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人間っていうのはペシミストなんでしょうか?

適当でない例になってしまうかもしれません。 エイズ神経症関係の掲示板はずいぶん繁盛しているように見えました。それだけ自分の身に起こるかもしれない災難とか生命の危険には、非常に敏感な人が多いのだと思う。「心気症」の類でしょうか。そして悪徳商法の餌食になることも多いように思います。「不安」をあおるんですよね。 それに引き換え、いいことを重視することはあまりないです。例えば買った宝くじの番号が何番だから、当たりそうだとかとにかく起こりそうないいことを問題にしているのはまれに思われます。 これは人間が「悲観的」動物であることを暗示しているのでしょうか。それとも本能的に「生きる」ための傾向なのでしょうか。

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  • hakobulu
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回答No.2

捉え方の視点に依るのではないでしょうか。 どちらの場合もあるのではないか、ということですが。 大地震の直後には防災グッズが馬鹿売れしますが、喉元を過ぎた頃には、家具の転倒防止など基本的な安全策を講じることすらうっかりする人が増えそうな気がします。 大事故をニュースで知った後は制限時速を遵守する人が増えるでしょうし、しかし、その人も時間が立つにつれて時速オーバーに鈍感になっていくでしょう。 被害者側に問題がある(何らかの意味で法外な【得】を期待する)場合も多いでしょうが、ご質問の例のように弱者を食い物にするハゲタカのような悪徳商法が多いのは確かでしょう。 ただ、いずれにしても、煩悩としての「欲」に付け入るか、ペシミスティックな心理状況をうまく利用するかという業者側の非人間的な姿勢の現われに過ぎないのであって、一方のタイプの被害者側の状況から敷衍して全体を考えるのはやや強引な気がします。 「>起こりそうないいことを問題にしている」というのとは多少ニュアンスが違うかもしれませんが、 「起こると困ること」に対して非常に鈍感であるという点で、これほど楽観的な生き物はいないように思われます。 地球環境への無理解を初め、最近ではシュレッダーによる子供の指切断事件、回転ドアやエレベーター誤作動による死亡事件などなど・・・。 なぜ誰かが死なない限り適切な注意が向けられないのか。(死んでもまだ繰り返す愚かさについては語る気もしませんが) これほどオプティミスティックな生物も珍しい、という視点もまた可能だろうと思います。

noname#32495
質問者

お礼

確かにペシミズムとオプティミズム双方が同居していて、どちらも問題があります。例えば私も、誰かが援護射撃しているはずだと思って飛び出したら撃たれたとかそんなオプティミズムと、手を洗わないで食べると食中毒に一万分の一位の確率でなるとか、人の体液に触れたら感染症になるとか不要なペシミズムが同居している。これは「願い」なんでしょうね。生きること欲望、そういう業みたいなものに縛られているようです。

その他の回答 (1)

  • Diogenesis
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回答No.1

うつ病の人の確率判断はそうでない人に比べて中立的だという報告があります。 逆に言うと,健康な人の確率判断は楽観的な方向に歪んでいるらしいのです。 過去に当たりが多く出たという売り場に行列してまで宝くじを買う人たちや 自分だけは大丈夫と無防備な性交渉に耽った挙句,HIV感染を増加させている現状を見るに 少なくとも現代の日本人が全般的に「悲観的」とは思えません。 楽観的な生き方が広く薄く日常の中に浸透している中で いわゆる「図と地」の関係で悲観的な言説が浮き上がって目に付くのではないでしょうか。 まあ,うつ病患者の増大や自殺者数の高止まりを見ると, バブル崩壊以降,悲観的な人が増えていることは確かかもしれませんが。

noname#32495
質問者

お礼

そうですね。確かにそういうオプティミズムも蔓延しているようです。人間である以上、基準から外れた期待や反期待も致し方ないのでしょう。

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