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学校の先生にお尋ねします
「・・のではないか」、というときに、「・・のかな」という具合に言葉をつめて言う人が多いようです。使い方が微妙に違うと思いますが、学校現場では、子供たちにどのように教育していますか?。これも言語の進化(文化)でしょうか。私も幾分老人の部類に入りますが、こういう文化?に追随すべきでしょうか。
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- azuki24
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>強いて実例をあげて申しますが、言葉を職業としている方々には、前者のような使い方をしっかり守っているようです。 ? どうして おなかが へるのかな けんかをすると へるのかな を、 どうして おなかが へるのではないか けんかをすると へるのではないか と言うのでしょうか? 少なくとも前半の言い方は聞いたことがありません。 後半の言い方は、文章語としてはふつうに見ますし、私も使いますが、口語では「~んじゃないか」が多いと思います。 「~のかな」も、親しい相手や子どもに対して問いかけたり話しかけるときには、不自然ではないと思います。
- azuki24
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学校教師ではありませんが、どなたからも回答がないようですので…。 質問者様の疑問点を確認させてください。 『おなかがへるうた』という童謡があります。 作詞は阪田寛夫、大正14年生まれ。昭和35年の作品です。 どうして おなかが へるのかな けんかをすると へるのかな なかよくしてても へるもんな <下略> 初めの「どうして おなかが へるのかな」は、「へるのであろうか(へるんだろう)?」の意(自問・問いかけ)であって、「へるのではないか(へるんじゃないか)?」とは言えませんね。 後のほうの「けんかをすると へるのかな」は、自問・問いかけの「へるのであろうか(へるんだろう)」でもありますが、自答というか詠嘆の「へるのではないか(へるんじゃないか)」の意にも取れます。 その後者の「(へる)のではないか」を、「(へる)のかな」と約めて言う人が多いということでしょうか? 以下、私見です。ご質問の意図を外していたら読み飛ばしてください。 「…のではないか」は意見・推量の婉曲な表現ですね。多かれ少なかれ相手に同意を求めています。 「…のかな」をたんなる自問とすれば、「…のではないか」よりさらに婉曲な問いかけの形で、相手と意見の相違を未然に避けようという気持ちが働いているのかもしれません。うがち過ぎでしょうか。 ------------------- 「…かな」の意味・用法については、『明鏡国語辞典』に詳しい説明がありますので、以下に引いておきます。 かな [一]《連語》 (1) 自問を表す。「うまく行く―」「彼、怒っているの―」 [表現] 「…ない―」の形にすると、実現を望む気持ちがこもることがある。「早く来ない―」 (2) 自問の気分で、問いかけを表す。「君にできる―」「君の名前はなんていうの―」 [表現] 目下の相手や親しい相手に使う。やりもらいの表現とともに使うと、婉曲な依頼を表すことがある(「明日来てくれるかな・窓を開けてもらえるかな」)。 打消しの表現にすると、さらに丁寧な依頼になる(「ちょっと手伝ってもらえないかな」)。 「かなあ」とも言うが、その場合は自問の意が強まり、不審や疑念をまじえた詠嘆の表現となる(「君にできるかなあ・こんなことをしてていのかなあ」)。 ちなみに『広辞苑』。 か‐な (疑問の助詞「か」に詠嘆の助詞「な」の付いた語) (1) 不確かな点を確かめる意で自問し、あるいは、相手に問い掛ける語。「煮えた―」「これを知っている―」 (2) (「ないかな」の形で) 願望の意を表す。「何かいいことない―」 『大辞林』 http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=03867800&p=%A4%AB%A4%CA&dname=0ss&dtype=0&stype=1&pagenum=1 『大辞泉』 http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=03456600&p=%A4%AB%A4%CA&dname=0na&dtype=0&stype=0&pagenum=1
補足
ご回答恐縮です。この件につきましては、うまく言えませんが、お示しの大辞泉に記載のような場面での使い方ならば、納得できます。ですが、強いて実例をあげて申しますが、言葉を職業としている方々には、前者のような使い方をしっかり守っているようです。一方、マスメディアに登場する年配の方々でも後者のような使い方をする方が相当多くなりました。私にはどうしても違和感を覚えます。これらを言葉の進化というべきかとお尋ねしたかったのです。こだわっているようでしたら反省します。
補足
度々恐縮です。ご指摘の、歌詞や文章の中での使い方は、同感です。が、私見と多少誤差があるようです。下記の例を読んで下さい。 「言葉は正しく使うべきではないかと思います」 「言葉は正しく使うべなのかなと思います」 「明らかに違う話し方をする人が多くなったのではないかと思います」 「明らかに違う話し方をする人が多くなったのかなと思います」 どちらも、後者の言い方についての、疑問を感ずるのです。 嘆息の意味を込めて使う「のかなァ」の使い方は、小生も使います。