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なぜ園韓神祭を宮中でするの
皇室では平成の今日でも、毎年新嘗祭をする前の丑の日に 「園韓神祭り」を宮中でしているとあります。 古事類苑という本の神祇の部に書かれています。 韓とは借字、あるいは土地の名ではなかろうか?。あるいは枯萩(カラヲギ)とありました。 とてもデリケートな質問だと思います。正解をご存じなくても諸説を教えて下さるだけでも嬉しいです。 園城寺に密教がらみで、新羅の神を韓とし、中国泰山赤山院の神を園神として術呪で国家を守ろうとした名残だったのか?。 それとも単純に平安遷都の際に、御所建設予定地に韓神の祠があり、移転させようとしたら神勅がおりてそのまま竈の神として祀る食(お)す国の祭り事の儀礼に組み込まれただけなのか。新嘗祭は米に形を変えた神を帝が共同食事会をする事で異界に贄(にえ)をほどこす行為とも聞きます。外国(当時の中国が唐カラないし半島が新羅という韓)は生贄という動物の犠牲の上にその肉片を饗応する事が王になる儀式だと聞きますが、日本は穏便な米という植物の粒を食べて魂と肉体を交換する際の異界をそと(韓)として見立てた贄(にえ)の儀礼のため暴力的異界に穏便な魂と肉体の交換で皇位を継承しょうとする独自路線を表明するためにあえて異国の神を丑の日に使ったのか。 それとも呉の倭人が半島や列島に住み。文字という記録がなかったために、ルーツが意外と外にあったのに分からなくなったせいでしょうか?
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- at9_am
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> 御所建設予定地に韓神の祠があり、移転させようとしたら神勅がおりてそのまま竈の神として祀る食(お)す国の祭り事の儀礼に組み込まれただけ ↓にあるように、平安遷都の際、韓神をまつる古社があり「猶(なお)此の地に坐して、帝王を護り奉らむ」との託宣があったため、宮中に鎮座することになったらしいです。 この古社の由来は、おそらくこの地に住んでいた渡来人の持ち込んだ祖霊神を祀るものであったと考えられます。