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枢軸国になるのではないでしょうか?
第二次世界大戦中に、三国同盟に加わった国の中に1941年11月にデンマークが加わっています。 ですが、戦後に連合国とされる国々の中にデンマークが書かれており、国連の原加盟国の中にもデンマークがあり、ウィキペディアの枢軸国の説明の中では「枢軸国の占領下にあったが枢軸国と見なされない国」とされています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%A2%E8%BB%B8%E5%9B%BD 他にもスペインも枢軸国寄りの中立国と言う扱いになっていますが、本来の枢軸国の意味は1936年10月にドイツの A.ヒトラーとイタリアの B.ムッソリーニが両国の共同行動について協定を結び、11月ムッソリーニが演説のなかで、ドイツとイタリアの提携関係をローマ・ベルリン枢軸と呼んで以後ローマ・ベルリン枢軸という言葉が一般的に用いられるようになり「国際関係のうえで親密な友好関係にあり、共同行動をとる国々」と言う意味のはずですよね? 連合国と直接交戦していなくても、デンマークやスペインは三国同盟に加わったり協力関係にあったりしているので、これらの国々も「枢軸国」になるのではないでしょうか?
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- kitsunetoneko
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デンマークは,ナチス=ドイツの北欧への侵攻に関する中継地であり,ナチス=ドイツ軍侵攻後も,デンマーク国王や政府は,国外へ亡命することもなく,当時のデンマークの議会制民主主義体制なども,ナチス=ドイツにより保障された為,ナチス=ドイツの保護国や,模範国として支配下に置かれたようですので,当時の日本領だった,朝鮮半島や台湾などと同じでしょうか..フランスのヴィシー政権も,ナチス=ドイツ寄りでしたが,フランスでも,レジスタンスなど,対ナチスへの抵抗勢力や運動がありましたが,当時のデンマークでも,ナチス=ドイツの保護国などでしたが,やはり,次第に,ナチスに対する抵抗勢力や,運動などが起こり,ナチスによる弾圧が強まり,ナチス=ドイツの軍政下に置かれたようです..こういった国々が,第二次世界大戦中の日本や,ナチス=ドイツ,イタリアなどの枢軸国だったのかと言うと,いわゆるナチス=ドイツの軍政下に置かれていた国々なので,枢軸国の解釈を,ファシズムや全体主義などとすると,フランスやデンマークなどの国々は,当てはまらないかもしれませんね‥‥‥‥‥旧満州国なども,当時の旧日本軍などの傀儡国家などでしたが,一応,満州族出身の旧清朝最後の皇帝,愛新覚羅溥儀氏をトップに据えていましたが,五族共和や王道楽土などのスローガンなどからして,怪しげでしたし,旧日本軍は,匪族と言われる,当時の中国人などの抵抗勢力などを弾圧していたようです..朝鮮半島や台湾,旧満州国などと,デンマークなどのヨーロッパの国々との,国の成り立ちや歴史,当時の立ち位置などは,全く異なりますので,比較は出来ませんが,デンマークは,当時のナチス=ドイツの,対連合国側との強烈な防衛線上にあった国で,様々な形で,ナチスに利用された重要拠点であったようですが,いわゆる,ファシズムや全体主義などの政治体制などではなかったようなので,枢軸国には,ならないのかもしれません..
- mei109tamayou
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そう云う観点なら「フィンランドは完全に枢軸国」でしょう。 確かに「ヒットラーに『はめられた』」観がありますが、「スターリン体制下のソ連」と「戦争」(俗に云う『冬戦争』です)してますから。 じゃあ「タイ」だとか「(「王兆民の」)「中華民国」どーなんのと云うことも考えないといけない。
お礼
回答ありがとうございました!!
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>そう云う観点なら「フィンランドは完全に枢軸国」でしょう。 フィンランドが枢軸国なのが、何か問題なのですか? 僕はデンマークが枢軸国ではないのかって言っているだけであって、フィンランドは枢軸国じゃないのですか?
- oska2
- ベストアンサー率44% (2300/5115)
>枢軸国になるのではないでしょうか? デンマークに限らず、アジアでも「タイ」が枢軸国側として連合国と戦火を交えていました。 が、「日本に強要されて、仕方なく枢軸国側についた」との主張が認められたのです。 要は、戦勝国側の都合で自由に判断が行われたのです。
お礼
回答ありがとうございました!!
補足
そう言えばフランスも降伏してすぐにビシー政権が出来て枢軸側についてますし、戦時中に枢軸側から寝返った国々も沢山ありますが、どの国も最終的に連合国や枢軸国と分けられています。 結局これらを決めたのも連合国・戦勝国って事になるのでしょうか?
- eroero4649
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第二次世界大戦当時のスペインは、フランコ将軍による独裁政権下でした。そのフランコ政権誕生のためのスペイン内戦では、フランコ軍にナチスドイツの「コンドル軍団」が名目上「義勇兵」という形で派兵されていました。 そういうこともあり、ヒトラーはなんとかスペインを枢軸側に引き込んで戦争できないかと思っていました。特に英領ジブラルタルはそれこそスペイン軍が本気で攻めたら絶対に陥落し、そうなると地中海はドイツ・イタリアにとって「安全な内海」になるので北アフリカ戦線も絶対優位となります。 一方のフランコ将軍。彼はスペインの統治には熱心でしたが、独裁者なら誰もが持っていると世間の我々が想像する領土的野心はどうやらなかったようです。 逆にスペインが連合国側につけばイタリアは地中海の西と東から挟撃されることになるので大変に不利になるので、連合国側もスペインを自軍側に引き入れようと画策していました。 しかしフランコ政権はヒトラーの支援もあって成立している手前、どちらかといえば親ドイツです。国内にも親独派が多数存在します。 そこでフランコ将軍は二枚腰を使うことにしました。ヒトラーに対しても連合国側に対しても「然るべき支援があれば君の味方として参加する」と水面下あるいは公けに表明したのです。もちろん、その支援とやらは到底無理な膨大なものでした。 ヒトラーはフランコを説得するためにわざわざ南フランスまで出向きましたが、フランコの二枚腰外交に翻弄され、帰り際に「こんなことなら歯医者にでもかかっておくべきだった」と愚痴るほどでした。 フランコは連合国にも無下な態度はしませんでした。具体的に何をしたのかというと、スペイン国内にいる連合国スパイの活動をあえて取り締まらなかったのです。ドイツ占領下のフランスと国境を接するスペインは大戦中を通じて連合軍の重要なスパイの拠点となります。 またフランコ将軍は国内の狂信的ドイツシンパへの対策として、「青師団」と呼ばれる部隊を義勇兵として送りました。ドイツシンパはそこに送って海外に飛ばしてしまったのです。スペインを出た青師団はヨーロッパを抜け独ソ戦に参加し、戦局が悪化した1943年に帰国しました。一部の将兵は最後までドイツ軍と付き合い、ベルリン攻防戦まで戦った兵士もいたようです。青師団はその大小を合わせると数百の戦いに参加しながら1センチたりとも撤退をしなかったともいわれています。 義勇兵を出してるなら明らかに枢軸側だろと質問者さんはお思いになるでしょうが、前述のように水面下では連合国側にも協力していますので、連合国からも敵国扱いにはされなかったのです。したたかに中立の立場に留まったというべきでしょうね。 デンマークの事情については寡聞にして存じませんが、政治的な事情から枢軸側にはカウントされていませんね。 フィンランドはソ連と戦っていたので枢軸側に入れられることがありますが、スウェーデンは建前上は中立だったものの、ドイツに鉄鉱石を輸出するなどかなり枢軸寄りの立場でした。 まァ本来なら敗戦国であるはずのフランスがちゃっかり戦勝国に名を連ねている辺り「欧州の天地は複雑怪奇」というやつですね。
お礼
回答ありがとうございました!!
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結局、デンマークが連合国扱いされているのも、フランスが戦勝国扱いされているのも、戦後の連合国(戦勝国)の都合って事ですかね?
- 524357
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あ~そうかもね~
お礼
回答ありがとうございました!!
お礼
回答ありがとうございました!!
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>いわゆる,ファシズムや全体主義などの政治体制などではなかったようなので,枢軸国には,ならないのかもしれません.. ファシズムだから枢軸国になるとかは関係ないのではないでしょうか? 要は連合国と戦ったかどうかでは?