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日本の無条件降伏
昭和20年8月15日から昭和26年9月8日 サンフランシスコ講和条約までの期間中の事と思いますが。 「日本が無条件降伏した」 とする説の根拠、あるいは何かしらの事象・理由がよくわかりません。 どの時点の何の事象を持って無条件降伏をした、というのでしょうか。 一部の人達の勝手な解釈で、そう言っているだけだ、という話も聞きます。 それならそれで、その人達はなぜ「無条件降伏をした」とするのかの理由も知りたいです。 そもそも無条件降伏とは「相手の言いなりになっても、ならなくてもノミ・ダニ扱いされて殺されても文句を言える権利もない」状態である。 という定義で良いのでしょうか、そうでもないのでしょうか。 あるいは「文句を言うのは勝手にできるが結局、殺されても保証する者が無い」状態なのでしょうか。 どいう意味になるのかも良くわかりません。 宜しくお願い致します。
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>無条件降伏をしてしまえば、元々国民に対し「生存権・自衛権」を具体的に保証する武力(防衛力)を失うわけで、 戦前からある国際条約は、戦中、戦後も 生きているものがあるわけで、 生存権がなくなったわけじゃありません。 日本が今存在しているのも、 アメリカと武力で対立して勝ち取って いるわけじゃありませんね。 国際法の枠組みで守っているんです。 >小泉首相は参拝を止めるべきでない側 遺族会が影響していると報道がありますが、 理屈はもっと簡単です。戦犯とは言え、 当時としては国家のために働いた人たち ですから、それを総理が否定したら、 自衛隊の存在を否定することになり、 指揮がとれません。 たとえ攻撃を受けたことによる反撃でも、 道徳的には大量殺戮には変わらない わけですから、自衛隊が国家のために戦う ことへの否定につながります。 歴代の総理が、任期中には靖国神社を 参拝しておきながら、任期後にはそれを 否定するような発言をしているのは そういった理由からです。
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- thor
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〉1.「降伏文書に調印した事」自体を無条件降伏というのでしょうか。 正確に言えば、無条件降伏を内容とする文書が発効したから、でしょうね。軍の無条件降伏を求めるポツダム宣言の受諾と軍の無条件降伏を内容とする降伏文書を交わしたわけですから。 百科事典から引用するなら 〉第2次大戦における日本の降伏文書は,形式上は連合国と日本との合意だが,内容上は連合国が一方的に定めたポツダム宣言を日本が受諾したものである。これは一種の全般的休戦といえるが,いっさいの軍指揮者が連合軍に無条件降伏する条項を含む点で降伏規約の総体でもあり,連合国の日本占領・管理を基礎づける点で実質的に戦争を終結させる予備的講和の性格をももつ。 (世界大百科事典〈日立デジタル平凡社〉「降伏」の項より) 軍の降伏後、進駐軍(占領軍)の進駐(占領)によって日本の国土が連合国の権力下に入ったわけです。 〉2. 軍事占領はされているけど、国家間の戦闘が無いわけで、「戦時国際法の規定に従う義務を負う」というのは変ではないでしょうか。 戦争があれば当然「占領」という状態がおきるわけで、戦時法の中に「占領」に関する規定があるのです。 たとえば「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(1912年2月11日本について効力発生)の付属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」第3款がその規定で、個人の生命・私有財産を尊重せよとか、略奪の禁止などの規定があります。 そもそも、東京裁判など各地での連合国における軍事裁判で戦犯になった人の中には、占領地域における行動が戦時国際法違反だったとして裁かれた人が沢山いたはずです。根拠となる法規がなければ、連合国も裁判ができません。当然、連合国もその法規を守る義務があるはずです。 ついてですが、 〉8月15日以後の支那大陸(当時の日本国領土) 中国大陸で日本の領土だったのは、租借地である関東州だけですが? 占領地=領土ではないし、冀東防共自治政府はともかく、満州国はご存じと思いますが?
お礼
回答ありがとうございます(No3は疑問が先に立ってお礼書きするの忘れて投稿しました、失礼しました)。 東京裁判については、最近では各方面に何の不満があるのか良くわかりませんが靖国参拝の質議が盛んですよね。 当時としては、「白人得意の宗教裁判」程には奇妙で変な裁判にはなっていなかった様でA級戦犯死刑には日本国民側に大きな反対や同様も無かったように読んでます。 一応(本土領内の)国民全般の生存権は保たれた様ですし。 東條英樹が死刑になり「ヒットラーやムッソリーニと同じレベルの悪いやつ」を殺した事で戦勝国側が納得してくれれば、彼も納得のいく刑ではなかったと思います。 一応天皇制も保たれたし、天皇臣下の軍人指導者としては。 満州については、No6お礼書きで御確認下さい。
補足
>戦時法の中に「占領」に関する規定があるのです。 法規定内容や解釈と実際に発生していたと報告されている問題とは全く別だと思います。 再度同じ疑問を申し上げますと、「日本の降伏」に伴い降りかかった惨劇はその後の日本人のみならず、敗戦前の日本協力者に及んで大規模なものがあったはずです。 現在の靖国問題を言うならば、国民の多くは「経済優先で政治行動を規制せよ」と言っているような者達ばかりに思えます。 当然、政府・官僚には国民の利益を守る義務があるとしても、この問題は国民皆が等しく負担を負ったわけではありません。 多くの日本人は一部の人達に集中的に負荷を負わせながら、経済復興と自身の利益を充てに政治的・道徳(法的)的不条理を黙してきたと考えます。 これは現在の法の適用と行使に関わる具体的な問題(つまり我々の道徳・信義が問われる)であって、「 経済優先・道徳は無視しろ 」という国民の意見・回答が多すぎるのではないでしょうか。 つまり靖国問題について現在の日本人国民多数の考えは経済理由優先であって、その意見は道徳的(法的にも)に本末転倒ではないかと感じております(小泉首相は参拝を止めるべきでない側)。 改めて質問動機とお考え下さい。
- apple-man
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>問題はこの件について日本国政府が十二分な説明を国民にしてこなかった点に尽きるのではないでしょうか。 本当の話をしようにも、日本側の 資料もアメリカに没収されて、 アメリカ側の資料と共に機密扱い されているものがあるんです。 10年ほど前から機密期限が切れた ものが出始めて、少しづつ公開されて きています。 資料が公開されると、以前日本で言われて いたこととかなり状況が違うことが分かり ます。 また、当時の関係者の遺族も 真実を知ってほしいと、故人の 日記を公開したりして、これが アメリカ側資料の裏付けとなって います。 以前は、京都は文化遺産があったから、 空爆しなかったと言われていましたが、 公開された機密文書で、原爆の 投下予定地点だったことが分かったと いう話は有名かと思います。 写真をご紹介した仁科博士が 有名なのは、アメリカの資料から 日本上陸後の早い段階で、 多くのアメリカ人が日本の要人として この仁科博士を尋問し、みな 日本人に対する考えを大きく 変えたことが分かっているからです。 本国からは日本の主要な科学技術 研究をやめさせるよう命令がきて いましたが、日本人に敵対心が ないことが分かり、マッカーサーは 研究の続行を許可しました。 京都大学は戦争中の研究内容を まとめた論文集を1945年の11月に 発行しています。 日本は敵国だったわけすから、 天皇陛下はフセインで、原子核 物理学の実験をやっていた 理化学研究所と京都大学は、 原爆研究所とみなされていた わけですが、それが閉鎖も されず、1945年9月には 研究続行許可がGHQから出ています。 1945年当時、上陸した 米軍は少数で、マッカーサーを 護衛することができないから 空路での上陸には反対の声が あったのですが、実際は日本軍 からの何の反撃もなかったんです。 イラクとは全く状況が違い、 終戦直後から日米が協力体制に なっていたんです。 詳しくお知りになりたければ、 国会図書館がマイクロフィッシュと いう形式で資料を公開していたます。 まだ一般の書籍に出ていないことも 多いですから、興味があったら 見てみて下さい。
お礼
回答ありがとうございます。 若干疑問がありますが、私的理解を申し上げますと。 無条件降伏をしてしまえば、元々国民に対し「生存権・自衛権」を具体的に保証する武力(防衛力)を失うわけで、日本国軍隊を失えば、これに代わって(日本国民全てではなくとも)自分達の生存権を保証してくれる”武力によりすがる”しかないわけですよね。 それで自己負担分は負わされるけど軍事占領状態は継続しているという事ですね。 無条件降伏はしたものの日本本土においてはこれでも良かった(ましだった?)ということですね。 少なくとも日本側の戦争続行は不可能でした。
- apple-man
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>日本の降伏とドイツの降伏は、同じ「無条件降伏」なのでしょうか。 ドイツの条件分かりませんが、ちょうどNo.5の 方の挙げられている参考URLの資料に、 ポツダム宣言の受諾が8月14日となっている ことが分かると思います。 7月26日に内容が決まったポツダム宣言に対し、 日本は降伏の」条件を付け加えようといしていて、 8月10日には、最低限国体の維持、つまり 天皇制の維持だけは保証するようにといった 条件をつけていたわけですが、それが受け入れられず 原爆の投下となったので、そのまま受け入れる ことになった。それを決めて、ポツダム宣言を (日本側の追加条件なしに)受け入れたのが 8月14日ということです。 >ドイツ人はノミ扱いされて人権も何も無い状態になった。 と聞いております。 開戦当初は、日本軍というのは天皇に忠誠を 誓った、命知らずの集団だとアメリカ側には 思われていたんです。 戦前のアメリカと日本の原子核物理学の 共同研究の内容から、日本が原爆を完成 させている可能性も十分考えられたことでした。 当時はテレビもないし、大国アメリカと 言えどもとにかく情報不足で、戦局がアメリカ 有利になっても必要以上に日本を恐れていたことが 当時の資料から分かるんです。 南方戦線で日本軍に負けたマッカーサーは、 捕虜にした日本兵の手帳の内容などを詳しく 分析し、日本人の心理を読み、日本人が命知らず なのではなく、天皇といった権威に弱いのだと いうことに気づき、まずは権威で制圧するために いきなり空路で日本に上陸しました。 よく教科書にも出ている、天皇陛下とマッカーサー の写真もそういった制圧目的でした。 ところが、天皇陛下にマッカーサーが 会ったときに、陛下から日本人を助けて欲しい と予想外の申し出があったため、実態を調べていくと、 街や工場は空襲で破壊しつくされ、経済状態も壊滅的 で、このままでは日本人全体が餓死してしまうと いう状態であることが分かり、マッカーサーの 気持ちが変わったようなんです。 アメリカ本国からは、依然として日本の要人を 更迭し、日本を制圧するようにという命令が 届いていましたが、マッカーサーが本国に 送った電文は、日本に対する食料、物資の 補給と、経済立て直しのための資金の要求 でした。 本国から命令のあった要人の更迭も、 軍人以外は実行せず、監視体制も引きません でした。 米軍だけでなく、オーストラリア軍も そうなんですが、最初は戦争中の恨みもあって、 日本に敵意をむき出しにしてやってきたの ですが、日本の実態を知り、日本の学者など 有識者に会うなどするようになってから、 日本の再建に積極的に協力してくれるように なったんです。 参考URLの写真を見てみて下さい。↓ http://www.riken.jp/r-world/info/release/news/2003/oct/image/topi_02l.jpg (写真の出展もとはここ) http://www.riken.jp/r-world/info/release/news/2003/oct/ この写真の説明は、以下のとおりです。 >この写真は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の経済科学局科学技術課課長のジョン・オブライエン准将(左から5人目)、ハリー・ケリー課長代理(左から2人目)らとともに1950年1月に撮られたものです。当時としては貴重なカラー写真として、現在、仁科博士の生家に飾られています。 ★連合国の人たちが日本人をノミ・ダニ扱い していたのなら、こんなふうに 日本人(理化学研究所 仁科博士)を 中心に、GHQメンバーが仲良く並んで 写真なんか撮りませんよ。
お礼
再度、回答を下さいました事についてお礼致します。 イラク戦争をみる限り、イラク人を中心に現GHQ(アメリカ主導)メンバーが仲良く並んで写真を撮る事は十二分にある事と考えます。 当時もあった訳です。 問題はこの件について日本国政府が十二分な説明を国民にしてこなかった点に尽きるのではないでしょうか。 当然アメリカ傀儡政権としては”説明する必要など無い”という日本国内の以前とした封建的性格や国民性もあったのでしょう。 教育行政による指導として左翼系日教組”等”が「日本の無条件降伏」を強調した点は日本国国家の武装解除のみならず、拡大解釈があり(国内に)無法行為が多々あったにもかかわらず、講和条約の継続性を理由に地雷的・魚雷的性格による国民被害を無視してきた経緯があります。 この点については「拉致被害者家族の被害なぞ、生易しい」といえる問題もあったのはなかったでしょうか? 一般国民が無関心を装い経済復興のみに尽力していた時代、この問題については”国民皆等しく負担を負った”訳では決して無いという事です。 講和条約以後に及んで問題が政治的理由であるため裁判所にも放棄された(犯罪的)被害はあったはずです。 なにより”消滅した満州国”には日本国の多額の投資があり、一般の日本国民が多数住んでいた過去があり、敗戦の結果によって何がおこりどのような”政治的取引”がおこなわれたものか一般国民は知らない事がありすぎるのではないかと感じている訳です(一方で南京大虐殺などという”事件”が無闇に宣伝されて金が動く)。 稚拙ですが、改めて質問動機について述べさせて戴きました。
- ideo11
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「日本が無条件降伏した」とする説の根拠、あるいは何かしらの事象・理由はマッカーサーがそう言いふらしたからです。ポツダム宣言の 十三 われらは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつこの行動における同政府の誠意について適当かつ充分な保障を提供することを同政府に対し要求する。これ以外の日本国の選択には、迅速かつ完全な壊滅があるだけである。 とあるように日本「軍」が無条件降伏をする必要がありました。軍の無条件降伏とは武器を持たないとか勲章をはぐなどの意味です。 確かに無条件降伏とは「相手の言いなりになっても、ならなくてもノミ・ダニ扱いされて殺されても文句を言える権利もない」状態である。 といってもいいかもしれませんが、確か小室直樹氏の本でそうなることはありえないと書いてありました。
お礼
回答ありがとうございます。 小室直樹氏の本はともかく、私が改めて疑問をもたざるをえなかった理由は「日本の降伏について、内地にいた日本人と大陸にいた日本人では解釈が全く違うのではないか?」という点につきると思います。 >「軍」が無条件降伏をする・・ とは、国家及び軍人が武装解除されるということになると考えます。 武装解除された軍人の例では、その瞬間に「非戦闘員と同じ状態」に実質なる事になると考えますが、大陸におられた日本人については「本でそうなることはありえない」事が実際に発生していたし、当時の惨状はURL等でも確認できると思うのですが・・・・
- apple-man
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>アメリカ軍はソ連軍と共に、従来どうり攻撃を継続するだけだったんですよね よく、原爆が戦争を早く終わらせたという話があり ますよね。でも原爆は非戦闘員への攻撃という ことで、国際法的にも問題があり、戦後も 米軍統治の中、日本国憲法を作ってしまった あたり、ハーグ陸軍条約に違反するのではと いう話は今でもあるんです。 ヤルタ会談などで、ソビエトが自分勝手な 言い分を出していた上に、日ソ不可侵条約を 破って参戦してきたので、アメリカ側が 戦争終結を急いだというのが政治的意味合い だと思います。 従来どおりの攻撃で、日本の降伏が 遅れるのは、ソビエトの日本支配に繋がり、 国際的に見ても問題だということで、原爆を 使ったというのが理由だと思います。 ドイツのことを考えても、戦利品として ロケットなどの技術をソビエトは奪って いるわけで、同様に日本の原子核研究や 航空機技術が奪われることを懸念して いたのだと思います。 >残るは一億総玉砕のみですから、ドイツと同じく完全に連合軍に軍事征服されて「ノミ扱いされたドイツ人」と同様の状態に日本国内がなった時はあった訳ですね。 ドイツが酷い目にあったのは、第一次世界 大戦のときで、多額の賠償金を戦後も 要求され続けていました。 ヨーロッパなどは貴族の交流を通じて、 1つにまとまろうとしていたわけですが、 それを完全に破壊してしまったのがドイツで、 第二次世界大戦後は、アメリカが国際的な 契約論、つまり国際法を基本として世界を まとめようといしていたわけで、戦勝国と して、必ずしも自分のいいように事を 運ばず、公開で東京裁判などを開いたのは 法秩序のもとに世界を建て直す切欠に したかったかたです。 >連合軍側に(日本人の)人権を無制限に侵害していいという考えはなかったという事でしょうか。 日本人に友人や知り合いを殺されたアメリカ人は 沢山いたわけですから、各個人レベルでは日本人 の人権など無視してしまえという人はいたと思い ます。 しかし、実際はアメリカの作った日本国憲法には 日本人の人権が強くうたわれ、保護されるものに なっており、アメリカに服従するようにといった 内容にはなっていません。 第一次世界大戦の教訓から、連合国側は 日本に多額の保証金は求めない意向でしたが、 その代わりにソビエトやオーストラリアなど、 日本人を労働力として、つまり奴隷として 本国に連れて帰る計画をし、ソビエトは それを実行しましたが、オーストラリアの 計画は、アメリカによって阻止されました。 勝ったら相手国の国民の人権を無視し、何でも 奪っていいという考えでは、何もよくならないと いう教訓からアメリカは学んでいたんです。 勿論未だに米兵による犯罪、日本人への人権 侵害はあるわけですが、それはイラク人捕虜に 対する米兵の拷問のように、一部の人間が 勝手にやっていることで、それは公には 認められないことです。
お礼
回答ありがとうございます 確かに、8月15日以後の支那大陸(当時の日本国領土)におられた日本人に降りかかった惨状は酷いもので、一方の内地にいてアメリカ軍間接統治に入った人々の感覚とは全く異なるものの様です。 >勝ったら相手国の国民の人権を無視し、何でも >奪っていいという考えでは、何もよくならないと >いう教訓からアメリカは学んでいたんです アメリカは日本の国内法からみると「無法者の行い」をしている訳ですが、それにしても較べようが無いという事でしょうか。 そうした点、ドイツ同様の無条件降伏をしたと考えるべきなのかもしれませんね。 大陸にいた日本人については「降伏するくらいなら、戦って死んだほうが良かった?」と思える様な話を聞きます。 敗戦後の大陸での結果を無視しているのが今の日本人なのでしょうか。
補足
>ドイツが酷い目にあったのは、第一次世界大戦のとき・・・ 2次対戦についてドイツは対ソ戦には「徹底的に戦い」-「徹底的に破れた」結果として、ドイツ人はノミ扱いされて人権も何も無い状態になった。 と聞いております。 降伏も認めてもらえなかった訳で、連合国がドイツ代表(傀儡)を採り作ろった。 その傀儡ドイツ代表と連合国は降伏調印を行った。 とも読んでおります。 日本の降伏とドイツの降伏は、同じ「無条件降伏」なのでしょうか。
- thor
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無条件降伏を求めるポツダム宣言を受諾し、1945年9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリ号で、降伏文書に調印し、その文書が発効したことをもってそういいます。 〉そもそも無条件降伏とは「相手の言いなりになっても、ならなくてもノミ・ダニ扱いされて殺されても文句を言える権利もない」状態である。 という定義で良いのでしょうか 何を根拠に? 占領国は、当然、戦時国際法の規定に従う義務を負います。
お礼
>降伏文書に調印し、その文書が発効したことをもってそういいます 1.「降伏文書に調印した事」自体を無条件降伏というのでしょうか。 2.占領国は、当然、戦時国際法の規定に従う義務を負います。 <どうも良くわかりません。 軍事占領はされているけど、国家間の戦闘が無いわけで、「戦時国際法の規定に従う義務を負う」というのは変ではないでしょうか。
- apple-man
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>「日本が無条件降伏した」 とする説の根拠、 8月10日の御前会議で、 国体維持を条件に降伏することを 連合国側に日本が通達したわけですが、 条件を受け入れるという回答はなく、 長崎に続き、広島に原爆が投下されました。 そこで14日の御前会議で、無条件・・・と いうか条件なしでとにかく降伏するという通達を したわけです。 条件をつけると、条件が了承されるまで 戦争は終わらないわけですから、即戦争を止めて 欲しいということで無条件降伏となったわけです。 >そもそも無条件降伏とは「相手の言いなりになっても、ならなくてもノミ・ダニ扱いされて殺されても文句を言える権利もない」状態である。 ハーグ陸軍条約やロンドン憲章などがあり、 人権を無制限に侵害していいということでは ありませんでした。
お礼
回答ありがとうございます。 >即戦争を止めて >欲しいということで無条件降伏となったわけです 攻撃を中止してもらうかわりに、降伏するという事なんですよね。 そうでなければ降伏する意味もありませんよね。 アメリカ軍はソ連軍と共に、従来どうり攻撃を継続するだけだったんですよね(別の思惑もあったようですが)。 残るは一億総玉砕のみですから、ドイツと同じく完全に連合軍に軍事征服されて「ノミ扱いされたドイツ人」と同様の状態に日本国内がなった時はあった訳ですね。 仮にそうならなかったのであれば、連合軍側に(日本人の)人権を無制限に侵害していいという考えはなかったという事でしょうか。 いまいち良くわかりません。
- ftomo100
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E9%99%8D%E4%BC%8F ポツダム宣言の受諾を決定し、軍および国民に伝達した玉音放送(終戦宣言)をもって降伏したという考え方だと思います。つまり、軍の降伏=国家の降伏だ、という考え方です。 無条件降伏の条件は仰るとおり、戦勝国の恣意的に扱える、という事でしょう。ただし、国際法に反する事を行う事による世界世論(?)の反発を無視できるなら。
お礼
回答ありがとうございます。 近代国家間の戦闘中における、(当時の)世界世論の反発って何でしょう。
お礼
OKわかりました。 ありがとうございました。