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第2次大戦時のスペインと日本
スペインフランコ政権は一党独裁のいわゆるファシズム政権で、スペイン内乱ではナチスやイタリアにだいぶ助けられ、独伊と防共協定まで結んでいたのに、大戦では枢軸国側に加わることなく中立を保ち大戦を無事乗り切りました。またモロッコの一部やカナリア諸島などは現在もスペイン領のままで、大戦によって領土を失うことはありませんでした。 大戦後、国連から除名されるなど一時は孤立化しましたが、すぐにアメリカと防衛協定を結び国際社会へ復帰し現在にいたっています。 日本もスペインと同様の選択肢があったのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。 そうすれば、多くの人命を失うことも無く、パラオやサイパン、ミクロネシア、台湾、南樺太、千島列島あたりは現在も日本領だったのではと思うですが。
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戦後教育では「15年戦争」とか「軍靴の足音」などと言い、満洲事変の勃発後の日本は戦時体制に入り、英米との対決路線を突き進んで行ったように教えます。少なくとも、教科書にはそのように書いてあります。実際は、満洲事変は「局地戦」に過ぎず、この段階では英米との対立は大したものではありませんでした。満洲は、南部を日本、北部をソ連が権益を持つ、英米とは関係ない土地でしたから。満洲事変後、支那本土を支配する蒋介石政府との関係はとりあえず安定して昭和12年に至りました。 よく言われることですが、「盧溝橋事件、上海事変が起きなければ日本は蒋介石政府と全面対決する必要がなかった。支那本土の英米権益を脅かし、英米の蒋介石政府への全面支援を呼ぶこともなく、大東亜戦争もなかった。」と考えます。 盧溝橋事件、上海事変が起きた経緯については、共産主義勢力の謀略という説が有力です。「支那事変不拡大」を貫徹できなかったことは、戦前の日本にとって最大の失策といえましょう。 この段階を何も起こさずに切り抜けられれば、昭和12年時点の日本は経済状況も好転していましたし、質問者様の言われるような結果になった可能性は十分にあったでしょう。惜しんでも惜しみきれないことです。
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- 10pph
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スペインは内戦の影響で国内経済が疲弊していて戦争どころではありませんでした。また、バスク地方独立問題も抱え内政で手一杯だったでしょう。 また、スペインの独裁者フランコが他の独裁者と違ったのは、自分への批判を甘受する許容性を持っていた事でしょう。イエスマンではない優秀な外務大臣を擁していた事も大きいと思います。 日本が戦争に参加していなければ領土が安堵されていた可能性はありますが、少なくとも太平洋戦争の敗戦と戦争によって犠牲になった方々の尊い命と引き換えによって日本人は現在のような自由を手にしたと思います。
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- ipa222
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日本が第二次大戦を乗り切る可能性は十分ありました。 日本は朝鮮と台湾と南樺太を領土とし、満洲地方には満鉄とそれを警備するだけにとどめておき、当然ドイツやイタリアやソ連とは手を組まず、蒋介石ともそれなりに関係を続けていれば、中国が赤化するのを防ぐという大義名分が与えられ、満洲の利権は?ですか、朝鮮半島と台湾と南樺太などは維持できたでしょう。 近衛文麿と松岡洋右が判断を誤ったと思います。 戦後、冷戦が始まると、実際にアメリカは日本の重要性を理解し、極東の防共の要とした認識をします。 もしも日本が誤った判断をせず、アメリカも冷静に対応していたら、中国や北朝鮮は共産圏に取られていなかったと思います。そうなるとベトナム戦争もなかったでしょう。 そうなると東トルコやチベットが独立国になっていたかも知れませんね。 ただ、朝鮮戦争やベトナム戦争のかわりに満洲戦争が起こっていたかも知れません。
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- gbrokk
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当時のヨーロッパはフランスに人民戦線の政府が出来て政治的に不安定な時でした スペインの内乱の結果、スペインはおろかフランスまで共産化する恐れがあるとアメリカ・イギリスは非常に心配しました 米英がドイツやイタリーの参戦に異議を唱えなかったのはその為です、ソ連の後援を受けていたスペイン共和国政府を倒したフランコ将軍は米英の忠実な番犬だったのです 戦後のスペインへの扱いがそれを物語ります 日本は中国市場を米英から奪うものとして米英に取ってはどうしても戦争に誘い込んで倒さなければならない相手だったのです
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ご回答ありがとうございました
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