- ベストアンサー
情けは人の為ならず
情けは人のためならずとは他人に良いことをすれば巡り巡って自分に帰ってくると言う意味だそうですが何故でしょう?普通に訳せば「人に情けをかけるのはその人の為にならないから止めたほうがいい」見たいな意味になると思うのですが、なぜ上記のような意味になったのでしょう? むしろなぜこの意味はこの言葉になったのでしょう?
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
以前にも同じような質問がありましたが、これは もともとは「情けは人のためならず、巡り巡りて己が身のため」というものです。 それが上の句の「情けは人のためならず」だけが独立して伝わってしまったために 誤解が生じたのだと思います。 ですから文章全部が、ちゃんと伝わっていればこういった誤解は起きなかったと思うんですが...
その他の回答 (8)
- shangyan
- ベストアンサー率41% (117/284)
#6さんが正解。「~ならず」は現代語では「~ではない」であって、「~にならない」ではありません。
- JP002086
- ベストアンサー率34% (1535/4403)
まずはじめに、現在の国語辞典では両方の意味を載せられていたはずです。 すっごく簡単に言いますと、某TV局のお昼に放映されている物と同じことで、「お友達の友達は皆友達だ!」と言う一緒で、他人を助けた等々を行うと人情的に助けてくれた人に対して、直接or間接的に手助け等々をしてくれると人情味(見?)溢れる時代の意味です。 例えば、何かで困っている時に助けてくれた人が、今度は逆に困っていて、今は動けないけれど他の人を伝ってその人を助けたいと言った事は、長い人生の中であるかもしれませんよ。今後、有るか無いかは判りませんけどね。 人は、支えあってこそ人になる みたいな。 現時点では、隣人との接触を好まない人達が多くなってきたと言うのもあるのですが、「文字だけを読むと、こう読み取れる」という事で、2つの意味を書いてある辞典もあったはずです。 大きな書店で探しながら読んでみると良いと思いますよ。 ではでは
- gagambo
- ベストアンサー率41% (136/331)
こんにちは。 「~ならず」は「なる/ならない」の「ならず」ではなく、 「~である」の古典表現「~なり(断定の助動詞)」の否定ではないでしょうか? 肯定文にするなら、「情けは他人(ひと)のためなり」で、 その否定文として、「情けは他人(ひと)のためならず」があるのではと思います。 「情けをかけるのは、他人のためではない。(将来の自分のためだ)」という意味になりますね。 いかがですか?
- Feb12
- ベストアンサー率29% (674/2296)
ひょっとしたら、「情けは人の為に非ず。」など、別な書き方が元々の文だったのかも。 文語では「~にあらず。」を口語では「~ならず。」となるのではないかという想像もできます。 現代文として考えないほうがいいのかも。
- jurarumin
- ベストアンサー率34% (190/544)
問題は、「ず」の意味合いなのです。 「ず」は、打ち消しの意味があります。 安易に訳すれば、 →情けは人のためにならない 打ち消しを「ために」に対して「ならない」となります。 実際の訳は、 →人に対する情けは決して他人だけを益することではない 打ち消しを「人のため」に対して「だけではない」となります。 このコトワザが出来た背景等を知らない人は、 「ために」に対しての打ち消しと思い、 本来の意味から外れた訳をしたのだと思います。
- ranx
- ベストアンサー率24% (357/1463)
きちんと調べたわけではありませんが、 表記自体が間違っているのではないかという気がします。 「ひと」という語は「人=人間」も意味しますが、 「他人」という意味で使われることもあります。 この諺での「ひと」の意味はこちらの方です。 ですので、「情けは他人のためならず」と表記すべき ではないかという気がしますが、自信はありません。 いずれにせよ、「情けをかけることは他人のために しているわけではなく、実は自分のためになっているのだ」 という意味です。
- get2moon
- ベストアンサー率42% (82/192)
詳しく解釈されているサイトを見つけました。 http://www.biwa.ne.jp/~h-ono/nasake.htm これも参照してください。 http://wageiidiom.cocolog-nifty.com/takmat/cat1174698/
- Reffy
- ベストアンサー率32% (1317/4014)
情けは……の最後は続きがあると考えればよいのです。 ~人の為ならず、自分のためにぞあるものだ……とでもいいましょうか。 人に温情をかけること、他人を思いやってよい行いをすれば、それが巡り巡って、いずれ自分が困った状況になったとき、必ずどこからか助けの手が差し伸べられるだろう。 とでもいう意味と考えればよいのではないでしょうか。