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人間に人間のやったことがわかるのか
よく思うのです。 人間は、どうして、人を有罪と決め付けることが出来るのでしょうか。 おかしくないですか??いかなる証拠品が出てきたとしても、実際にその人が有罪だということが正しいことと証明できるわけではありません。もしかしたら、神様がその人の化身となっていっしゅんあらわれ、罪を犯して、すぐに雲散霧消したかもしれません。こんなことはありえないと、馬鹿にするでしょう。しかし、ではそのようなことがありえないとどのようにすれば証明できますか??もしかしたら、人間が知らない星でものすごく文明の発達した世界があって、そこのものすごい文明で以って、その人を有罪に仕立て上げたかもしれません。 確率は、0.000000001%以下かもしれませんが、0%にすることはできません。それなのにもかかわらず、刑罰を執行し、(ひどい場合には処刑に処す)貴重な人命を奪ってしまっているのです。おかしいと思います。ごいけんをおねがいします。
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- d-y
- ベストアンサー率46% (1528/3312)
人が人を裁いてはいけないという考え方は古くからありますが、現実的ではありません。なぜなら、人間には、本能的な感情として復讐心があるからです。 人が人を裁かないとすると、仕返しした人も裁けないことになります。自分や身近な人が害されたとき、勝手に復讐しても罰せられないことになると、仕返しされた人がまた仕返しするという悪循環がいつまでたっても終わらなくなり、収拾がつきません。 だから、人間は、長い時間をかけて、裁判という制度を作りました。個々人が勝手に復讐するのではなく、できるだけ公正な手続きで法律に基づいて刑罰を科すことにしたのです。 現在の裁判制度は決して完全ではないでしょう。「おかしい」ところも、いろいろあると思います。でも、それは人間が長い時間をかけて少しづつ改良してきた結果なのだと思います。「おかしい」ところがあるなら、どうすればよくなるのか、みんなで考えていかなくてはいけないと思います。
- utama
- ベストアンサー率59% (977/1638)
裁判というのは、常に誤判の危険性をはらんだものです。これは、人間が裁判をする以上仕方の無いことです。多くの(すべての)法学者も裁判官も検察官も弁護士も、裁判で100%正しい真実を発見することはできないということは認識しているはずです。 しかしながら、誤判が原理的になくならないからといって、犯罪を処罰しないわけにはいきません。0.1%の冤罪を防止するために、99.9%の犯罪者を無罪にするわけにはいかないからです。冤罪が生じてしまうのは、社会秩序維持のための必要な犠牲です。 もちろん、だからといって、冤罪が許されるということはなく、これを防止するためにすべての者は努力しなければいけません。しかし、原理的に、誤審の可能性を0にするというのは不可能です。 なお、蛇足ですが、裁判官が判断するのは、被告人が犯罪構成要件に該当する行為をしたかどうかであり、検察官の捜査の適法性ではありません。裁判所は、捜査の違法性の判断もしますが、これは被告人の行為を認定する際に用いる証拠について、排除法則の適否を検討するためです。
あなたがいうように、人間が他人のやったことがわからない以上、 目の前の被告人が何をやったか一切裁判官は評価しません。語弊がありますが。 それなら裁判官が評価するのは何かというと、 検察官(含む警察官)がやったことを評価するわけです。 証拠を収集し、被疑者を逮捕、尋問する過程で 法に則らない捜査をしたことが判明したとき 被告人は無罪放免となります。これが民主主義の刑事裁判です。 検事が申し立てるのを聞いていると 被告人がいかに極悪人であるか主張しているようですが そうではなく、捜査手続きに手違いがなかったか 弁明をしているのです。 繰り返しますが刑事裁判で裁かれるのは被告人ではなく、検察官です。 でないと司法が行政をチェックするという 民主国家における大事な三権分立の否定になります。 人が人を裁くシステムがたどりついた果てはここです。 その観点からもう一度人が人を有罪とする意味を 見直してみてはいかがですか。
- gogomaki
- ベストアンサー率37% (95/251)
極論としてよく例えに使われる質問をします 質問者の一番大切な人が惨殺されました 警察の捜査で犯人、若しくは限りなく黒に近い容疑者が拘束されました 調べが進むにつれこの容疑者は以前にも同様の犯行を犯している事が判りました 表面化していない事件にも多数関与している疑惑も浮上しました 刑事裁判になり検察は最高罰を求刑しました 物証はたくさんあります 状況証拠も揃っています ただ「やっていない」との証明だけはできません 本人も「実行したのは自分だが、その時は神が降りてきて自分の体を借りてやったことなので自分に責任は無い」と主張します 『じゃぁ罰する事は出来ないので諦めますから釈放してあげて下さい』 と言ってあげる事が出来ますか? または、被害者家族の立場にもかかわらず 加害者(推定)擁護側にまわり裁判無効の運動に参加出来ますか? 私には無理です
- yochanjr
- ベストアンサー率19% (119/607)
逆に罪を犯していない人が自分が犯罪を犯していないという事を、 証明できる可能性も”0”ではないですよね。 質問者さんが何かの犯罪を犯していないことを証明してください。 こう問いかけられた時にどうしますか。 質問のような事がまかり通れば、この世は無法地帯、やられた人はやられ損。 法治国家ではなくなります。力が正義、という世の中をお望みでしょうか。
- Shouhitaishaku
- ベストアンサー率52% (45/85)
>人間は、どうして、人を有罪と決め付けることが出来るのでしょうか。 この質問への答えはこの問いへの回答によって解決するものといえます。 現在の日本では国民の代表者が立法した刑法および刑事訴訟法の手続に則ることで有罪と決め付けることができると回答できます。 つまり究極的な根拠は、国民主権原理の下、国民自身が現行の刑事司法制度により自身の法益を守ることを代表者を通じて決めたことにあります。 >刑事訴訟法第三百十七条 事実の認定は、証拠による。 これに関連して、 >いかなる証拠品が出てきたとしても、実際にその人が有罪だということが正しいことと証明できるわけではありません。 との主張は「証明の程度」の問題にあたります。 通説的見解は「合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度」の証明を要求すると解しています。 刑事訴訟では「疑わしいときは被告人の利益に」のもとに消極的実体的真実主義が採られ、「全ての犯罪者を漏らさず処罰できなくとも、無辜の一人を誤判から救う」ことを旨としており、このような厳格な証明を検察官に課しているのです。 あなたの言うとおり、このような慎重な立場によっても誤判を「0%」にはできません。あなたの主張を可能とするには全ての犯罪現場に「遠山の金さん」のように裁判官が居合わせる他ありません。 現行の刑事司法も誤判をよしとするのでないという悩みをご理解いただけませんか?それでも国民の法益(生命・身体・財産等)を守るためには「一切の真犯人を取り逃して、無辜の人間の出る可能性を0%にすること(=刑事司法の放棄)」はできないのです。 あなたの意に沿う回答にはならなかったかもしれませんが、日本の現行刑事司法においても日進月歩ではありますが誤判の弊害をなくす努力が進んでいることを最後にお伝えします。
- Interest
- ベストアンサー率31% (207/659)
罪刑法定主義という理念をご存知でしょうか? 私は大学の教養課程で日本国憲法を勉強したときに習いました。 (参考 wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E5%88%91%E6%B3%95%E5%AE%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 まず法律とは何なのか、何のためにあるのか。 現在の法律の背景にどのような思想があるのか。 その思想はどのような歴史的経緯の中で生まれたのか。 そのあたりを探ると、「人が人を裁く仕組み」どうしてできたのか、理解できるかと思います。
- inu2
- ベストアンサー率33% (1229/3720)
そういうのを、「悪魔の証明」と言います つまり、「無い」、「やっていない」、「存在しない」という事を証明することは無理なのです 「有る」、「やっている」、「存在する」という事に関しては物的証拠や目撃証拠を根拠に証明する事が可能なんです 逆を言えば「有る」、「やっている」、「存在する」という事を証明できなければ、「無い」、「やっていない」、「存在しない」と判断せざるを得ません >神様がその人の化身となっていっしゅんあらわれ 神が犯罪を犯すのでしょうか????
- hidechan2004
- ベストアンサー率23% (464/1992)
おっしゃることはよくわかります。 ただ、それを言い出すと、一切の裁きが出来なくなります。人と人が円滑に過ごすためには、やはり何らかの裁きは必要だと思います。 ですから、少なくとも間違いの無いように調べて置く必要があると思いますし、 死刑のように取り返しのつかない裁きは絶対にあってはならないと個人的には思っています。 ただ、実際に殺人事件が起こったとして、 犯人と思われる人間が逮捕されました。 じゃあ、この犯人はどうしましょう? 犯人じゃない可能性もあるかもしれません。 でも、本当に犯人だったら、解放すればまた同じことをするかもしれません。 それに、何の罪も償わずに生きることも許されるのでしょうか? 神様が姿を見せない以上、人間が秩序を守らなければなりません。 そのためにあるのが法です。 法にのっとっての裁きは、人間が唯一できる秩序を守る方法だと思います。 ですから、決してエゴの無いようにしないといけないと思います。