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そもそも冠詞はなんのためにあるのでしょうか。
とても単純な質問で恐縮ですが、ふと素朴な疑問として感じました。 日本語にはない、a,an,theなどの冠詞は、なぜあるのでしょうか。 わたしとしては、「その後に名詞が来ることを示唆するため」と考えましたが、なんのためにそのようなことをするか、理由が思いつきません。 できれば、英語の言葉としての歴史(成り立ち)から説明をしていただけると助かります。 よろしくお願い致します。
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以前書いたもののコピーです。 冠詞については、日本語が、農耕民族の言葉で、畑は、その所有者が誰かいちいち明言する必要がないのに対し、英語などは、狩猟民族の言葉で、あの鹿、あのいのししは、誰のだ、何匹いたのか、など、所有権、数量の明示が必要だったと言う説明のほうが簡単かもしれません。 つまり、英語を始めとした、西欧語は、その基礎に、狩猟文化があります。ですから、「あの鹿、このいのしし」と言う感じで、その所有権がまだ決まっていないのか、または、すでに、誰かのものになっているのかを問題にする文化です。動物は、基本的に動き回るので、「あの山で見かけた鹿はだれだれのだ。」というように、つねに明言しないと、所有権が混乱するわけです。 所有権が決まっていないと言う目印が a です。 所有権が決まっていると言う目印が the/my/your/his/her であるわけです。 農耕民族なら、この畑、あの田んぼが誰のモノか、基本的に、田んぼも畑も動くわけではないので、一度所有者が決まれば、互いにその所有権を争うことはないでしょう。
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- taked4700
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一つは、 >a,an,theといった冠詞やmy,yourなどの所有格を付けないで名詞を言うと、ネイティブにはどのように感じるのでしょうか。 a,the,my,yourが付いた形は、基本的には、具体性が高いものだと思います。 このことを裏付けることは多くあり、No.4でse18kitさんが言われているように、無冠詞のものと比べるとaが付いて外形的に一つとまとまったものを示すとか、the experieneces とか、the difficulties とかで、今までの、つまり、過去の経験とか試練という、具体的なもの(つまり、一年前にイタリアへ行ったこととか、二ヶ月前に事故に会ったことなど、過去のことは実際にあったことという意味で、具体的です)を示すと考えて良いと思います。ただ、具体的といっても、その程度があるわけで、the cat, the dogと言った場合、具体的に、そこに居る「猫、犬」を指す場合と、動物一般を区分けして、「猫、犬、いのしし、熊、、、」と分類している場合とがあります。in the morning, in the evening などのtheがこの区分けの意味です。その他の意味もいろいろありますが、基本的には、これでいいと感じます。 ところが、無冠詞、または、my,your などが付かないと、そういう具体性を持たないものと言う感覚が強くなると思います。冠詞やyour,my,this,that などは全て、日本語で「~の」と言う意味に直せますが、こういう性質の言葉をまとめて、決定詞と言います。決定詞は、基本的には、所有者が決定しているかどうかを示す言葉だと考えていいと思います。aは、決定していないと言う意味になります。 決定詞がないということは、所有と言う感覚にあわないものという意味になります。具体的なものであれば、基本的に、所有できますから、具体的なものでないという感覚です。これは、たとえば、I go there by bus. の「バス」(つまり、バスと言う交通手段)、I play guitar. の「ギター」(つまり、あのギターとかこのギターという意味でなく、ギターという楽器の本質的な機能を引き出すように引くと言う意味、プロがギターを弾くという意味で使う)などに現れています。 >名詞の初めの音が、母音か子音かで、aとanで分けています(theも発音が違います)が、こちらはどのような意味があるのでしょうか。(言い易いように、でしょうか。) a,an については、既にご説明がtrgovecさんからされていますね。the については、言い易さの他に、もう一つ意味があり、それは、一種の強調で、「理想的な、絶対的な」のような意味を付け加えるときに「ジ」のような音にして読むことがあります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >the experieneces とか、the difficulties とかで、~二ヶ月前に事故に会ったことなど、過去のことは実際にあったことという意味 なるほど。形のあるものだけではないのですね。頭の中で具体的にイメージできるか、できないか、そういった違いのようですね。 >the cat, the dogと言った場合、具体的に、そこに居る「猫、犬」を指す場合と、動物一般を区分けして、「猫、犬、いのしし、熊、、、」と分類している場合とがあります。 う~ん。案外、曖昧な部分もあるのですね… ちょっと、ややこしくなってきました。そのどちらなのかを判断するのは、前後の会話(文)の流れで判断するものなのでしょうか… 冠詞や所有格が付かなくと、具体性が無くなる、ということがだんだんわかってきました。 ~こちらで総則を述べさせて下さい。~ なんとなく学校で習う英語の文法は、「しなければならない」調な教え方で、堅苦しい・息苦しい感じをしていました。「人の言葉」というより「コンピューターの言語」というイメージです。 でも、こちらで教えていただいたことは、そうではなくイメージのちがいということなので、少し安心したような、英語がおもしろく感じるような気がしました。
- se18kit
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a、anという不定冠詞の持つイメージについて、回答させて頂きますね。 不定冠詞は、物の形をはっきりさせる働きがあります。 例えば、"I ate chiken.(私はチキンを食べた。)" chikenにaが無い場合は、鶏肉がなんとなく適当に切られて、料理されている姿を想像します。 一方、"I ate a chiken.(私はチキンを食べた。)" aが付いた場合、丸焼きのように、まるまる一羽のニワトリの姿が、そのまま残っている様子をイメージします。 同じように、「glass」という単語は、 形状が定まっている「グラス、コップ」を表すときには、aを付けますが、形状が定まっていない「ガラス(高温で溶けているのを想像して下さい)」を表すときには、aを付けません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ふむふむ。とても興味深いご回答です。 「つけなくてはいけない」のではなく「つけないことでイメージが漠然と(?)する」ということなのですね。 なるほど~。そう考えると、冠詞をつけたり、つけなかったりで、言葉に色々な表現でできて、おもしろいですね。
- trgovec
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冠詞の使い分けについて疑問を感じておられるようなので。 おっしゃるように、言いやすくするためです。 a は元々は an で、弱化した結果 n が脱落した。ただし母音で始まる語では言いやすくするために an のままである。the は本来の発音は「ジー」であったが「ジ」から「ザ」まで弱化した。これも母音の前では「ザ」が言いにくいために「ジ」と発音する。 たいていはこのように説明してあります。もっともらしく。いや、そのとおりなんですが、正しくは「英語ネイティブはそのように感じる」と付け加えるべきと思います。なぜなら、日本人にとっては「ア・アップル」や「ザ・アップル」でも特に言いにくいとは感じない(だからこのような疑問が起きたり、言い間違ったりするのです)のです。 何もつけない名詞をネイティブはどう感じるかについては、大学である教授が語ったことを一つ挙げておきます。 ヘミングウェイの小説に 'Cat in the rain' というのがあるが、これが 'A cat in the rain' なら具体的に猫の姿が目に浮かぶが、'Cat in the rain' の場合一匹の猫という具体性が薄れ、何か象徴的なあるいは猫そのものではなく「猫の特徴や性質」のようなものが想起される。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど。本来は、anやthe(ジ)のほうだったのですね。 >日本人にとっては「ア・アップル」や「ザ・アップル」でも特に言いにくいとは感じない(だからこのような疑問が起きたり、言い間違ったりするのです)のです。 本当にそう思います。ネイティブの方はいいやすいと思っているのでしょうか…? ヘミングウェイの話は興味深いですね。冠詞を付けるかつけないか、どの冠詞を付けるのかによって、イメージが違うとは。そういった微妙なニュアンスの表現ができる、ということであれば、冠詞もおもしろいと感じます。
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
このような問題は残された記録から推測するしかないのですが、 英語など印欧系言語は必ずしも古くから冠詞があったわけではありません。また、冠詞という品詞も初めからはなく、定冠詞は指示語(それ、あれ)の弱い形から、不定冠詞は数詞の1の弱い形から発達してきたものです。 英語ではもともと不定冠詞はなく、指示語 se「その」の弱い形(強いときは「セー」、弱いときは「セ」と発音)が冠詞のような役割をしていましたが、現代では冠詞のあるべきところで冠詞がなかったり、あまり確立はしていなかったようです。15世紀くらいでだんだん現代のような用法に近付いてきたようです。 現代語においても、印欧系の中にも冠詞がない言語があったり、定冠詞のみだったり、また言語によって冠詞の用法が違っていたりと、一絡げにするのは難しいようです。 冠詞をもつ語族で代表的なのは、印欧(インドーヨーロッパ)系、アラビア語などのセムハム系などがあります。また、東アジア系では冠詞はなく、単数複数の区別もないことが多いようです。また、アフリカのある語族では「類別詞」というものがあり、名詞の種類によって語頭にくる音が決まっていたりします。 推測の域を出ませんが、それぞれの民族が名詞というものをどのようにとらえていたかに関係がありそうです。日本人は名詞がそれだけであっても特になにも感じないのに対し、冠詞や単数複数をもつ言語の人はそれでは落ち着かない(「蛙とびこむ水の音」の蛙が一匹なのかもっといるのかを疑問に思った欧米人の話があります)。ある民族は名詞が人かものか、動物か植物かの区別をつけようとする、数えられるものか数えられないものかの区別に敏感だったり、未知のものか既知のものかを区別したがったりと、いろいろです。その理由となると、はっきりとは分からないとしか言い様がありません。ある程度民族の文化や信仰との関係が推測できますが、それだけと言い切れるだけの根拠はない、としか言えないようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ある民族は名詞が人かものか、動物か植物かの区別をつけようとする、数えられるものか数えられないものかの区別に敏感だったり、未知のものか既知のものかを区別したがったりと、いろいろです。 うーん。どうしてそういった感覚が生まれるのか、不思議ですね… やはり私が日本人だからわからないのでしょうか… ともあれ、日本人よりは、なにかを「はっきりさせたがっている」ということですね。 だから、私にとっては意味のなさそうな冠詞も、ヨーロッパ圏(?)の方々には必要である、と。
お礼
ご回答ありがとうございます。 とてもよくわかりました! わかってきましたので、違う部分で疑問が出てきました。よろしければ、もう少し質問させて下さい。 一つは、 a,an,theといった冠詞やmy,yourなどの所有格を付けないで名詞を言うと、ネイティブにはどのように感じるのでしょうか。 ということ。二つ目は、 名詞の初めの音が、母音か子音かで、aとanで分けています(theも発音が違います)が、こちらはどのような意味があるのでしょうか。(言い易いように、でしょうか。) ということです。これを機会に理解を深めたいと思います。 なにとぞ、よろしくお願い致します。m(__)m