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物事を感覚でなく頭で考えて判断してしまう

僕は人や物に出会ったとき、感覚で「これは良い!」と思うのでなく(そう思うときもあります)、物事の本質から離れたところで判断してしまうことが多いです。 例えば僕は岡本太郎という人は好きです。芸術は爆発だという言葉は感動します。 でもなぜか太陽の塔の良さは分かりません。 でも岡本太郎は好きだし、名の知れてる作品だから太陽の塔も好き!となってしまいます。要するに尾ひれに釣られています。 これでは本当に良いのかの良し悪しは判断できません。 僕はこれがとても情けなく思います。 これを読んだ方、僕に何でもいいので意見をください

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noname#18442
noname#18442
回答No.1

悲観する事は有りません、実際は殆んどの人が貴方と同じでは有りませんか? 有名な絵画でも音楽でもこんなに有名なのだからきっと良いんだろう、と思っている人が多いと思いますよ。 人間なんてそんなに自己をしっかりと持っている訳では有りません。 しかしその道の知識が増えれば本物を見る目が養われ今のお悩みから開放されるかもしれません。でもその境地に達するのは難しいでしょうね。

burdon
質問者

お礼

>しかしその道の知識が増えれば本物を見る目が養われ今のお悩みから開放されるかもしれません 後から考えて僕も思いました。 確かに感覚でいいと思うものはある程度人より詳しいといわれるものでした。 まだ僕には芸術を見る目がありませんでした

burdon
質問者

補足

御礼をした後に申し訳ないんですが、 小学校2年のとき担任がお土産に太陽の塔のキーホルダーを皆に配ったときがあって、僕を含め体外の人は良さが分かっていませんでしたが、ただ一人かっこいいと言って大事にしている友人がいました(理由を聞こうにも今は所在が分かりません)。これは知識ではないですよね?これはいわゆるセンスという奴でしょうか

その他の回答 (3)

回答No.4

どおも~~、感覚人間で~~~す(HG風にお読み下さい) おっ!私と真逆な方がなにか悩んでいるではありませんか。 私、ある人から「論理性が欠けています」とはっきり言われました。ええ、お墨付きです^^ 考えるより感じるほうがはやいです。 質問者様は、ご自分を情けなく思うことはないと思いますよ。 感性より理性のほうが強いってだけですから。 ************************ センス(感性)のお話 私も太陽の塔の良さは分かりません。 ルノアール、ゴッホ等は美しい、素晴らしいとは思いますが、サンローランなんて、ただ綺麗なだけで??です。 キーホルダーのお話は、そのご友人のセンスにピッタリあった、ということでしょうね。 要するに、主観なんです。 絵画よりお笑いとかのほうがわかりやすいですよ。自分が笑える芸人さんを探せばいいだけですから。みんなと一緒だ、と安心してもいいし、違ってても大したことありません。 笑えるところ、もの、ひとが自分のセンスにあうってことで、本来ひとからとやかく言われることはないものですよね。 センスはだんだん磨かれていくものだと思っています。 元からズバ抜けてる人もたまに?はいますよ。所謂「天才」ですよね。 私のは、一般人の話。 算数みたいに、すぐに明確な答えが出るものではないです。 だんだん時間をかけて一つ一つ蓄積され、全体が磨かれていくもの。 あ、もう一つ。 理性に極端にかたよると「理屈ばかりで面白くない堅物」と言われるおそれがあります。 感性に極端にかたよると「物事を筋道たてて考えられない馬*?」と言われるおそれがあります。 バランスですよね。高いレベルでバランスのいい人がモテたりするのでしょう^^

burdon
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >理性に極端にかたよると「理屈ばかりで面白くない堅物」と言われるおそれがあります ごもっともです。でも僕は >感性に極端にかたよると「物事を筋道たてて考えられない馬*?」 と言われている人に惹かれてしまいます

回答No.3

>例えば僕は岡本太郎という人は好きです。芸術は爆発だという言葉は感動します。でもなぜか太陽の塔の良さは分かりません。  図形でイメージをして下さい。岡本太郎という人物の大きな○です。その大きな○の中に言葉・芸術・生き方・・・.etcという小さな○がいくつも存在します(その人の全ての因子ですので、はみ出ることは無し)。その大きな○の中には、その人の全て、属している○が存在します。ある○は好き(この場合は言葉)、ある○は良さが分からない(この場合は太陽の塔)、ある○は嫌い(この場合は無しor知らない)ですよね。好き・良さが分からないは、感覚です。「名の知れているから」というのは、元々大きな○(岡本太郎という人物)が好きだからこそ、好きの部類に入るのではないですか?言い方を代えると、大きな○が好きだから、その方向に感覚が向く(影響されている)という事では有りませんか?  仮に、私は岡本太郎という人物は嫌いとします。けれど、「芸術は爆発だ」という言葉は好きですが、名の知れてる作品でも太陽の塔は嫌いとします。これは、大きな○は嫌い、でもある小さな○は好き(この場合は言葉)、ある小さな○は嫌い(この場合は作品)。名が知れていても嫌いな○は、大きな○の影響で嫌いな方に向いている事と言えます。つまりは、全てが感覚という事です。 >これでは本当に良いのかの良し悪しは判断できません。  本当の良し悪しとは何を基準に判断をしますか?その人の感覚でしか有りません。つまり、大きな○を好きであるという事は、ご質問者様にとっては、より良い方向にしか向かないという事を示唆しています。逆に、私が大きな○を嫌いであるという事は、より悪いという事にしか向かない事を示唆します。どんなに世間が認めても、良くは思えないという事です。  つまりは、ご質問者様は情けないと思わないくて良いのです。それが、ご質問者様の正直な感覚であり、みんな無意識に感じている感覚で同じです。  情けないと思わないで下さいね。

burdon
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 岡本太郎の作品の午後の日や明日の神話などは大好きです。そして何故か太陽の塔の裏側の黒い太陽は好きなのでわけが分かりません

  • mizuneko
  • ベストアンサー率16% (3/18)
回答No.2

どんな作品でも、作者はきっと最高だと信じて作っていますよ。 いわば、どれを良いと言っても、少なくとも作者は貴方の見方です。 それに、好きとか嫌いとかは、あまりに個人的すぎて、 本来言葉で説明できるようなことでもないように思います。 どこが好きかと聞くほうが野暮というものですから、なにか聞かれたら、 堂々と岡本太郎のどこが好きかって話にすりかえてしまえばいいのです。 気にしない。気にしない。

burdon
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 変な質問に答えていただきありがとうございました

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