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「情けは人のためならず」の「厳密な」意味
情けをするのは、人のためじゃない。自分のためだ。 そういう意味なのはわかっています。いまさら、人のためにならないんだよ、なんて阿呆な答えは言わないのですが。 …自分のためって、どういう風にでしょうか。 (1)人にした恩が、いつか自分に返って来る (2)人の苦労を背負ってやることで、自分を鍛える …どっち? どっちもじゃない?とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、最初にこのことわざを考えた人は、どちらか一方を体験してこれを作ったんだと思うんですが。 厳密にご存知の方、もしいらっしゃいましたらご回答ください。
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出典とされる以下の時代別の書籍の言葉の内、「情けは─ならず」は「情けは人の為ならず」の略です。 「曾我物語」(南北朝頃1315~1420年の伝記) 「情けは─ならず、無骨の所へ参りたり、又こそ参らめ」 「太平記」(応安3~4年=1370年頃の軍記) 「情けは─ならずとは斯様の事を申すべき」 「山中常盤」(1620年代の絵巻) 「たんだ人には情けあれ情けは──ならず」 「葵上」(室町後期1960年以降か?謡曲) 「思い知らずや世の中の情けは──ならず、我人の為つらければ、必ず身にも報うなり」 「世話尽」(明暦2=1656年) 「情けは──ならず身に廻る」 「御前義経記」(元禄13=1700年) 「とかく色には情けあれ、情けは──ならず」 「常夏草紙」(文化7=1810年) 「情けは──ならず、小半年の房銭(かどせん)を十倍にして取り返す日もありなんとて」 乱世下克上の嵐にあって、因果応報思想が盛んとなるや、善因は善果を、そして悪因は悪果を廻らすという意味で、悪行は仕返しや仇討ちを招くが、善根を積めばやがて世間の善意となって報いられるという、1)の意味が本来なのでしょうか。 それが、世阿弥における「葵上」のように、「我人の為つらければ、必ず身にも報うなり」といった、善根応報より一歩踏み込んだ、更に2)の意味に近い形で、ついに諺としての完成を見たのではないでしょうか。少なくとも、私はこの言葉が一番、諺としての結構を尽くしているのではないかと思われます。 それが、時代が落ち着きだした江戸前期にはより功利性を帯びた1)のニュアンスや、幕末では「十倍にして取り返す日もありなん」といったなお一層利己的な、2)はもとより、もはや1)さえ離れて、「自分の利益のため」のトーンさえ帯びだしている、そんな世知辛さ、浅ましささえ混じっているようです。
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- mii-japan
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質問者へ #1のに めぐりめぐって てあるでしょう ここが肝心なのです。 直接の相手から返ってくることではないのです めぐりめぐって この意味をもう一度良く考えてください
お礼
めぐりめぐって、ですか。 恩も自己の鍛錬も、めぐりめぐって、と取れるかもしれませんね。
- merlionXX
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「情けは人のためならず」の出典は「曾我物語」で、「情けを 人に かけておけば それが めぐりめぐって、いつか 自分にも よい報いが来る。だから人には 親切にしなさい」というお話です。 だから「情けは人のためならず、めぐりめぐりて己が身のため」と言われることもあります。 正解は1番ですね。
お礼
なるほど出典があるんですね。1番でしたか。 最近は情けをかけても返さない人もたくさんいるから、と言う風に思い、自分の中では2番だと思って使っていました。 こう考えると時代によってそのことわざが必ずしも成立するわけではないようになっていくこともあるのかもしれませんね。 ともあれ、非常に勉強になりました。あまり古典は残念ながら読まないので、きちんと引用の元があるのだ、ということが理解できて非常に収穫です。今度他の人にも話してみたいと思います。 どうもありがとうございました。良くわかりました~。(^^)ノシ
お礼
なるほど。ここまでやっていただけるとは。かなり感動です。 時代によってやはり意味合いが変わってくるようですね。それだけこの言葉に普遍性があり、そして客観性がない根拠となりえるでしょう。 そしてことわざはやはり自分の心の中でどう考えるかと言うのが最後の決め手になるのではないか、とこの回答を見て思いました。 非常にありがとうございました。世阿弥さんのような使い方もあったということがわかっただけでもかなりの収穫でした。ではでは。