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「古文書」を「こもんじょ」と読む理由
多くの図書に 「古文書」は「こぶんしょ」でなく「こもんじょ」と読む。 とありますが、なぜ「こぶんしょ」ではいけないのか、ということに関し、合理的な説明を見たことがありません。 また「もんじょ」と「ぶんしょ」の違いについても同様です。 参考となる図書やサイトをご存知でしたら教えてください。
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漢音か呉音かの違いであって、どっちの読みを使うかは、単なる慣習的なものだと思いますが。 大抵の場合、呉音の方が古くから使われている読みですから、歴史的に「文書」は「もんじょ」と読まれていたのでしょう。それが時代の流れとかで「ぶんしょ」と読まれるようになったんだと思います。「文章」も古くは「もんじょう」と読みました。 そもそも歴史っていうのは、昔のことを研究する学問なんですから、今風の読み方をする方がむしろ不自然でしょう。少なくとも私にはそう思えます。だから歴史を研究する者がそのまま呉音を使い、それが歴史用語として定着したのではないでしょうか。つまり、ルールというよりは慣習だと思います。 私自身、古代史をちょっとかじった程度ですが、「太政大臣」なんかは「おおまつりごとのまえつぎみ」とほとんど無意識に読みますし。 漢音が使われるようになった経緯なんかは言葉によっていろいろでしょうが、やっぱり流行とかに左右されることが多いんじゃないでしょうか。 たとえば、「関西」は普通は「カンサイ」と読みますが、関西学院なんかは「カンセイ」と漢音で読みますね。あれは当時の新進学徒が漢音で読む風潮があったから、そう読ませる(正確には「クヮンセイ」だそうですが)のだそうな。当時のかっこつけ言葉と思っていいんじゃないですかね。よく言えば流行語。「彼氏」とかもイマドキ語では語尾を上げるでしょう。あれと同じようなものだと思いますよ。 仏教語は一般に呉音で読まれることが多いですが、宗派によってわざと区別することもあるようですし、同じ漢字で違う意味を複数持つ言葉なら、読みによって意味を区別するのは非常に合理的。そういう理由で読みを変えていった言葉もあるんじゃないでしょうか。 ちなみに、Wikiを参考として載せておきます。「各音読みの使用状況」のあたりに「文書」が出てますよ。
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- Ganymede
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理由1.「古い文書」と「古文書」とを区別する。 「ふるいぶんしょ」と区別する意味で、「こもんじょ」と読むのでしょう。『大辞泉』(小学館)を引くと、次のようになっています。 こもんじょ【古文書】 古文書学上の用語。特定の相手に意志を伝えるために作成された書類のうち、江戸時代以前のもの。特に相手が定まっていない記録、すなわち一般の著述・編纂(へんさん)物・備忘録・日記などとは区別される。(引用終わり) 例えば、「大文字」を「だいもんじ」と読めば、「おおもじ」と区別されますね。大文字焼きは、京都市の五山送り火ほか各地にあります。 理由2.ジャーゴンは、わざと変な読み方をする。 前述のように、「こもんじょ」は古文書学の用語です。 ジャーゴン【jargon】 仲間うちにだけ通じる特殊用語。専門用語。職業用語。転じて、わけのわからない、ちんぷんかんぷんな言葉。(小学館『大辞泉』) 例えば、「口腔外科」は「こうくうげか」と言います。しかし、「体腔」は「たいこう」、「満腔の敬意を表する」は「まんこう」ですから、「口腔」は「こうこう」と読むはずです。だが、医学界では「こうくう」と読みます。お医者さんに教養がないからではありません。どちらの読みが由緒正しいかというよりも、専門用語はまるで「わざと」みたいに変な読み方をすることがあります。医学界に限りません。法律用語などにも多くの例が見られますね。 > なぜ「こぶんしょ」ではいけないのか、ということに関し、 > 合理的な説明を見たことがありません。 > 専門家の間では確かに存在するルールだと思うのです。 発想を転換なさってみてはいかがでしょうか。「もんじょ」という古い読み方(呉音)が残った経緯などはあるにしても、ギョーカイの慣わしで「わざと」やっていることに、合理的な理由を探し求めても詮無いことです。
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どうもありがとうございました。 大変参考になりました。
- jk7
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現在でも効力のある文書が「ぶんしょ」、効力がすでに失われている文書が「もんじょ」だと、学生時代に聞きました。
お礼
ありがとうございます。 参考になりました。
- Scull
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細かいことは判りませんけど「もともと「もんじょ」と発音していた」んでは無いでしょうか。もんじょの旧い物ですから「こもんじょ」。それだけの話なのでは。 帝国時代に下って標準語が定められたときに「ぶんしょ」という読み方が決まったとか言うことはないでしょうか。
お礼
どうもありがとうございます。 No.5さんご指摘のページからみても、Scullさんの推測で正解かと思います。
ことばについての、へんなクレーム、という印象ですが。 例えば、「天気」をなぜ「てんき」と読むのか、その合理的な説明をもとめますか。 「古文書」は「こもんじょ」と読む。その読み方を知れば、それですむことではないでしょうか。 「文」という漢字は、「文章」「文学」では「ぶん」ですが、「文句」「文部省」では「もん」と発音します。したがって「古文書」は文句、文部省とおなじ系統の読み方ですね。 同じひとつの漢字が、異なる読み方をされるのは、その漢字が日本に伝わってきた時代の違いからきています。奈良時代のころに留学生が唐の都、長安で習ってきた音が漢音。それ以前にすでに入っていた、主として南方の音が呉音。 これが平安時代には、朝廷によって漢音がつよく奨励され、それまで呉音でいわれていた語も漢音になおされたのですが、すでに慣用が固定していたものは呉音で残ったのです。その最たるものが仏教語です。
お礼
ありがとうございます。 >例えば、「天気」をなぜ「てんき」と読むのか、その合理的な説明をもとめますか。 「天気」には「あまき」などという読み方はありません。 しかし、「文書」には「ぶんしょ」「もんじょ」の二つの読み方があり、しかもその二つはほぼ同義でありながら、全くの同義ではないようにも思えるのです。 言葉足らずでしたが、「ぶんしょ」と「もんじょ」の違いが分かれば「こもんじょ」と読む理由も判明するかと思っています。
#1です。 どうやらご質問は、ニュアンスの発生に関するものだったようですね。言葉の問題かと思っていました。 古文書を「こもんじょ」と発音するのは、「ふるぶんしょ」と発音すると意味が変わるからです。 日本語は特に「同じ字に違う読みを当てる」という特殊な用法が可能である関係上、違うものに対して同じ字が当たる場合に、「読み方を変えることで新しいニュアンスを作る」という作業がしばし行われてきました。 「ふるぶんしょ」だと、単に古くなってしまった書類のことを挿してしまいます。 ですが古文書は歴史研究において重要な価値があるものなので、単に「古いだけの文書」ではないのです。そこで、「こもんじょ」という別の読みを当てることでニュアンスを変えることにしたわけです。 ではなぜ「こぶんしょ」ではいけないのかというと、これは言語の自然淘汰の問題ですので、合理的な説明がないのは当然です。 古文書という言葉が発明された当初は、当然ながら「こぶんしょ」と発音する人もいたでしょう。 ですがこの読みでは、どうしても「ふるぶんしょ」のニュアンスが残ってしまうため、自然と淘汰されて「こもんじょ」という読みが一般的になったのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 参考になりました。
この事は呉音と漢音と唐音という漢字の読み方について調べてみる事をお勧めします。
お礼
どうもありがとうございます。
そもそも「『こぶんしょ』と読んではならない」というルール自体が存在しませんので、合理的な説明がないのは当然です。 「書」を「じょ」と読ませていることから分かるとおり、この言葉は発音しやすいよう、単語の言い換えが行われています。 本来であれば「こぶんしょ」もしくは「こもんしょ」と読むのが文法上は正しいのですが、それでは発音しづらいので、もっとも言いやすい「こもんじょ」が採用されているわけです。 もしあなたが、どの単語も言いづらいと感じなかったとしたら、それは現代日本語の複雑な発声に慣れているからかもしれません。 「ヴ」「ウェ」「ヒ」などのいくつかの単語の発声を得意としなかった昔の人だからこそ、言い換えが必要だったのではないでしょうか。
お礼
どうもありがとうございました。 私の質問が舌足らずだったようです。 ルール自体が存在しないとのことですが、それは恐らく日本語の発音上の問題であって、歴史家など専門家の間では確かに存在するルールだと思うのです。 「古」の文字を抜きにして 「ぶんしょ」と「もんじょ」の違い、というか、 どのように区分されているか、ということに関してご教示いただければ幸いです。
お礼
ありがとうございます。 大変参考になる回答でした。