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日本人のノリのわるさについて
適当な例でないかもしれません。 イギリスBBC製作の古代生物をCGで見せる特集番組がありました。今日ビデオでよく見てみたところ、古代セう物(巨大サソリとかクモとか両生類とか)が画面に近づいてきて、どうなるのかなと思っていると、テレビカメラ(それがある設定なのね)に攻撃したりしてカメラのレンズを割るという演出をやっているのです。これって一種のギャグですよね。ノリのよさを非常に感じます。日本製作のではこういうのはやらないようです。 総じて、日本の表現っていうのは西欧に比べてどうも弱いという印象を受けています。特に、ギャグ的なものが弱いです。 これはどういう心理特性とか社会性から由来しているのでしょうか?
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これ、私も長年ずーっと気になってたんですよ・・小さい頃から海外のTVや映画や本を見ることが多かったのですので。日本のはたいへんつまらないなぁという印象でした。たまに面白いのがあると思わず感動するほど!でしたね; それは何故か、というと少し長くなってしまうかもしれません。歴史と大いに関係しているからです。 まず、"笑い"自体が、それぞれの国によって違います。これは、分かりやすいと思います。"自由"な国ほど、笑いもオープンだと思います。たとえば、北朝鮮・・・独裁政権のような場所、とてもひどい貧困状態の中。人々がジョークを言い合って笑い合うのは想像しにくいと思います。ジョークもあるかもしれませんし笑いもあるだろうけど、ユーモアのある生活は、平和な場所でなければできません。 ちょっと脱線しましたが、笑いのツボは国によって違います。ピリピリした雰囲気のところと、なごやかな場所、同じ事を言ってもウケるorウケないに分かれます。つまり、国の雰囲気というか、習慣というか・・が関係しているのでは、と。そして民族の雰囲気・習慣は、歴史によって作られます。というか、歴史を見ていけば分かります。 日本だって昔は上質なユーモアがあふれていました。こんな面白い国ないですよ、というくらい面白かったのです。それが日々の生活にあったんです。 しかし、約70年前に戦争が始まりました。軍が政権を握ってしまったのですから、もう"友好""穏和"という雰囲気ではありません。世界中に敵をつくり、ついには中国を植民地化してしまったことでアメリカ・イギリス・フランスから非難されます、そんなことやめろ、と。というわけで経済制裁がおこなわれたりして日本はどんどん孤立し、ついに真珠湾攻撃。これから戦争が始まりました。 戦争中、外国からの物資は経済制裁で止まっていて、自分らで作らねばならないのですが男たちは兵隊になって死んでゆきました。なので、生産力が下がります。ということで「贅沢は敵だ」などと言い、政府が"贅沢"を禁止します。この中にきっと"ユーモア"も含まれていたのだと思います。戦争中のピリピリした雰囲気の中で、日本の良き伝統は壊れ、ユーモアも死んだのではないでしょうか・・。 なにせ、当時イギリスでは首相や軍幹部など兵士を交えた報告会でもジョークが飛び交い、笑い声が聞こえていたそうです。日本ではありえないことでした。当時の日本で(政治的な)冗談を言う、なんて・・そんな事したら殺されるのは確実です。 だから、みんな言わなくなったのです。たとえ「ちょっとジョーク思いついた。言ってみようかな?」と思ったとしても、言わないでしょう。殺されるのが怖いから・・・・・というのを日本人は今でも引きずっている気がしてなりません。まだ、本当の意味で戦争が終わっていないというか、変な伝統?が続いているのが残念です。 まだ、本当の意味で自由じゃないんだと思います。「これはやらないほうがいいかな?」なんて、萎縮してるのです。のびのびした穏やかな、失敗さえ許されてしまうような和やかな雰囲気の国になれば、もっと自由の楽しさ、これこそ自由に表現できる喜びが実感できるのではないかと思います。 日本だって、元来はユーモアのある民族なのですから、これからの成長というか・・変化。それは楽しみですね。また、日本人の美的センスも"贅沢は敵だ"の中で滅びたものの一つです。今、日本のブランドや画家建築科ですごく評価されている人はいないか又は少ないです。何故か、美術のそれが欠けているからです。戦争前は、日本人の多くが持って生まれた繊細な感覚を使って生活してましたので、生活自体に味(美)があったんです。タンス一つでも可愛いとか。 でもそれも滅んだ。でも日本人はやはり、可愛いモノ、本当に美しいものが好きですから、海外物に現在は走っていますね。ジョークだって、ホンモノの面白さを知っている人はそちらを好んで見たり読んだり聴いています。だから、日本のエンターティメント業界が活性化しないのかもしれないですけど。若い自由な発想の人たちが、日本を良く変えていってくれることを願っていますが・・
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- kouun-takamura
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例に挙げられているようなユーモアは、日本では面白くないと感じる人が多いのです。つまり、センスが無いと。 映像表現における約束事を破って笑わせようとする手法ですね。うまく使えば面白くなるのですが、下手すると視聴者を冷めさせてしまいます。 日本に紹介される海外番組は、膨大な中から特に面白い、レベルの高い物です。すべての番組がそのレベルで作られているわけではありません。 米国の大学に通っていたハーフの知人が言っていたのですが、アメリカのバラエティー番組はまったく面白くないそうです。 西欧の厳選された高品質の表現と、日本の身の回りにあふれている表現とを比較してしまってませんか? 人種や宗教が多様な欧米では、わかりやすい表現が求められるという事情もあります。 それに比べ、日本はお互いに同じ言語同じ文化を共有していると言うことで、より繊細な、というか仲間うち向けのユーモアになります。 あと、日本語は音の数が少なく、同音異義語が非常に多いのです。だから、掛けことばや駄洒落が発達しました。ビジュアル的なユーモアではなく、言葉によるユーモアということです。共通の言語内でしか通用しないのですが、日本語独自の面白さがあります。 狂言や落語はどのくらいご存知ですか? 「半鐘はだめだオジャンになる」というオチの落語が何かわかりますか?(基本中の基本ですが) 狂言というのは、ちょっと長めのコントですね。チャプリンやキートン張りに動きの派手な狂言もあります。 狂言・落語・漫才・漫談・藤山寛美の松竹新喜劇や吉本新喜劇など、日本で独自の発展を遂げたお笑い表現が多数あります。 こんなに多様なユーモア表現があるのに、日本はユーモアが弱いって言ってしまうのはちょっと変かなって思います。 しかし、狂言や落語が過去のものになろうとしている現状は大問題ですね。
お礼
駄洒落は西洋にも同様に盛んだと思いますよ。「不思議の国のアリス」など一例ですけど、垣間見る思いがします。 私はちょっとフランス旅行でテレビを何気なく見ていて、全体の「ノリ」が健康的に日本よりもレヴェルアップしているのではないかという気がしました。それは社会背景が大きいと思います。いってもいい事の範囲が大きいようなのです。アナウンサーなどは奔放に話しますよね。 日本の伝統芸術には確かに優れた笑いの芸術性があるのでしょう。無知で知りません。しかしそれが日常的に出てこないのでは、ほとんど意味を成していません。 「半鐘はだめだ」は残念ながらわかりません。オチもわかりません。
補足
k半鐘が(おじゃん=火災のことのようです)に鳴る。 半鐘がだめになる みたいなことのようですね。 オジャンを辞書で引いたら、「金の音」を聞いて濃いと主人から言われて、「鐘の音」を聞きまくったという狂言があるようですけど、これは笑えそうですね。
- eroero1919
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これは私見なのですが、ユーモアというのは「緊張感をほぐす」っていう意味合いが大きいと思うんですよ。 元々ヨーロッパでは、上座は壁を背にした席です。これは「後ろから襲われないため」です。大切なお客様には銀の食器とワイングラスを用意するのが礼儀でした。銀はある種の毒物と化学反応して変色します。ジャケットのボタンが左に付いているのはナイフを持った右手を隠すためとという俗説があります。 あのオシム監督は試合後のインタビューで記者から試合でミスを犯した選手について質問が及んだとき「君は仕事をしていてミスを犯したことはないのか?」とその記者に聞きました。その記者はバツの悪そうに「・・・あります」と返答しました。するとオシムは「ミスは誰でもする。私だってミスをする」と言いっました。会場はきまずーい雰囲気に包まれました。そしてこう続けたのです。「でも一番ミスするのは・・・」「通訳だ!」と言いました。当然これは全て通訳の口から記者に伝えられます。会場は爆笑に包まれたそうです。 また、オシム監督出身のサラエボでは内戦で包囲されている中、ロクに食料も手に入らず、毎日殺されている人がいるのに「ミス包囲戦コンテスト」なるものが開催されたそうです。包囲下の絶望的な状況でもなんとか明るい話題を作ろうとしたのですね。 かつてレーガン大統領とゴルバチョフ書記長が首脳会談したときに、次第に交渉は難航し、てづまった雰囲気になったそうです。すると、いきなりレーガン大統領が立ち上がり、「みなさんはじめまして。私はレーガン、アメリカで大統領をやっております。ロンと呼んでください」と言ったそうです。レーガンのこの奇想天外な行動で会場の雰囲気は和み、交渉決裂は回避されたそうです。 日本でこれといったユーモアが発達しないのは日本人は言葉で気持ちを伝える習慣がないからだと思います。「以心伝心」「魚心あれば水心」なんて言葉もありますしね。 私が「日本人て嫌だなあ」と思うのは「真面目な席でユーモアをいうと怒り出す人が必ずいることです。「人が真面目なときに冗談を言うとはけしからん!」というわけです。あれは、なんとかならないんでしょうかねえ。 まあ、個性的であるより無難で普通であることが日本人にウケるために必要ですからねえ。フィットやカローラが売れるのはそういう理由だと思いますよ。
お礼
非常によくわかりました。だから、得手じゃない国民ですよね。 ご回答の例の「ユーモアを怒り出す」人って言うのは、笑えもしないっていうことですよね。つまりそっちの感受性もやられているってことですよね。これはよくありません。 日本全体をほぐしていく必要があるのではないでしょうか。
補足
方々でお世話になってますね。いつも的確なお答えで助かっています。
- IXTYS
- ベストアンサー率30% (965/3197)
私は日本人のユーモアのセンスを高く買っています。 室町時代に端を発する狂言に、類希なセンスを感じます。 長く続いた鎖国と、徳川幕府の圧政の中で窒息死してしまったのでしょうか。 私はそう思いません。 今でも連綿として生き続けています。 表向きは時の権力者に従っている風を装いながら、しっかりと自分を守って来たのです。 外と内を区別し、演じ分けるのです。 表向きは恭順を装い、おとなしくしています。 しかし、身内の集まりの中では、自分たちのユーモアのセンスを、余すところなく披露するのです。 そこは『無礼講』の世界なのです。 我が家を開放して、外国の人にホームスティを迎え入れています。 これまで百人近い人が滞在されました。 夕食の後、食卓を囲んで国際会議を何度も開いて来ました。 彼らは一応に日本人の宇宙観や人生観に驚きます。 僅か17文字で表現する長編小説である俳句の世界。 広大な宇宙を小さな鉢の中に閉じ込めてしまう盆栽の世界。 そこに彼らは類希な滑稽洒脱のセンスを見るのです。 歌舞伎役者のにらみにも軽妙で洒落たセンスを感じています。 日本人って、すごいなあって驚いています。 私たち、日本人はすごい国民ですよ。
お礼
確かに、伝統的に玄妙なものと同時に笑いもある民俗なのでしょう。ただ、今の状況は人の気持ちがなにか鬱屈しユーモアの発露がむずかいしという社会状況ではないでしょうか。 身内と外を分けるのというところで、すでに弱みがありますよね。それはやはり社会全体のユーモア化にはつながらないのではないでしょうか。 社会状況がもっと開放的になれば民族の笑いを発揮するのでしょうか。
- popesyu
- ベストアンサー率36% (1782/4883)
何か他の人へのお礼を読んでいるとテーマが拡散しているというか段々矛盾してきたような感がありますが。 確かにそもそも指摘されたお堅いテレビ番組でもちょっとした笑いを挟むセンスは日本には無いとは思います。 ただエスプリというのは馬鹿笑いを誘うものでもないし、そんな大袈裟にするものでもないですし。質問者さんの採点ではギャグとしては優位ではない控えめな笑いという部類になってしまいます。 日本人はエスプリセンスが弱いということが言いたいのか、最近の日本で流行っているような笑いがつまらん(これはこれで同意しますが)ということを言いたいのかで内容が変わってくると思います。後者の話はエスプリセンスとは関係なくないですかね。 小難しかったり、シュールだったり過激だったりなお笑いというジャンルは(流行っては全然いませんが)日本にも確立されていますし。表現の差というのは単にハリウッド映画とフランス映画と日本映画のどれが好みかという程度のものでしかないと思います。 あとまぁ身体を張った芸というものについては、言葉や歴史や人種や宗教の壁を乗り越えて、例えば電撃ネットワークがやっているような芸はどの国の人でも、なんて(良い意味で)おバカなんだろうとわかるというのはあります。そこには知的センスのかけらもありませんが、言葉なんか通じなくても誰もが分かるというのは逆に言えばそれは凄いことです(ちなみに「カメラのレンズを割るという演出」も内容的にはこの部類のもので、内容的には知的センスはありません。ただそのタイミングにあるだけです)。 ただこれはユーモアセンスというよりはサーカスやマジックに通じるものですのですので本論とは関係なくなってしまいますが。
お礼
両者はかかわりがあると思います。エスプリとギャグが分離しているとはとても思えません。 例えばお笑い映画ですけども、西洋のものは毒が強い。しかし強烈な徹底的な破壊力があるのです。これはエスプリが底流にあるからこそなんです。 私はエスプリのないギャグはギャグとはいえないと思っています。 カメラのレンズを割るという演出も私には西欧巨大文明のエスプリを源流に発していると思いました。つまり古代生物を撮影するものがいて、これを一種のワイドショー化しているという鳥瞰的な構図があるのです。また、マスコミ報道の過熱化によって、実際にカメラに暴力的になる人物の例のアナロジーかもしれません。
「日本人は一人だと猫、集団になると虎になる」といいますよ。 表現するのは苦手だけれども、 一致団結の力は他国に負けないでしょう。 愛国心、信仰心レベルになると全然ですが、 それも他国に従う必要は感じないです。 西洋の笑いは詳しくないですが、 なんとなく詰まっていて 無意味や合理的でない笑いは 日本人の得意技かもしれませんよ。 というか狙ってなくて真面目にやってるものほど よく考えたら滑稽なのかも。 ツッコミ所満載です。 根が明るいです、暢気だからです。 だから真面目も許しているのです? 「世界の日本人のジョーク集/早坂隆」では 日本人の真面目がギャクになってます。 哀愁の愛すべき日本人像です。 西洋はアレンジフラワーでも 花瓶一杯に花を生けるか、一輪挿しのようなものか。 英語の主語を必ずつける文法は 存在を意識しているようだし 身振り手振りで会話するのも 言語の補助手段としての効果を 目一杯狙ってるように感じます。 日本は少しのものでも楽しめるような 慎ましい分化がある。 日本の生け花でも懐石料理でも 空間や間合い等も 楽しんでますよね。 空思想があるからでしょうか。 「間」という空が奏でるもの。 無や闇が奥行きとか存在感を引き出すよう。 日本のお笑いも好きですし、 大阪のコテコテギャグを世界に 誰か広げてくれればいいのに。 日本も最近の教育番組だと ボケと突っ込みがあったり 爆笑問題さんとかお笑いの人が討論番組もしてますし 柔らかくなったな~と感じますよ。
お礼
控えめな笑いって言うのは、やはり「ギャグ」という性質上、あまりい優位とは思えないところです。やはり日本人の不得意分野ってありますけど、それなんじゃないかなと。 私はどうも、巷で聞く日本のお笑いに反応できません。
- 8942
- ベストアンサー率13% (188/1414)
日本人にとってscienせは外国の文化ですから 文化を遊んだり、ギャグにするってのは、その文化を自分のものしないと 出来ないのだと思います。 日本人にとってscienceとは外国の文化、まだ自分達の文化として その精神を自分の物にしていない。 だから、なかなかまじめに学ぶ事ばかりで、遊べないのではないでしょうか?
お礼
日本のサイエンスも150年位にはなるので、十分自己のものになっている気がするんですけど。まだ外来なんでしょうかね。
- luune21
- ベストアンサー率45% (747/1633)
私はそういうイギリス(系)人の感覚大好きですね。 それらは、イギリス人の「ウィット&アイロニー」、フランス人の「エスプリ」と呼ばれているものからきていると思います。 これらは個性尊重と呼ばれる泉から湧き出ているような気がします。この泉は、やはりギリシャ・ローマ文化とキリスト教の影響が大ではないでしょうか。これらの文化に共通するのは個の尊重です。「私もOK、あなたもOK」が基本です。個が尊重されるということは、逆にいえば、個を発揮させなければならないということにもなるでしょう。 機智や弁論術を発揮させることは、キリスト教文化のもとでは、国ぐるみ、家族ぐるみで生来育まれている教育環境にあると思われます。 また、この個尊重はエキセントリックへ向かう傾向なりやすようです。時にエキセントリックすぎて、東洋人にはついていけない人も多いと思います。 ほどよく、且つ優れたものばかり見ると、心酔してしまいますね。 http://proxy01.aitech.ac.jp/~yoshiga/WALES/film.html
お礼
「個」の尊重が、強烈なギャグの背景なんでしょうかね。確かにギャグっていうのは「同調」文化とは反対方向向いている要素が強いですから、当然得意分野になると思います。
- popesyu
- ベストアンサー率36% (1782/4883)
んーどうなんでしょうか。 笑いの質というか方向性は文化によるものですし。かつて電波少年という番組でダウンタウンの松本人志がアメリカ人を笑わせるという企画をやっていましたが、彼が評価したアメリカで受ける笑いというのはやはり分かりやすいドリフ的なものだというものでしたし。またアメリカンジョークなんてものは人種や宗教に対する知識がないとその半分も分からないですし。これはユーモア感覚が弱い強いというものではなく、社会性の特徴というものでしかないと思います。 で挙げられている例については、その特徴というものではなく、所謂ビジネスの面におけるユーモア感覚だと思います。例えば比較CMとかになればこれは日本のそれより圧倒的に面白いとは思いますが、それはユーモア感覚が優れているからというものではなく、ビジネス的価値観においてもおふざけが許されているかどうかというだけのことです。 日本ではそういうおふざけがが許されていないと言う指摘はその通りですが、ユーモア感覚がまるでないという訳ではないです。例えば欧米でもテレビ番組において圧倒的に高人気を誇っている日本発のバラエティー番組があることは事実ですし(風雲たけし城や料理の鉄人など)。ただ日本的価値観では最早それらはかなり古臭いものですよね。 ということでこれは別にノリという判断基準で評価するテーマではないでしょうと思うわけで。
お礼
ご指摘の例ですけど、そういう体当たり的なものってやはりどうも知的な面白さをオミットしているような気がして仕方ないんです。それを外人が笑うのは珍しいからかとも。 どうもその「知的」お笑い活動が底流にあるのかなと思ってしまうのです。 もちろんご指摘の、ビジネスの雰囲気で許されるかという問題と絡んでいるんでしょうけどね。
- sisimarudawan
- ベストアンサー率19% (349/1770)
日本の番組の構成などはどうなのか解らないのですが、 友達にコピーの仕事やデザインの仕事をしている人がいるのですが、彼等曰く「せっかくいいものを持って行っても、スポンサーの決定権を持つのが頭の固い体裁ばかり気にするオヤジなので、スマートな仕上がりも野暮ったく変えさせられたりする」 プレゼンがヘタな言い訳にも聞こえますが、そういう事が往々にあるそうです。 昔からNHKもBBCと組んだり、民放では出来ないだろうなぁ~と感心する番組多いですよ。 今はサラリーマンネオなんてかなり好きです。最高のノリだと思うのですが。
お礼
そうですか。頭痛いですね。 NO.5の方の回答とも照らし合わせて、やはりこの決定権者世代の戦争感とか社会観などが効いているんでしょうね。
- osi_nari
- ベストアンサー率43% (193/441)
そういった遊びの要素を入れることを、 「楽しんで仕事をしている」ととらえるか、 「ふざけている」ととらえるか、という 社会的な風土から来ているのではないでしょうか。 日本だったら「そんなオマケ入れてるくらいだったら、 その時間でもっとリアルに作れ!」と言われるかも知れません。 それでも隠し切れない遊び心とか、エロ的な部分なんかが 滲み出てるのが、また心をくすぐるので、個人的には 嫌いじゃないです。 日本語の隠語・慣用句・言い回しなどについては、 本当に知的レベルが高いと思いますよ。
お礼
遊び要素を認めるか認めないかの、社会的背景があるんでしょうね。 日本の慣用句ってそんなに上質ですかね。
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お礼
歴史的な考察、ありがとうございます。いちいちもっともだと思いました。 頭痛いし、耳イタイ話ですね。確かに、暗い時代を引きずってしまっている面は多分にあると思います。ただ前大戦はその現れであって、底のほうにはもうちょっと深い背景があるきがします。 ご指摘のイギリスでは対戦中もユーモアセンスがあったと。これは民族的な特質と、やはり歴史的に優位に立っていた大英帝国の力があるのだと思います。余裕なんですよね。いくらドイツに対して分が悪くても、実績という面で一枚上手であるという自負がある。 日本の明治維新から大戦終了までの歴史って、西欧の力にどうやって対抗しようか、その一点が最重要課題で、余裕なかったですよね。当然精神にもない。私見では、この70年くらいは綱渡りで来た歴史だと思っています。その後遺症が抜けきれないんですよね。