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タロとジロはどうして南極に置き去りに
犬のタロとジロはどうして南極に置き去りにされたのでしょうか? 一年後の生還が有名ですが、そもそも置き去りにしなければ問題にならなかったはずですが。 また、犬はやはり犬ぞり用として連れていったのでしょうか? それ以外の用途でしょうか? よろしくお願いします。
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No2/6です。 質問者も一部の回答者も犬ぞり用に訓練された樺太犬の性質、使用実態をまったく知らず、単なる愛犬としてみておられるようですね。 結果として悲劇物語、或いはタローとジローの美談になりましたが、樺太犬が雪原で夜を過ごすこと、その場合鎖に全頭がつながれることは、ごく普通のことです。人間はテントこそ張りますが犬と生死をともにして行動するので(犬に命を預けている)虐待などありえません。 悲劇は南極という当時は未知に近い極地で思わぬ天候異変で起こったことです。
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- bluesheep_alii
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No.3です。ブログですが、樺太犬について詳しいページを見つけたのでごらんになってください。毛質も密集した生え方で、ページによると「寒さに強く・耐久力があり・粗食にも耐える犬」とのこと。 おそらく相当な寒さでも耐えられるだけの強さがある犬だと思います。ページに乗っている犬の写真も屋外で動き回っているものばかりですし、南極という環境で屋外にいても生活できると思います。犬は風などの寒さよりも、よっぽど水に濡れてしめった冷たさを苦手とすると思います。 いざ出産となれば基地内にいれればいいと思いますし、たいした設備も付けられない当時に、下手に小屋など作っても風で飛ばされたり、犬が壊したり、意味が無いような気がします。それに大人しく小屋に収まるほどなついていたかも微妙だと思います。 それにNo.12さんもおっしゃっていますが、当時犬小屋を作るという発想がなかったというのもあるのではないかと思います。 屋外の犬の生活が気になるのなら、やはり「南極物語」やドキュメンタリーを見たらいかがでしょうか・・?すでにご覧になっていたらすみません。
- simasimafish
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私も色々調べてみましたが・・・ >ブリザードが吹きすさぶマイナス40度、50度当たり前の世界 初の越冬に挑戦しようというのが置き去り事件の当時の状況です。 つまり、南極の冬の実状は、まだ解明されていなかったんじゃないでしょうか? また、それ以前の「南極探検」は、人もテント程度、 犬は雪の中。 というのが、当たり前だったはずです。 (探検しながら移動している訳ですから・・・) 「犬小屋」という発想がないのも、当然といえば当然かと・・・。 南極物語の置き去り事件ばかりが有名ですが、それ以前に (国家事業としてではなく行われた)白瀬南極探検隊も、 やむをえず、犬を置き去りにしているそうです。 また、白瀬南極探検隊が最初にトライした時には、赤道付近の 暑さのせいで、殆どの樺太犬が船上で亡くなったそうです。 当時は、それほど設備も悪く、知識もない状態だったのでしょう。 さらに、1970年代のイギリスの南極探検隊が、役割を 終えた多くのそり犬を殺して帰還した、という話もありました。 動物愛護に熱心なイギリスでさえ、そのような事があったようです。 ネット上の情報は、尾鰭が付いたり、誤解が誤解を生んで 真実とは違ってしまっている部分もあるかもしれませんが、 それだけ厳しい環境なのだという事ではないでしょうか。
- cherry_storm
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なんか南極を北海道あたりと勘違いしてるみたいなので・・ >厚い流氷で囲まれたのであれば歩いて渡れたということです。 何十キロも徒歩で荷物を持って氷の上を歩けますか?途中クレバスもあり、氷の薄いところもあり相当危険です >暖かくて快適な犬小屋があれば、繋ぐ必要はなかったと思います。 犬ぞりの犬が暖かい快適なところにいたら何の意味も無いです あなたも暖かいところにいるのに、わざわざ寒いところに行くのはいやでしょ? 別に動物虐待でもなく、寒いところでも耐えれる犬ですから そのような環境で飼うものなのです >一人ぶんくらいの燃料と食料はあるでしょう。 犬もいますし…。鉄砲があれば狩もできます。 真冬には猛烈なブリザードの為狩りなんてできませんよ 食料は良いとして、問題は暖を取る燃料と基地の耐久性でしょうね 疑問に思われるなら南極物語を見てみたらどうでしょうか? 最初の一時間は、越冬中止までの流れですから疑問は解けますよ
お礼
ありがとうございます。
犬小屋なんてはなから作る気もなく、固定されたロープに等間隔で犬を繋いであっただけです。雪に埋もれて寝ていたんですよ。 人になれないとかの問題で有りません(橇犬になるような犬種はどれもフレンドリーです。) 置き去りにするにも自由にするのが当然でしょう。餓死を強要したのです。
お礼
ありがとうございます。 南極の戸外で飼っていたとは驚きです! 少しでも衰弱すると即死しそうですね。 22頭連れて行ったのですから、何匹かは死んだのでしょうね。
- apple-man
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No.7のご回答にある >話を美化しがちです というのも何となく納得が行きます。 帰国後タロとジロは日本で死んだのですが、 その遺体は剥製にされたんです。 大事な仲間を剥製になんかするでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 感動物語といいますが、考えてみると人間は樺太犬を使役しただけですね。 犬は従順に人間に尽くしました。 ちなみにジロは3年目の南極で病死したそうです。 三兄弟だった「サブロ」は日本での訓練中に死亡したそうです。 http://www.jonathan-pocky.com/jonathan/ponta-pocky/john.html
当時は犬なんて道具でした。それ程の緊急事態でなくともおいていかれたでしょう。 問題は繋いだまま置いていった事です。その為、ほとんどの犬が餓死してしまったんです。まったく酷い話です。 更にタロ・ジロも帰国後、隊員に飼われたわけではありません。 話を美化しがちですが事実はこんなもんです。
お礼
ありがとうございます。 >問題は繋いだまま置いていった事です。 人間に慣れてなかったので繋いで飼っていたのでしょうね。 暖かくて快適な犬小屋があれば、繋ぐ必要はなかったと思います。
No2です。 南極のことがよく分かった現在の常識で第一次越冬隊の行動を責めることは出来ません。もし人間が取り残されていたら選択肢は二つにひとつでしょう: 交代要員を待って越冬する。又は他国の越冬隊に救助を依頼する。しかし、当時はまだ他国の基地との互助体制は出来上がっていなかったと思います。 現在の金持ち国日本には考えられない貧弱な装備(砕氷能力の低い船)と極地の変化の激しい気候が生んだ 悲劇と理解すべきです。現在の南極には船や飛行機で観光客が訪れ、アルゼンチンの基地には基地生まれの子供たちのために教師まで派遣されるという変わりようです。
お礼
ありがとうございます。 考えてみれば、人間が取り残された場合、その人に危険はないように思えます。 単独で越冬すればいいですね。 一人ぶんくらいの燃料と食料はあるでしょう。 犬もいますし…。 鉄砲があれば狩もできます。
- apple-man
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>でも本当に天候が悪ければヘリなど飛ばせません。 本当は第二次越冬隊が南極基地に向かうはずだった んです。ですから第一次越冬隊員の人たちは 犬たちを全てつれて帰ることを考えていません でした。 第一次の人たちがやっと帰国しようとして いたくらいの時代ですから、日本も南極の 気象をよく理解していなかったんです。 本当は観測船宗谷がもっと基地に接近して、 人員と物資の移送を行うはずだったのですが、 流氷の厚さが予想以上で、基地に近づけなかった ため急遽ヘリでの移動になったのですが、 そのまま居れば、今度は宗谷が氷に閉ざされて 戻れなかったかもしれなかったんです。 気象条件が悪いのは、第一次越冬隊の 人たちも知っていたのですが、宗谷が すぐにでも南極を離れないと危ないので 第二次越冬隊が中止になったということを 知らなかったんです。 確か、犬係りの人は最後まで犬たちを 救出するための最後のヘリを出してくれと 懇願していたと言われています。 >砕氷船の任務を考慮すると、燃料や水が不足していたとは考えづらいです。 宗谷の能力を超える流氷が発生していたんです。 ですから戻れなくなる危険があったんです。 >取り残されたのが人間だったら…。 残った人が一人だったら、多数を救うために 犠牲になっていたかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 砕氷船の能力が低いのが原因のようですね。 国をあげてのプロジェクトですから、本当に危険だったと解釈したいです。 ひとつだけ疑問なのは、厚い流氷で囲まれたのであれば歩いて渡れたということです。 南極大陸の海抜は平均でマイナス200メートル、つまり全部氷です。
- igarasik0
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昭和基地 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/昭和基地 ----------引用開始---------- 1958年、1次隊に続けて隊長となった永田率いる第2次観測隊を乗せた「宗谷」は、深い岩氷に挟まれ、接岸を断念。2月14日、1次隊越冬隊の全隊員は飛行機とヘリコプターで脱出した。犬のうち15頭はその後の活動のため残された。しかし天候は回復せず、2月24日正午(一説では13時)、永田は越冬不成立を宣言。犬は置き去りにされた。しかし、当初2次で終了する予定であった観測隊が、2次観測隊の不成立により3次まで延長され、1年後に第3次越冬隊が昭和基地に到着すると、犬のうちタロとジロの2頭が昭和基地で隊員を待っているのが発見された。この逸話はのちに「南極物語」という映画になっている。 ----------引用終了---------- つまり、最初から置き去りにするつもりだったのではなく、天候回復後すぐ2次観測隊を送り込み彼らが世話をするはずだったが回復しなかったため断念、結果として置き去りになったということのようです。 私が昔読んだ本では、隊員は「天候の悪化が予想されるから非難しろ」というような連絡を受けて天候悪化の前に離れたという感じだったと記憶していますが、勘違いだったり、その本の演出だったりするかもしれないので、信用性はありません。
お礼
ありがとうございます。 事情はどうであれ、寒いところで働かされ、置き去りにされても犬は人間を恨まなかったところがすごいです。 今犬を連れていくとするとペット用でしょうね。
- bluesheep_alii
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これらのページは参考にならないでしょうか? http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/main/gaiyo/tarojiro/ http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/000409.html 天気の合間を見計らって、限られた回数しかヘリコプターがとばせなかった、という理由もあったのではないかなと思います。つまりは、犬のために隊員の命を危険にさらすことはできないということだと思いますが、隊員の方達にとっては苦渋の決断だったのだろうと思います。
お礼
ありがとうございます。 犬は南極で二年働く予定だったのですね。 クサリにつながれたままとは知りませんでした。 大きな犬小屋でもあったのでしょうか?
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お礼
ありがとうございます。 >樺太犬が雪原で夜を過ごすこと、その場合鎖に全頭がつながれることは、ごく普通のことです。 これはよく理解できるのですが、心配なのは、生活の場が南極だということです。 ブリザードが吹きすさぶマイナス40度、50度当たり前の世界で、北海道とは比べ物になりません。 その地で何年(結果的には五年)も生活(出産など)するわけですから、当然犬小屋はあったのだと考えたのです。 南極という未知の世界に向かうにはそれなりの装備が必要です。 ちなみに置き去りが決定したあと毒りんごを与える計画だったそうです。 http://homepage3.nifty.com/purinto/library/inu7.html