は、特定僧(達磨)の逸話以外に「教訓」「絵解き」効果もありますね。 もし、「座禅を組む人」が「紋章的」に街中で見かけるとしましょう。直接には「些事に振回されず心身を落ち着けよ」との思考喚起は当然として、「象徴」「隠された意味」があるでしょうか?しかも「座禅」と離れた「意外な象徴的意味合い」が? もし、「九牛図」のように(1枚でも)疑問が湧く箇所が「座禅を…」にあれば違うでしょうが、例えば、長髪・指が無い・額に目がある・舌を出してる・全体が何度か回転した構図などの仏教的解釈可能な部分以外があればです。(仏教的解釈可能とは:口から何か出ている→「読経が阿弥陀仏となってる。一向宗」などです) 結局不勉強で解りません。(精神分析医なら一言あるでしょうが)本当に「何も答えられずすいませんでした」 P.S.雪の庭の木の上で座禅を組む僧の死体が冒頭で登場する小説「鉄鼠の檻」は読まれましたか?禅の知識で知らない事がたくさんあり、個人的に為になりました。(ミステリとしても☆☆☆☆☆・星5つの評価!)

noname#5149
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 言葉足らずな質問でしたのでやや誤解があったかもしれませんが、あえて意図的に 上記のような質問文に致しました。お許しくださいませ。  絵画の中の「座禅を組む人」の部分の一連は、興味深く大変参考になりました。 ミステリ小説は苦手なのですが、「鉄鼠の檻」は、ぜひ、図書館に出向いた際にでも手に取ってみようと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

noname#2287
noname#2287
回答No.3

2回目の回答は初めて。(出来るのかな?)「質問文をあえて…」とあり、時間潰しに文字埋め。 紹介した本は「京極夏彦」です。 名前は、ご存知ですか?知らないなら「あなたはかなり立派な方です。」(皮肉じゃなく本心から) 「鉄鼠の檻」はミステリといえば否定はしないが、謎解き や「探偵が一同集めてさてと言い」的内容とは、無縁です。一番そういうミステリっポイのは第2作の「魍魎の凾」のみ。笑っちゃうのがテレビ(部屋に無い・音声のみ聴いてる)で「陰陽師」(ブームの影響)が登場するのは構わないけど、セリフが「…ふるへ…」とどう考えてもこの本からのパクリをやってる事。 あと、回答に「無」とありましたが、個人的にはとてもそうは、思えません。むしろ「迷い」「到らない現状」が自分の常態とオーバーラップして連想されます。オッと連想では無く、象徴でしたね。 象徴なら余計に「無」は拙い。もし、目前に「座禅を組む人」がいて、そこから「無」が在ると感じるならその「人」は「全然座禅も悟りに程遠い」でしょう。 参禅中に「無」でさえ連想するなら「禅」になっていない。「何もない」「連想・心に浮かぶ感情さえ無い事もある事も無い状態」「脳内をよぎる全てが、在りかつ無いとの判断さえつかない」のが、『座禅中の最低限度』の基本でしょう。(この点、瞑想と同等視する西洋人批判が鉄鼠の檻にも出て来ます。) 禅の意味を考慮するなら、「座禅を組む人」に象徴される様では、「未だ到らず」でしょう。などと 禅の意味を…と上記の文の様な考えを持つ事自体が「そもそも禅では無い」(ここではトートロジーには陥らないはず) 「鉄鼠の檻」にこだわれば、「言語にならないのが禅」で「禅は脳波測定ごときで揺るぐものでは無い!」と決めゼリフがあります。(その前に禅宗の歴史を延々10ページも中善寺が説明しますが) 個人的に禅を初めて知ったのは、「夢十夜」by夏目漱石です。(作中に趙州曰く無と…)と出てきましたね。 その後、高校の頃に「碧巌録」など読むも、『鉄鼠の檻』を読む時と受験時に役立った位で、未だ、「教説の何たるかを理解せず」のまんま。 象徴と瞑想と無意識が3点セット扱いなら、その瞑想と「禅」を関連付けは、大きな誤りでしょう。 P.S.おまけ:「座禅を組む人に象徴されるものとはこれ如何に?」師曰く「無。」「私が座禅を組む人なら無に到るのでしょうか?」師曰く「否。禅と無に関係など無い。」「では何故象徴されるのが無なのですか?」師答えず弟子の額に「無」と墨で記すのみ。弟子がうろたえると「ひたいの字を己で読めるならお前は無だ。その墨が消える前に、おうけいウェブにて参禅出来れば仏性を悟るだろう。」(ウームかなりの駄作だ。失敗です。もうそろそろ禅寺では、朝の読経が始まる時間、所詮『拈華微笑』に到る器では無い私でした。)

noname#5149
質問者

お礼

 そろそろ締め切ろうかと思ってやって来ましたら…あら、回答が1件増えている…。  2度ものご回答、しかも今回は「時間潰し」ということで、大変嬉しいです。時間潰しにもならないような女でいてはダメですものね…ちょっと違うようですが、時間潰しができたなら、ほんと、嬉しゅうございます(笑)。  質問文を短くしたのは、一応「象徴」とは書きましたが、象徴でも連想でも、どちらでもよく、普遍的でも個人的でもよく、また、実際にシンボルとして何かあれば、それはそれでよかったので、そうしました。  「迷い」というのもいいですね。いい得ていると思いました。あるいは、この質問の回答が少なかったことが何よりの回答だと思います。  Bareninnoさんには、たっぷり遊んで?いただき(私が)、#1のnami033さんには、短いながらも的を射た言葉をいただきました。とても「いい感じ」を御二方から与えてもらいました。【京極夏彦】についても知りました(笑)。バシュラールの『水と夢--物質の想像力についての試論』は御存知でしょうか。「水は生命の象徴」を、裏付けではなく、後押ししてくれると思います。  Bareninnoさん、楽しい文をありがとうございました。  

noname#5149
質問者

補足

 Bareninnoさんの補足の欄をお借りしまして。  ポイントには大変悩みました。どちらのご回答も同じポイントです。ですが、振り分けなくてはなりません。付けない、というのはもったいないと思いましたので…。 御了承ください。 

noname#2662
noname#2662
回答No.1

私は「無(む)」だと思います。 無になることは非常に難しいと思いますが、 座禅を組むことで、日常から離れて無に近づくことが できるのでは、と思います。

noname#5149
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「無」。 そうですね。座禅を組む人からはその一字が連想されますね。「無」が象徴されているのではないかというnami033さんの個人的ご意見、大変参考になりました。 ありがとうございました。

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