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鹿児島のお城について
鹿児島の城山というところに昔、島津の「城山城」というお城があったらしいのですが、それは「鹿児島城」とは別のものなのでしょうか。 先祖が城山城の門前の屋敷に住んでいて、その前をよく西郷隆盛が犬を連れて散歩していたという話を代々聞いていますが、肝心なところはよくわからなくなっています(かなり高齢なため)。 ネットや複数の本で調べてみましたが、その2つの城の関係はどのようなものなのでしょうか。 ちょっとしたことでも構いませんので、その辺りのことをご存知のかたがいらっしゃいましたら、教えていただけたらうれしいです。よろしくお願いします。
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城山城というのは、島津家が主に居城にしていた鹿児島城の支城のようですね。 したのサイトで紹介されているように鹿児島城は単体では防衛力は皆無ですが、こういった「砦に毛のはえたもの」を回りに配置することで、備えていました。 単体では防衛力が不安な城というのは結構あるため、こういった、防衛に特化させたものを配置するというのは結構多かったです。特に平城系の平地に建てられている城はどうしても防御力の点で劣りますので、こういった山城系のものを組み合わせたりしていました。 ただ、山城は文字通り山のてっぺんとかにあるため、大規模兵力の移動、迅速な行動や通勤には不便という欠点があり、本城として使うには平城のほうが上だったようですね。あまり大きな城も建てられませんし・・・ 徳川の時代になってからは一国一城制となったため、支城のほとんどは廃城となりましたが、島津はひそかに保存し続けていたようですね。 大きな城というのは各地にありますが、実際はすでに平地に近くなっている城だったものというのは、それこそ星の数ほどあります。
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- koon1600
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もうひとつサイトを紹介しておきます。 鶴丸城というのは鹿児島城の別名ですが、その後ろに鶴丸山、つまりそちらがいっている城山があります。 そしてそこにある城が城山城です。 城山というのは、日本各地に同じ名前が存在しています。もとは城の山とか、城の役割をもつ山、といったニュアンスです。で、その城山にある城なので城山城というわけです。
お礼
再び、ありがとうございます! 今まで祖母の話などから断片的にしかわからなかったので、すっきりしました。
補足
わかりやすい回答をいただき本当にありがとうございました!どちらの方にも良点をさしあげたいのですが、システム上無理ですので、二度ご回答いただきましたkoon1600様に良点とさせていただきます。この場をお借りして申し訳ございません・・・。
- caesar-x2
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違います。 通称で鹿児島城と呼ばれているものは 「鶴丸城」のことです。 城山城は、西郷隆盛が死んだ城山にあった 山城で当時はすでに廃墟(というかただの山)でした。 西郷隆盛の当時の住所は知りませんが、 現在は公園になっていて、散歩コースにはよかったかもしれません。 護大名であった島津氏が戦国大名になった島津貴久は 清水城から南に内城を築いて居城を移し それまで島津氏は山城を居城としていましたが、 この城から平城に変わります。 慶長7年(1602年)、 (孫の)島津家久は中世の上之山城を 背後に抱える鶴丸城を築いてそちらに移ります。 島津氏に限らず、九州の土俗の大名は 築城様式が古く、 平素暮らす城(館)と、戦争時の山城の二つをもっていました。 これは南北朝時代からの古いやり方ですが、 戦乱が終わり、平和な江戸時代になったことから、 何人かの賢明な九州大名は、費用のかかる大きな城をつくらず 昔のやり方を踏襲しました。 戦国時代、薩摩には、多くの城・砦があり、 それが島津家の領国支配体制を形成していました。 しかし秀吉に降伏してから、中央の政策に従って それらの城・砦は破棄され、 現在は石垣の一部など遺構のみが残っています。
お礼
さっそくのご回答、ありがとうございます。 こういうことだったのですね!すっきりしました。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 サイトも大変参考になりました。 歴史は苦手ですが、自分の先祖がどういうところに住んでいたか、少しわかったような感じでうれしいです。