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動機とはなんなのか。
最近、動機とは何かと考えることがあります。動機は自分の先天的な特性や環境、教育などいろんなことが絡み合いながら生まれるのだと思いますが、自分をよりよい方向に動機付けるにはどうすればいいのかと考える時、意志の力で自分や環境、知力を変えていければ何か変わると思い努力しますが、その努力もなぜか自然に中和されて、なるようになったというふうに何か大きな枠組みの中でうごかされてされてしまっているような気がします。動機も含めて運命にあやつられているような感じがします。動機とは、そのものに意志が存在するようなものなのか、それとも、自分は向いていたから、あるいは好きだからというような環境からの自然に発生した偶然の運命なのか、と考えるのですが良くわかりまっせん。認知科学などの本を見たのですが、かなり難しいので求めているものがどこに書いてあるのか解りません。解りやすくいえば、どのようなものなのでしょうか。詳しい方がおられましたらお教えてください。
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深い!! あまりに深いです! しかも文才がありますねえ♪ どちらかというと国語よりも哲学の分野です。 人は運命という得体の知れないものに 左右されて生きるのか、自分というものが 存在し、自己の責任と判断で物事を選択しているのか? 極端な話、あなたの一秒後に起こす行動は 決まっていることなのか、いないのか・・・ ここで私がPCにてあなたへの返事を書いているのは 偶然か必然か・・・ 過去の哲学者と呼ばれた人達はそのことを 真剣に考えていたりします。 経験が全てを決めるとか、生まれ持った理性で 考えようとか、いろいろです。 マキャベリという人はこんな風に言ってます。 「運命は我々の行為の半分を支配し、 他の半分を我々自身にゆだねる。」 哲学の世界をのぞいてみてはいかがでしょうか。 私ももう一度考えます。 まあ、それぞれの回答は非常に長いものに なりそうですねヽ(´ー`)/
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- hakobulu
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全く素人的な考えなのですが、動機付けとは端的に言えば【損得】を判断した結果、自身の行動に対して持つ意味付けだろうと思います。 もちろん得だと認識しなければ動機付けは行なわれないでしょう。 ですから、『何を得だと感じるか』という点に焦点を当てるとわかりやすくなるのではないでしょうか。 相対的な価値観に重きを置いてしまうと得だと感じることの底が浅くなってしまい、結果として他からの反応が乏しいことで、当初の動機付けに疑問を持つようになることもあるように思います。 あまり肩を張る必要もないでしょうが、とりあえず「自己の絶対性」という観点で動機付けという作業自体が動機付けられるようになると、揺らぎは減少するような気がします。