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思いやり?情けがない
私は人から何かしてもらうのが当たり前のように感じてしまい、恩をすぐ忘れてしまうところがあります。 何かの本で、人間は人の為に役立つ事で生きる意味を見いだせるような事を書いてましたが、そもそも私は人に何かをしてあげて「ありがとう」と心から感謝されても、あまり嬉しく感じません…。 おかしいのでしょうか? だから気遣いもあまりできません。 そもそも自己中なんだと思います。 こんな自分が嫌になります。 どうしたら思いやりをもてる人になれるのでしょうか?
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僕も似たような人間なので回答してみます。 どうしたら思いやりをもてる人になれるか、という質問ですが、 ズバリ「困ったとき」に「ありがとう」と思えるのではないでしょうか。 それらが積み重なって思いやりになると思います。 逆に言えば「まだそこまで困っていない」ということです。 こういうと突き放した冷たいアドバイスに捉えられるかもしれませんが、違います。 人によって「困る」レベルには個人差があるからです。 あなたは相当「困ら」ないと不幸に感じないはずです。 「自己中」と書かれていますが、 困ったこともできる限り自分で解決しようとする性格なのではないでしょうか。 解決できないほど困ったときに、人に頼り、解決する。 そのときに感謝できるというのが、読んだ本に書かれていた人のような生活だと思います。 と、僕が僕自身について感じたことを そのままあなたに当てはめてしまいましたがいかがでしょうか。 >こんな自分が嫌になります 嫌になることはなく、思いやりは、もてるようになるときに、もてるようになる。ということです。 でもやっぱり、一人で解決するより、 人間関係の上で解決したほうが幸せが増えるような気がしています。 一人で解決することは立派なことだと思うのですが、 それだと実は、「幸せ」には遠いのかもしれないとも思うのです。
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- hyouhyou_to
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人間とはそもそも遺伝子レベルで自己中な生き物だと聞いたことがあります。 他者に気遣いができたり、思いやることができるようになれるきっかけとして 他者からの気遣いや思いやりが、ひしひしと身にしみる程の辛い経験を 一度でもする機会があれば自然と「感謝」出来るのではないでしょうか。 そしてその経験から、他人にもう少し関心を持つようになり 相手の心情を想像すること(思いやること)も自然にできるようになるかと。 「感謝されても嬉しさの実感がないから他人を気遣えない」のではなく 忘れられないほどの「感謝・恩」を感じる経験に出会ってないだけかもしれませんね。 他人から感謝されて感じる「嬉しさ」は個人差があるので 気にしなくていいと思います。 >どうしたら思いやりをもてる人になれるのでしょうか? ちゃんと自分で危機感を感じてココで相談なさってる事自体が「思いやり」のひとつだと私は感じています。 本当に思いやりや感謝のかけらも持たない人は、こんな悩みは持たないのです。 大丈夫ですよ^^
- Xiong Qing Ying(@xiongqin)
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あまり神経質に考える必要はないのでは 人の性格と云うのは様々にありますが、誰もが抱いている感情を制御するのは非常に難しいことだと思います。 長い人生経験の中で、感情を受ける方法を徐々に学んで行き、天命を知るところになると思いますが、誰しもが完全な人間なれるなどとは思っていないでしょう。 キリストとか仏教を創りあげた人達でも、感性と非常に多くの経験を得て、様々な教えを創造したものと思います。 犯罪を犯し、また他人に迷惑をかけなければ、あまり、そのことに神経を尖らせる必要は無いように思います。 自己中心だとした、己自信の悟りを得ようとする心があれば充分ではないですか 冷静感が有るようで、それを生かせば良いように思います。 ごめんね、参考になりませんでした。
- toshipee
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まだ若いからじゃないですか?私もそうでしたし、特に何もしなくても、幸せだったら、ありがたいことだらけだと感謝できるようになりましたよ。
- dogday
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ホントの自己中は、お節介なので。 お節介ができないのは、他人のこと以前に、自分のことができてないから。 できない人を助けるのは当然で、できないから助けられるのも当たり前と本人も感じてしまいます。 だから、他人に手助けして貰う前に、自分が助けを求めることが、一番の近道。 他人に頭を下げる。 これを悔しいと感じるなら、ありがとうの意味も理解できます。 そもそも、自分の思い通りに他人を動かすために、他人に頭を下げるのは、全く苦痛を伴わないものです。 形だけ頭を下げるだけで、なんでも叶うのですから安いものです。 気遣いは、すべては自分のため。 他人はあなたができないと、自分が迷惑するから手伝うのです。 恩は借金と同じ。あとから利子つけて回収されます。 恩を売っとかないと、自分が困ったときには誰も助けがいません。相手も困るもの。