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富国強兵について 1、具体的に欧米はどれほどの力を? 2、日本と諸外国との摩擦とは?
歴史について疑問に思ったので質問させていただきます。どちらか一方でも少しでも分かる方は教えてください。よろしくお願いいたします。 1、『日本を欧米に対抗できる国にするため』に富国強兵を掲げたけれど、具体的に欧米はどれほどの力を持っていたのでしょうか? 2、明治時代に明治政府は富国強兵を掲げましたが、それによって諸外国との摩擦は生じたのでしょうか?生じたのであれば、どのようなものだったのでしょうか?
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1・海外の戦力 英国:100個歩兵連隊+30個インド・グルカ連隊 ドイツ:184個歩兵連隊 バイエルン:16個歩兵連隊 ロシア:180個歩兵連隊 などです。 当時の明治31年段階での日本は52個歩兵連隊です。 摩擦が起こるも何も風が吹けば吹き飛ぶような戦力でした。だからロシアは日本を馬鹿にしていたのです。
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- pius
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1.維新政府は薩長が実験を握っていましたが、特に薩摩はイギリスにコテンパンにやられているから、実力は嫌と言うほど知っていた。だからそれにおいつくためにこの政策を掲げた。 ではどのくらいか?とても比較は難しいです。この時代になると、兵力=国力でも、国土の広さ=国力ではありませんから。 ただイギリスが今のアメリカのように、頭一つ抜け出して、仏、米、独が続き、露になる形です。今で言うなら英と米が逆になっているだけです。日本の位置は今の状況でいうと、おそらく東南アジアとかアフリカの国くらいですね。(ポテンシャルはぜんぜん違いますけど) 2.日清戦争までは特にありません。日清戦争後、下関条約締結に対する三国干渉が特に目立つ摩擦の最初ではないでしょうか。
お礼
詳しくご説明くださりありがとうございました。 疑問に思っていた部分が理解できました。 (お礼を言うのが遅れて申し訳ございませんでした。)
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