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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:現代人は一人になれないのだろうか?)

現代人は一人になれないのか?

このQ&Aのポイント
  • 最近のバラエティー番組の隆盛を見て感じる。「自分」と「番組」が一対一で向かい合う関係ではなく、どちらも半身で何も得るところがない。現代人が一人になれない、自分と向き合えないということに繋がっているのではないか。
  • 芸能人多数出演の番組が匿名性を象徴しているようにも思える。視聴者も「主張」ではなく「匿名」を見ることが一般的。これは自分の意見を持たないことと関連している。
  • マスメディアの成熟によりこのような状況が生まれているのかもしれない。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • walsch
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回答No.3

私もバラエティー番組は良く見ていました。しかし昨今のバラエティーには疑問を感じます。それどころか吐き気がするので全く見ていません。 あくまで「お笑い」を前提にした番組に対してのことですが、ボケがボケ、ツッコミがツッコミ、ボケが思う正論をツッコミが思う正論で正します。これをTVを通して「客観的」に見るから「面白い」のです。 もし実際自分が本気で正論だと思うことを「ボケ」と扱われ指摘されたら上に「俺が正論だ」と相手に主張されたらどれだけ不愉快な思いをするでしょうか? バラエティー番組はそれを知っていて「魅せている」のです。番組を引き立てるため、スタッフや観客も事前に指導を受け、後ろでスタッフなどの「わはははは」と言う盤外からの笑い声も演出の要素にしている所もあります。(もちろん発声から訓練を受けます) しかし最近は「やらせも演出だ」と言う傾向が正論化し、増大した上に、あなたの言うとおり芸人も、ワーワー言ってればウケるんだ、自分さえ面白いことすればいいんだ、と勘違いし、視聴者を無視して何の主張も無いようなバラエティー番組が混沌と放送されています。 結果「匿名」が先行し、内容はどうでもよく、視聴者は宙に浮いたような状態になります。 さらに加えて「人の不幸を笑い、幸福を妬み、茶化す」と言った鬼畜な傾向も出てきました。 これはマスメディアが日本の島国の多数決的な集団意識と日本人の共感を生みやすい「妬み、嫉み、僻み」を見事に逆手にとって印象操作しているためです。 多く「不景気だ、不景気だ、この人は実はこんな嫌な奴だった」と騒ぎ立てるのもマイナスから入った方が共感を生み、売れると思っているからです。 TVで印象操作された日本人は普通の対人関係でも同じように振舞います。それが「面白く」「正論だ」と洗脳されてしまっているのです。「客観的に見ている自分」と向き合えていないのです。つまり「一人になれていない」のです。「批評家は実行しない」と言いますがその通りです。散々相手を悪く言い、茶化し、妬むのに「じゃあ何か提案してよ?」と言うと押し黙ります。 マイナス教信者のマスメディアや人間は成熟どころか今後、衰退します。日本人の意識がこの変化に気付き、立ち上がる岐路に差し掛かっているように思います。

noname#32495
質問者

お礼

最近何年かまともにテレビを見ないため、バラエティーのそういう変質に気付かないでいました。ただ、昔から質がよかったにせよ、責任を大勢に転嫁させる形式を持っているという、根本的な嫌悪感があります。そして、品がなくなっていくという、致命的な傾向にあるようです。 やはり、「個」としてテレビだろうと本だろうと向き合うべきだと思うのです。それからです話は。その入り口までもマスメディアは排斥する傾向があります。それが、売れるからでしょう。結局はいたちごっこであり、絶望して付き合っていくしかないのでしょう。

その他の回答 (4)

noname#17702
noname#17702
回答No.5

♯2です。 そうですね。西欧はもともと狩猟民族でしたからね。個の能力を尊重し重んじる。 また、古代ギリシャで『スコラ』という市民が集まるサロンができました。様々な意見を出し合いお互い耳を傾け認め合った。それが後の『スコラ学派』となり『スクール』の語源にもなりましたね。 日本はどうだったのでしょう。極めて封権的な社会がついこの間まで続いていましたね。目上には逆らえないなど……… そんな現高齢者層はどうだろう? 明治維新で様変わり、度々の戦争、戦後高度経済成長でテングになりなんでもアリのやりたい放題。 行政はグリーピアなどの箱物行政、住専問題、年金や雇用保険の横流し、賄賂、談合、ロッキード、丸紅事件……… 企業も酷かった。かねみ油症事件、いたいいたい病、サリドマイド、水俣病なんてもう50も経つのにその裁判はいまだに結審していない。 テレビも酷かった!ドリフの8時だよ全員集合!では下ネタドタバタ、上半身裸のオッパイ剥き出しの女の子がたくさん出てた。それもゴールデンタイムに!特にハレンチ学園とか!、子ども心にも何だこりゃ!と思っていました。他にも11PMやトゥナイトなど。映画もエマニュエル夫人などの官悩映画を普通に放映していました。 だからバラエティー番組は現在の方がまだましです。ピン芸人たちの世の中を風刺したギャグなども秀逸です。 今や日本の負債は815兆円!どうするですかね?これ!俗悪な現高齢者層がやりたい放題やった結果です。これは未来の子どもたちにそのツケが回るんです。 悪質だった団塊の世代はやり逃げなんですよ。 若い人たちの方がよっぽど真面目で前向きで建設的な人が多いんですよ!

noname#32495
質問者

お礼

そういう見解も頷けます。

回答No.4

確かに一人になりづらい状況だと思います。 日本では欧米のように幼少の頃から「一人の人間」として個人個人の人格を尊重されてい ないのが現状で、親の所有物のように「うちの子」として扱われ、わりと長年にわたって 親の支配・コントロールを受け続けていて、しかも、多くの人たちが「それが当たり前」 だと学習していて、あまり疑問を感じてはいないように思います。 加えて、欧米では「自分を尊重できること」「自分を表現できること」「他人の価値観に支 配されたり依存したりしないこと」が「自立」と考えられているのに対し、日本では「世 間様や他人様に迷惑をかけないように生きること」「常識的に行動できること」が「自立」 と考えられているところもあり、物理的には一人になれても精神的には一人になりづらい 状況なのだと思います。 なので、自我を発達させ、個として独立することができにくい状況のように思います。 それでも多くの人が「自分を単体にしたい」と無意識に求めているようにも思います。 そして物理的に一人になりたがります。そのわりに実は一人になることが怖くもあり、人 を求めたがります。そのわりに個人対個人で感情のやりとりをすることに慣れていません。 結果、テレビという安全な「人間のようなもの」と「おともだち」になったりするのでは ないかと思います。テレビは孤独を紛らわせてくれる上、自分を攻撃しませんし。 「一人になりたい」と思うのも、「人とふれあいたい」と思うのも、健康なことだと思うの ですが、そうするためのスキルが不足しがちなのが現状だと思います。

noname#32495
質問者

お礼

やはり生育暦に関係がありますか。 そのテレビへの向かい方なのですが、何かを確実に訴えるような番組、それはドキュメンタリーでも科学でも文学でもいいわけですが、そういう「教養系」のものにさえ、製作側が、最近は出演者多数を持ってパーティーであるかのような匿名性と無責任性を醸成している気がして、これはいったいどういう変化なのだろうかといぶかしがっている今日この頃のわけです。 つまり、テレビでさえ、「個」になる時間ではなくなっているといえるわけで、つまるところ、リアルな人間関係であろうが、対人擬似空間(テレビ)であろうが、「個」を意識することを避けまくっている風潮なのかということなのです。

noname#17702
noname#17702
回答No.2

日本人は群れたがるんです。海外でも有名ですね。 それは日本が農耕文化で共同しないと生きていけない社会だったからです。 なので、集団主義で「個」を重んじないのです。 かえって、抜きん出た才能や能力のある人はねたみ、そねみ、やっかみなどで嫌がらせを受けたり………。村八分とかね。 日本人は卑しい民族なんですよ。

noname#32495
質問者

お礼

その、農耕の記憶というのが現代も社会的底流として流れてしまっているものなのでしょうね。西欧でも農耕は文化なわけですが、その割合が小さいし、形態も違うのでしょう。その「個」の問題というのが、宗教的慣行的な問題として根を下ろしています。

  • t78abyrf9c
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回答No.1

日本人にとって「個(自分)」の確立は、元々難しい問題なのではないか?と常々感じているのですが・・・。 こういう風に言うと、「人種は関係無い」なんていう人が出て来たりするのですが、私は「個」の形成と宗教との関係は、切り離せない問題だと思ってます。 http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-74.html http://www.interq.or.jp/pluto/yassy/wasuremono.htm

noname#32495
質問者

お礼

宗教的背景の問題があって、歴史的に築きあげられた問題であったようですね。資料は参考になりました。