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江戸時代の養生方で「色を慎め」という背景
江戸時代に養生方(健康術)で、色と食を慎めという思想があったのですが、この背景にはどういう根拠があったのでしょうか。 自分なりに想像したのは、予防法的思想で 江戸時代の衛生状態は今よりかなり悪い。食中りをしないようにするには、不必要な食物摂取は慎むほうがよい。また性感染症なども今は梅毒などは治るが、不治の病だった。それゆえ、性に奔放になるのは自殺行為である。 というような理由だと思いました。 また儒教的?に節制が美徳とされているという精神論を重視するからかとも思いました。 実際上はどうなのでしょうか。 また、現在もこの「慎み」健康法は有効なものなのでしょうか。特に「性」のほうは、かなり避妊衛生予防なども手軽にできるようになったので、もし、はじめの理由であったならば、現在はあまり有効な教えではないような気がします。
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貝原益軒『養生訓』にある発想かと思われます。 http://home.att.ne.jp/theta/mo/you/ 内邪と外邪を避けるとの発想は、どことなく神道っぽいですが、宗教的な思想性は感じられません。 なお、養生訓を迷信の原因として批判する本では、石垣順次『常識のウソ』が有名で、「接してもらさず」も、食べ合わせなどと同様、医学的には根拠がないとされていたように記憶しています。 もちろん節制という発想自体は、健康に悪いものではないと考えます。
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- caesar-x2
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儒教じゃなくて それは”道教”思想でしょうね。 道教に詳しくはありませんが、 美徳とか精神論ではなくて、 長生きの秘訣に 精子を出さないことと、 五穀を食べないことがあるからでしょう。 道教は食にうるさく 食べないで健康になるという思想があります。 また性病については 細菌学も何もわかってなかったので 日本に限らず 江戸時代ぐらいではほとんど理解されてませんでした。 道教では性行為はいいけれど 射精に至ると体内から気が抜けるので寿命が縮まるとされます。 有名な話、道士の修行に射精しない訓練ってのもあるからね。 あなたの疑問は道教とはどういうものかを 研究すれば解消するでしょう。 江戸時代の養生法なんてのは、たいがい古い思想の 焼き直しで、合理性なんてのはあまりないのが関の山です。
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惜しむことを薦めるっていうのは現代社会では市民権を得ていないだけに、異様な感じさえ受けますが、採るべき所もある思想なのでしょう。道教というのはまったく知りません。 しかし、触れてもらさずのほうはまったく持って怪しいです。 問題は科学的なわけではないということですね。
お礼
ほんとに神道ですよね。しかし、それとは関係ないとのこと。 貝原の話にそれが出てきたので、疑問に思いました。 ただ、現代でも根本的に「惜しむ」というのは思想的に価値はあると思います。