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オリンピックを哲学しましょう。
●オリンピックの魅力とは何でしょう? わたしは人間(肉体と精神)の未知なる可能性の追及だと思います。 その意味でオリンピックのデータベースと選手のHPがリンクしてて 選手へ世界中の誰もが募金(一回100円くらい)できるシステムが あればいいな と思います。 その選手に金も出さないで ただメダルの有無や国感情で 一喜一憂しているアナウンサーなどには 切なさを感じます。 人間の未知なる可能性に挑戦している人間のドラマにこそ オリンピックの魅力があるのではないでしょうか。 一途に努力している選手の気持ちをわかってあげれる社会的システムの 必要性を感じています。みなさんはどうですか?お考えを教えて下さい。
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- misoka
- ベストアンサー率35% (56/160)
でも、データベースの数値だけでは、私のような素人は 何も判断できないでしょうしね... 募金するといっても、結局、同国人を選ぶか、 ミーハーな人気投票に終わってしまいそうです。 それに、スポーツは過去のデータで評価するものではないと 思います。 実際に競技場で展開される競技そのものが美しい。 そこに本質のあるものではないでしょうか? 募金のシステムでは、ちょっと核心がズレてしまいそうな 気がします。どうでしょう?
- aruberihi
- ベストアンサー率27% (23/84)
少々、科学的な視点から >国をひとつにまとめる流れと 国を世界に解き放とうとする流れ スポーツは基本的に国をひとつにまとめる流れに入ると思われます。 簡単な例で「サッカー」ですかね? ワールドカップとかなんかでの世界中のサッカーファンの熱狂ブリと自国の勝ったときの狂いブリ&負けたときや下手なプレイをしたときの嘆きブリ、皆祖国のチームがあるからこそですね。 どちらかというと、国を世界に解き放とうとする流れは経済界に見られます。 経済界において為替や輸入税などは商売において障害でしかないからです。 よい例が「EU(ヨーロッパ諸国連合)」でしょう。 これはヨーロッパ諸国内では経済的に関税がかからなかったりするもので、うがった見方をすると要はアメリカや日本などの経済大国に張り合うために出来たものです。「ASEAN(中東アジア諸国連合……だっけ?)」も同様ですね。 人間を集団で見た場合、その行動原理は「利益追従」にあります。 これは悪いことではありません。「もっとよくなろう」とする本能なのです。 物を食べることと同じなのです。 もちろん、自国のチームを応援するのも本能の一部ですね。 人は「自分のいる集団が強い方が有利である」と本能的に知っているのです。 自己研磨なども、まあ同様です。 つまりは「自分の状況をより良く」するための行動なのですね。 以上
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●ご回答ありがとうございます。 分析されている 内容について その通りの一面があると思います。 また一面では 国を越えて選手に対する畏敬の念も抱くわけです。 GAMEにおけるフィーバーを楽しむことも またファッションでありましょう。 その背景には国を越えた あたたかなこころの交流もあるはずなのです。 相手国が強ければ強いほど また 優れている面が見えるほど 相手国をよき友として意識するはずです。スポーツがフェアである所以です。 どんなスポーツでも国感情は解き放たれる一面を抑えられないと感じています。 中田がイタリアで活躍するように・・・。
- aruberihi
- ベストアンサー率27% (23/84)
ちょっと視点を変えてみて皮肉な視点で見てみます。 当初は都市国家間の親睦という名の実質は意地(威信)の張り合いなのだよね。 だから、国ごとに選手団があって競い合う、またメダルの数を誇りに思うという、このスタイルは間違ってはいないと思う。 その国を一つにまとめると言う意味でもまあ良いのじゃないかな? 金についてうんぬん言うけど……まあ、それってどこでも言えることだけど金が動けば悪いこと考える人も出てくるのは当然だよね。 ・ドーピングについて ギリシャで行なわれた第1回のオリンピックのチャリオットレースの優勝者は当時の圧倒的な優勝候補を前日に暗殺したと言う話もあったりする。この話しがいい悪いかは言いません。なぜならスポーツマンシップと言う言葉は近年になって発生したものだからです。当時は「勝ったものが勝者」だったからです。もちろん、ばれたら「卑怯者」呼ばわりくらいはされるかもしれないし、復讐されることも考えられますがね。 ドーピングなんかの話しもまあ同じようなものですね。人間、利益や威信が関わるといろいろと考える人は多いですよ。 ・スポーツマンシップについて 近年になって発生した言葉。 分かり易く言うと「勝つ為に手段を選ばないような人を出さないための倫理」ということ。ドーピング(人体に悪影響が表れる可能性がある)の規制や闇討ち(犯罪)が不名誉なことであるといったモラルのこと。 これのおかげで現在のスポーツは比較的安全である。 とまあ、ちょっと変わった視点で物事を見てみた次第であります。 以上
お礼
●ご回答ありがとうございました。 スポーツマンシップが 近年の概念だったとは 初めて知りました。 国をひとつにまとめる流れと 国を世界に解き放とうとする流れの 渦巻く奔流が世界をどの方向へ流してしまうのでしょうか。 威信や利益による流れと 自己研磨の流れの 渦巻く奔流 人間はいったいどこへ流されるのだろう・・・。 ご回答を拝見させていただいて ふとそのようなことを思いました。
- richan
- ベストアンサー率20% (6/30)
, オリンピックで思うのは、人間って戦闘しなきゃ生きていけないんだなー って最近思います。 戦うこと。わざとリスクや危険を背負い他を圧倒する・・・ それを見ている聴衆は興奮する・・・ だから、戦争とかで戦う代わりという意味で、スポーツは絶対必要で、人間の戦う本能をスポーツに全力で向けさる、ってことで、「平和の祭典」っていうのもうなずける。 それとも「戦う本能」を忘れさせないというマイナスの効果があるかもしれない。 でも全部の人間から「戦う本能」は取り消すのは無理だと思う。 まぁだから、オリンピックの魅力は、生命感あふれる危険な戦いをしないライフスタイルの提案、平和への使命、を感じさせられること。そして、国全体が一人のパーソナリティに注目する、英雄主義、とでもいうのか、「国」が「一体感」を持てる、世界が 「社会ではいろんな民族とかの壁を感じているかもしれないけど、人間ってみんな同じなんだよ」 っていうグローバルな一体感持てる数少ない場所であると思います。 この文章、主張が一貫してなくてスイマセン
お礼
●ご回答ありがとうございます。 オリンピックに平和への使命をオーバーラップさせるとは いいですね。 今こそ、クーベルタンの初心に帰ることが求められているんですね。 オリンピックがオリンピックであるのは その精神性が崇高であると 人々のこころに まだまだあるからだと感じています。 腐敗ももちろんあるでしょう。多くの人間がかかわるようになると 全てを聖域に保つのも困難なことでしょう。商業化するのも 阻止できないでしょう。 わたしは そんな中でも 選手の姿に聖なるものを感じるのです。 オリンピックがオリンピックであるために 是非 テロリストにも参加していただきたいものです。 国家という意識が花咲く オリンピックでテロリストが金銀銅を独占したら あたらしい時代が 来るのでしょうね・・・。
- summer_lunch
- ベストアンサー率7% (1/13)
とりあえず、日本が何色のメダルを何個取ったとかで、騒がないで欲しい、。 >人間の未知なる可能性に挑戦している人間のドラマにこそ オリンピックの魅力があるのではないでしょうか。 オリンピックの魅力は、「世界人類」と名がつくことだと私は感じます。人間の未知の可能性に挑戦する姿というのが選手の姿なら、未解決の難病で苦しむ者たちも、ともに、世界ランカーの選手であると言えるしょう。彼らには金メダルが贈られず、世界の人々の歓声が贈られず、また、ブラックジャックに対しては、国家機構などのオリンピックを経営する立場のようなものが醜い仕打ちをします。(すいません、私、ブラックジャックが、尊敬する二本の指の内の一つなんです。人間臭いというものが、素晴らしい香りだと思わせてくれます。それだけではないんですけど、。) 現代はどうですか、。と批判したい所ですが、しません。 皆傷ついているからです。 本来、健常者、障害保持者と名分けしたくないのがホンネですが、健常者の中でも特に優れた者達が、障害保持者と同じような苦しみ、同じような生きがい、同じような境涯をもち、映し出す事にこそ、オリンピックの素晴らしさがあると思います。その焼けた壁の前に、倒れていく選手の姿が、観たい、くない。でも、観るべきなんだろうな。 その影が、深く淵に沈んでおり、さらに黒く、しかし、輝いている。 黒く輝く影の光は、素晴らしいや、美しいと言う形容を受け付けません。 しかし、かえようの無い、かけがえの無い、穢れの無い比類なき者であるため、汚れの無い涙を生みます。 その涙の海に溺れさせてください、。 私は洗われるのだから、。 わたしには、わたしには、その海に、入り、自分で泳ぐ勇気がありません、。 苦は避けるような者ではないと、昔ある人(彼)が言っていました。わずかですが、わかる気がします、。 たいへん意義のある質問に、答える立場におかせてもらい、すごく感謝しています。
お礼
●オリジナリティあふれる ご回答ありがとうございました。 肉体や精神に障害のある方とオリンピック選手を 並べてみると おっしゃるように 気がつくことがあるのですね。 障害と共に生きる姿には 大きな感銘を受けますし多くを学びます。 正におっしゃる通りです。 アフガンの難民救済基金へ わたしが募金したとき(2001.9.20) 募金の総額はわたしの出させていただいた額の倍程度でした。 (アフガンへ想いを寄せる方の少ないことを痛感。) お金を届けることだけが 解決への道ではありませんが。 人は感動も痛みも 忘れてしまう動物です。 なにもできないけれども お金をだすことで すこしは自分の気休めになるのです。 感動をいただいたオリンピック選手へも なにか形を残したいのです。 「オリンピック福祉」ってことになるのでしょうか・・・。 テレビでアナウンスされることもなく オリンピックの地をあとにした 多くの選手達へ 最大の賛辞を贈ります。
- Haizy
- ベストアンサー率40% (404/988)
こんにちは。 ●記録、選手自身の 心・技・体 への飽くなき挑戦 ・・・「だった」というべきでしょうか。その思想から、離れだしていると考えています。 ・注目を集める為の道具(貿易ビルの星条旗?関係ないだろ?) ・視聴率獲得の道具(放映権を売る?買う?) ・ご存知ICOの腐敗(誘致問題) ・ドーピング問題 ホント、これじゃ選手の立場はどうなるのでしょうか。 >選手へ世界中の誰もが募金(一回100円くらい)できるシステム 申し訳ないのですが、「金だけ出して・・・」と、昔から日本が批判されていた事をご存知ですか? >一途に努力している選手の気持ちをわかってあげれる その努力を「金」に換算した所に既に「何か違う」と考えます。 必要なのは、金じゃない。名誉じゃない。 競技中の注目と声援。記録を祝ってくれる歓声ではないでしょうか? >人間の未知なる可能性に挑戦している人間のドラマにこそオリンピックの魅力 なるほど。 私の場合は「人間の」というより、「個人」つまり自分の限界に挑戦する姿が魅力だと思います。夏のオリンピックで、水泳であったじゃないですか。溺れそうになりながらも、初めて100メートル泳いだ選手が・・・。彼の国に”50mプール”なんて、無かったそうじゃないですか。記録もメダルもないけど、拍手と声援が送られていました。もちろん、国を超え、人種を超え・・・。 乱文で失礼いたしました。 でわ
お礼
●そうですね 問題はたくさんありそうですね。 それでどうしますか? ということになりますよね。 お金のでどころが 国や企業なわけです。それが問題の本質にかかわっている と思いませんか?それをどうするか なわけなんです。 知的財産には既得権や著作権がありますが。 スポーツ選手にはそれがありません。だれもが金のしがらみで苦しんで いるのが現状です。知的財産もいづれはインターネットの普及で いまほどの富の集束はできなくなるでしょう。つまり著作者であれ スポーツ選手であれ 募金のような「投げ銭」的なものと企業などの スポンサーにその糧を依存せざるおえない状況になると思うのです。 もし金(カネ)じゃなく歓声だけが必要だとしたら 円谷(マラソン)の死はなぜ起きたのでしょうか? そのような悲劇を繰り返さない 社会的システムが必要だとは思いませんか? 感動して歓声をおくったのなら 感動をくださった方々が人生を つつがなく尊敬されて送れてしかるべきだと わたしは思います。 それだけ大きなものをいただいていると思います。 金(カネ)もださないくせにつべこべ言うなというのは正にあなたのような 方にいいたかったのです。
- konkon0421
- ベストアンサー率29% (90/306)
オリンピック廃止論があるのをご存知ですか? サマランチが作り上げた、IOCの腐敗しきった体質。 ロサンゼルス以降、オリンピックはまさに「金のなる木」です。 オリンピック誘致のために、巨額の公金が賄賂として使われるのはすでに当たり前の事になっています。 それと、スポーツ選手が薬漬けで体を作っているのは暗黙の了解。 旧ソ連を初めとする、旧東欧諸国の元オリンピック選手達の中には、強制的に飲まされた薬で不妊などの後遺症に悩んでいる人が多いのも事実です。 ドーピングチェックに引っかからない新薬がどんどん開発され、まるで塀立て競争です。 スポーツ観戦は大好きなので、オリンピックを楽しく見ることはありますが、哲学と言うよりは、経済学としての側面に興味があります。 サマランチの残した負の遺産は、いつになったら清算できるのか、とかね。 個人的には、ワールドカップ形式の大会が盛んになっていることですし、オリンピックを敢えて特別視するのもおかしな事だと思います。 まして、税金を使ってオリンピックを開催しているのに、更に募金する気にはなれません。
お礼
ご回答ありがとうございました。 No2の方へのお礼をご覧ください。
お礼
●NGOの活動の拡大傾向など いま 国という概念が 希薄になろうとしています。 オリンピックに国として参加するのもいいでしょう。 たとえば地球環境のNGOとして参加するとか オリンピックのあり方がかわっていくと思うのです。 国という概念が崩壊したとき 郷土とか民族とか宗教とか 人々がひとつのよりどころを求めるものはさまざまになると思います。 よりどころが なんであれ その選手から いただいた感動に感謝の意をかたちに残したいなら 募金という形以外に なにか手立てがあるのでしょうか。 多くのお手紙をいただいても読みきれるものではありません。 みな似たような内容でしょうし・・・。 感謝を形にするとき 容易にアクセスするために データベースは必要なだけです。成績に目を通すもよし 選手の競技に対する 考え方に目をとおすもよし 募金するもよし ということです。 ご回答ありがとうございました。