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おそらく簡単な文法事項・・・

Human beings have been too proud that the modern civilization could control the earth and nature. という文章の、could は可能性のcouldかcanが主節の時制に引きずられたのか、もしくは両方の可能性を含むのかが知りたいです。お願いします。

みんなの回答

回答No.3

質問:おそらく簡単な文法事項・・・ と仰せられていますが、なかなか難しくて面白いです。 簡単に考えることができるのかもしれませんが、自分も迷ってます(笑) パッと見では、couldを使うのは、怪しいと思ってしまいます。可能性もしくは仮定法の意味を含有しているのではないかと・・・。 can は、能力の場合、通例、主語は「人・動物」などに内在している能力で「できる」ですね。 可能性・推量の場合、「人・物・事」などが外的な要因によって「できる・しうる・かもしれない」ですね。 厳密にいえばどちらも「できる」の意味を内包していると言えます。 the modern civilization は「物・事」に分類されるから可能性でいいのでは? とならず、the modern civilization は人を含む擬人的名詞ととらえられると思いますので、どちらも使えそうです。 次に、that節のとらえ方ですが、 感情を表す形容詞(glad・surprisedなど)のあとに続くthatは、「~であったことを」「~なので」など、通例はthat以下が、時間的には古く、that以下が原因、主節が結果のような、因果関係が生じると思います。 この文では、「現代文明がコントロールできたので、人間は鼻高々になりすぎている」という因果関係が生じそうです。 しかし、単に「できた」と言いたければ、#2さんが少し触れられていますが、was able to を使うべきであるかもしれません。could は能力、was able to は能力に加えて1回実践したということになるので・・・。 ただ、the modern civilization は、広い意味を持つので、「ある個人が1回だけ~できた」というのとは違うので、could でも「~できた。行えた」と言える気もします。 だんだん彷徨いつつあります(笑) 文脈が取れないので、とらえ方が難しいですが、自分的には可能性・推量(仮定の意味も含む可能性あり)かなぁと思います。 tooは「度を超えて」の悪意があると思いますので、 「(自分の時代の)現代文明なら、地球と自然を支配できうるのではなかろうかということを、人類たちは、あまりにも鼻持ちならないくらいに誇らしげに思ってきたのである」 modern civilization に the がついてるので、過去のいろんな時代の人類たちが、それぞれの時代において持っていた「現代文明」ということで、無冠詞になっていないと推測されます。その意味で、和訳には(自分の時代の)を挿入しました。 極力丁寧になろうと心がけたのですが、わかりにくくなったかもしれません・・・。 wind-sky-wind さんや、Gさんの参加を待ちたいところです(笑)

toiji
質問者

お礼

ありがとう御座います。 長いコメント、ありがとう御座います。外大の英語の方でしょうか??なかなか・・・専門的です では、wind-sky-wind さんや、Gさんの参加を待ちタイと思います

回答No.2

ちょっと失礼します。 参考になるかどうか分かりませんが、たまに英語で喋ったりするもので、ちょっと御話を。 人類が凄く誇りにしてきた事は、現代文明は地球や自然を支配できると云う事だ。 ネイティブがリスニングして理解する順番で日本語化すると、御示しの英文は大体こんな感じで理解出来るかと思います。 と、云う事は? 可能性(推量)では無いですねぇ……。 was able toを使わないのも、元々がcanだからだと理解しても良いでしょう。 まずは御話まで。御役に立てれば幸いです。

toiji
質問者

お礼

ありがとう御座います。 うーん、ネイティブになりたいです(笑 日本に住んでいなければこんなこと考えなくてもいいのかも知れません

回答No.1

主節が現在形(完了)なので、時制の一致ではないですね。内容からしても弱い可能性のcouldということになりそうです。

toiji
質問者

お礼

ありがとう御座います。 あ、ほんとですね(笑 現在完了は時制の一致受けない、って中学生レベルですね。すみません

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