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陳舜臣十八史略の創作部分は?
この前陳舜臣さんの「十八史略」を読みました。 中国史に興味があったので読んでみたのですが、いきなり最初から「妲己は周公旦が育てて献上した」という記述にドッキリ。 今までこんなの聞いた事がなかったので創作だろうと思いましたが、まだ自分が勉強不足なだけで本当なのかも?と半信半疑になってしまいました。 題名が「小説十八史略」なので創作や作者の主観もあるだろうと思いますが、そういうのは納得の行くように作られているものなので、まだ中国史初心者な私は多分全部信じてしまっていると思います。 かつて北方謙三さんの「三国志」を読んで鵜呑みにしてしまい、色々とおかしな誤解をしてしまって衝撃を受けたことがあるので(笑)今回こそは正しいこと(歴史書に乗っていること)を知りたいのです。 これを読んだことのある方で、「これはカンペキ創作だ」とか「これは信憑性がかなり薄くて、こっちの説の方が信憑性が高い」とかがあれば是非教えて下さい。 ただ、複数の歴史書に矛盾して書かれていることについては、本物の「十八史略」に書かれていることを教えて下さい。(十八史略じゃない方の出典も教えて頂けると助かります。)
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古代史であればあるほど創作の度合いが大きいかな~というのは、何となく読んで感じたことです。 ですが歴史を少しでも深く関われば分かりますが、歴史に「絶対」はありません。「どれどれの時代の某の最期に新たな新説!」だの「××はこうこうこういう功績があったというのが定説であったが実はこうであった!」などと歴史の新学説の発表や、定説の根底からひっくり返す事例や、複数の仮説の論争は実によく見かけます。「大昔から伝わった文献や資料だから」、と鵜呑みにすると実は…などという話も多いです。 少々話題から逸れてしまいましたが、 このような今まで研究されてきてつづられてきた歴史の中には無数の「隙間」や「グレーゾーン」があり、そういうところが歴史小説家たちにとって格好の狙い場所であり、想像力とロマンの表現の場になってしまうのです。まあ、創作しまくりの作品もあるでしょうが、陳舜臣氏の「十八史略」を読んだ限りでは、このような「歴史の隙間」を想像力で埋める、という傾向を感じました。かなりのボリュームの内容なのですぐにはこれこれ、などと思い出せませんが、一番印象に残っていたのは最終巻、中国人であれば誰でも知っているであろう「逆賊」秦橧(国を裏切り愛国者岳飛を陥れ処刑した大奸臣!というのが普通の人達が持ってるイメージですし、そう教わってるはずです)をかなり擁護的に書いていたことです。確かに彼がやったことを見直してみると講和推進と主戦論者と軍閥の粛清…(多少語弊があるかも知れませんね(^^;)彼は実は和平論者であり現実主義者、という見方もできます。ははぁ、おもしろいな、と素直に感心しました。 とはいえ鵜呑みはだめですよ~陳舜臣氏も鵜呑みにされることは望んでないはずです。この作品の正しい読み方としては、教科書を基準に中国史(概説書など色々出てるはずです)を理解し、一通りの通説を身に付けてから本書を読み、ひっくり返される気分を味わって楽しんでください(笑)。「そうか、こういう歴史の『穴』があったか!」という再発見にもなります。 それでは長文乱文失礼しました。
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- ijuding96
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>陳舜臣十八史略の創作部分は? >北方謙三さんの「三国志」・・・・。今、売り出しの中国歴史小説家の輩など。 所詮、物書き屋の閥類を鵜呑みにする暇人が居るから、作家と称して彼らは飯が食える。 信憑性の有無は読者が判断する。 中国史を理解のための基礎は大学での専門知識が無くても自己研鑽。 専門書読破で真偽は身につくものと知る可し。 初心者は史書から学び言行録、政治論十八選、思想編、戯曲、記録文学(三国志演義等も含む)。 平易な解説付きも図書館、書店で捜せば見出させる。 明治時代の重鎮、副島種臣(滄海)は「史記、三読後、筆を下した」と言う逸話もある。 「文、詩文は自分の分身であることを心得るべし」 後世に恥を残さない為にも。
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと耳に痛いお言葉ありがとうございます。 これから世界史をやるので、そのときに改めて勉強してみます。
- alpha123
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妲己は実は、周公旦が紂王を堕落させるために差し向けた工作員だった、というのが新規見解というか、創作部分です。 実話だったら面白いです。 何しろ美女と評判の娘がいてその子(赤ちゃん)養育してお嫁入りさせるんです。 西施は越の名臣范蠡が国王に送り込んだというのもあります。桀には末喜、紂には妲己、周の幽王には褒姒という具合です。国王はめろめろになったわけだから話しあってもぴったり感はある。 こういうのを「傾国の美女」といいます。 周公旦は王の弟だから(執政)明治天皇の弟が遠ざけられたのに比べればましです。 (権力役割与えられず、パリに追放された。パリ社交界で遊びまわったが費用は日本帝国もちです(^^)。外務省の裏金はここらから蓄積されたわけね)
お礼
回答ありがとうございます。 創作、というか確証がないんですね。歴史書に書かれてないというか。 書いてないケド可能性も多分にある…こういう歴史の影の部分の推測っていうのもロマンがあっていいですよね。 他にも確証がない(創作の可能性大な)部分があったらお願いします。
お礼
回答ありがとうございます。 三国時代以外予備知識ゼロで読んでしまったので、この本基準で考えてしまいました(教科書で逆にひっくり返される気分かも) 中国史については他の本や考察サイトを読んで正しい(と思われる)知識をつけていこうと思います。