おそらく私ごときよりよほど歴史に詳しい方だと推察いたしますが、少々心当たりのあるエピソードについて書かせていただきます。
ご承知の通りポツダム宣言では「日本軍の無条件降伏」を謳っているわけですね。昭和20年9月2日、日本はミズーリー号で降伏文書に調印します。しかしホッとしたのもつかの間、その日も午後になると米軍総司令部は以下のような大統領指令を布告してきました。(俗にいう「赤紙」)
1.米軍総司令部は日本全土を占領して徹底的に軍政を敷くこと
2.米軍は一切の裁判権を掌握すること
3.日本の鉄道、運輸、放送、その他の重要機関はすべて米軍において管理すること
これを読んだ日本政府は震えあがります。話がぜんぜん違うぞ、これでは「日本の無条件降伏」ではないか。
なにしろポツダム宣言では、日本軍を解体し、平和を愛する責任のある政府を樹立すれば、占領軍は撤収することになっていると日本側は考えていたのですから。
そこでGHQに対し、重光葵(まもる)外相、あるいは終戦連絡機関の鎌田栓一中将が必死の交渉にあたり、どうにかこの布告を白紙にすることに成功しています。
しかし結果として日本は手も足ももがれ、憲法もGHQの意向に沿うかたちで作らされたわけですから、日本の敗戦が「日本の無条件降伏」だったと、日本国民にとらえられているのも無理ないかもしれません。
私の浅薄な知識ではうまく説明できませんでしたが、「日本軍の無条件降伏」と「日本の無条件降伏」の違いとは、このような経緯で生じたのではないでしょうか。