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お金が救いの条件?
- 質問者は、新興宗教の信者との話し合いで、お金が救いへの条件かどうかについて疑問を持っています。
- 新興宗教の信者は、お金が無い人は前世の業による結果だと主張しています。
- 質問者は、信者の主張に疑問を感じており、金持ちと貧乏人の救い方について考えています。
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質問者が選んだベストアンサー
因果応報と言うならば、奇跡を授けるとか救われるとか、発想がおかしい。 また、儀式にお金が必要というその因果関係も明確ではありません。まあ、 日本人はこう言うのを宗教と思い込む者が多いが、メンヘラ系をターゲットにした ある種のサービス業でしかありません。詐欺同然ですが。 #1の発言に全面的に同意します。
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- hidechan2004
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私も昔新興宗教の勧誘を受けて、ついていったことがあります。 本殿(?)に入るだけでお布施がいって、 なんか運がよくなるようなものを売りつけられそうになりました。 「お金がない」というと、「親や祖父母に借りてでも」って。 そんなばかなって感じですね。 お偉いさんと話をする機会があったのですが、 「あなたがここへ来た意味を考えなさい。運命なのです。」って言っていましたけど、 振り切って帰ったら、二度と、彼らと会うことはなかったですね。 二度と出会わないのも運命だったのでしょう。 若いころで人生に迷ってた頃でしたが、 それでも、さすがにおかしいと感じました。
お礼
ありがとうございます。似た経験をしていますね。私の場合は、5万円で奇跡を起こすと誘われ、金はあるけど払わない、と断わりました。リスクはありますが、若い頃に異質な考え方に触れる事は、決して無駄な経験ではないと思います。
お金があれば救われる。 お金がなければ救わない。 これは商売です。宗教の名をかたる営利会社だということです。 宗教は営利ではありませんからこの新興宗教はいんちきですね。 経済活動では金儲けが目的で、金をたくさん持てばそれで投資して更に儲かります。このサイクルでは貧乏人は永久に救われません。そういった弱者を(精神的にせよ)救うのが宗教の役割だと私は考えます。 基本的に救える人と救えない人を設定するのは差別です。そういう考え方そのものが宗教的ではありませんね。
お礼
ありがとうございます。その起源から見れば、もともと宗教は弱者を救うものではありません。多神教は自然への畏れから発生したものです。一神教は、戒律を守る代わりに民族の繁栄を保障してもらうという神との契約です。いずれも現世利益が目的でした。近代になって科学が圧倒的な現世利益をもたらすようになったとき、宗教は科学の不完全さを批判し、その代わりになり得るのは宗教しかないと主張しました。科学のアンチテーゼとしてのポジションを得る事で、現代を生き延びたのでしょう。弱者を救うという発想は、そのような宗教の衰退から考案された比較的新しい”営業品目”のひとつではないかと思っています。もっともそれが悪い事だとは思っていません。宗教は昔から一種のビジネスであったし、これからもそうであって構わないと思います。功罪のどちらがより大きいかはともかくとして。
- ssssan
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そんな宗教はロクなもんじゃ有りません。 そこの教祖なり幹部なりがカネカネ喚くのは邪教です。 一番良い例が仏等でカルトに指定されてて布教出来ない〇〇か学会です、あの全国にボンボン建屋が有って信者から毎年決まりの様に信者から搾取してて、ドンはその金を世界中にばら撒いて名誉何々が200回以上貰ってるとか自慢してて何だコイツはが一般国民の感情と思います。 真の宗教.教祖は布教などしません神道系とか、以外でも信頼が有ったら布教しなくても会が自然に出来てお布施も浄財の形で自然に集まるしお金持ちがいたらその浄財で自然に建物が出来ます。 だからキリスト教系なんて布教バッカリしてて邪教の見本です、年がら年じゅう布教しててアホかと言いたいです。 イエスキリストの真理を理解してないのが現代のキリスト教信者連中です、プロテスタント.カトリック系共同じです、だから真理を好き勝手に解釈してヤリタイ放題して来た.してるのがキリスト教徒の連中です。
お礼
ありがとうございます。神道は日本人の文化、生活様式に深く関わっているため、一見”宗教臭さ”がありません。ですが活動なしに組織が出来たり、布教せずに信仰が広まることはあり得ません。それを特別悪いこ事は思いませんが、かつてニニギノミコトがオオクニヌシを滅ぼして出雲を神道に「教化」した伝説を挙げるまでもなく、あらゆる宗教には攻撃的な一面があります。言い換えれば、そういう宗教だけが自然淘汰されて生き残ったのではないでしょうか。従って「いい宗教」と「悪い宗教」という二元論は成り立たず、神道からオウムまで、その思想の世界において、グラデーションを付けて連続的に分布するのみではないか、とも思えます。
宗教とは、そういうものなのです。 占い師は、対価を得て見立てを行います。 歌手は、対価を得て歌を歌います。 力士は、対価を得て相撲をとります。 役者は、対価を得て歌舞伎を演じます。 詐欺師は、対価を得て奇術のような技を見せます。 宗教家とは、対価を得て儀式等を行う職業なのです。 彼らの営業力は凄まじく、税制上の優遇措置や、報道機関による無料のPRなど、様々な工夫と努力で、その繁栄を維持しています。 ちなみに、御詠歌は、観音霊場観光連盟のコマーシャルソングだと考えています。
お礼
ありがとうございます。不安産業とよく言われるように、宗教がビジネスである点は同感です。そうであるならば、奇跡をやるから金をくれ、と言う方が潔いと思います。まして、前世の悪行?まで持ち出して、貧窮している人間を誹謗するがごとき品性は、一般人より劣るとも優らぬものと思わずには居られません。
- borg121
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イエスやブッダとは異なり、その怪しげな新興宗教は金儲け主義のまがい物だということです。
お礼
ありがとうございます。金儲け主義だからまがい物だ、とは思っていません。むしろそれこそが本物だろうと思っています。イエスやブッダの方が異端でしょう。もっとも本当に伝えられる通りの人物ならば、ですが。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
じゃぁ、お金持ちは貧乏人を苦しめて、次は貧乏人へ落ちぶれるんですね。 と言いたいなぁ。 本当の金持ちは、自分だけにお金を使わない。他人に施しをしたりして、全体的に良くしようとする人達だ。 救いは気づきだ。色んな困難から、どうすれば良いのか気がつき。それで行動する事が大切だ。貧乏人だからといって、排除する宗教に救いの力など無い。自己満足の世界だ。
お礼
ありがとうございます。実は私は、金持ち優先で貧乏人を救わない宗教があってもいいと思います。最初からそう宣言して活動するのであれば。理想の宗教はおっしゃるとおりかもしれませんが、そこまで期待していませんので。
- yahhon
- ベストアンサー率22% (44/196)
救われる。すなわち救助されるには、無料では誰も動いてくれません。救急車は無料でも担ぎ込まれた病院は有料です。 魂も同じです。救われたいなら大金を寄付したりお布施としてお出しください。救われ方を伝授する施主は、カスミを食って生きていませんから、お金がかかるのです。 という事で、宗教は、慈善事業なんですが、無料ですべてを取り仕切れないのです。浄財の喜捨があって、運営されてるのです。其れがあからさまに要求されるか、要求されなくても自発的に賽銭箱に投げ入れたくなるかの、差です。 信じる者こそ幸い為れ・・・・です。 貴方のお考えは、反対のための反対でしかありません。現世や来世という現象を信じないなら、無関心で居ましょう。敢えて反対するのも大人げないです。 彼らは、寄付することで、心が安らぐのですから、ある意味幸せな人種です。 貴方には、過去現在未来はありますが、前世と来世は、未定です。何方も前世と来世を訪問して記事にした方はお出でじゃないからです。
お礼
ありがとうございます。私の批判が少々極論であるのは承知しています。批判したいは、お金を取ることそのものではありません。清貧を説きながら商業主義に邁進する彼らの偽善性です。さらにもうひとつ、信者の応えからもうかがえるように、典型的な現状追認と反動の思想です。
- aran62
- ベストアンサー率16% (485/2911)
別に極普通のことです。 京都・奈良の寺・イタリアの大きな教会・・・皆その手口で信じさせ金をかすめ取り建立したものです。 知り合いの言葉は金をかすめ取るための都合のいいマニュアルです。
お礼
ありがとうございます。おっしゃるとおり、この「前世が悪いから貧乏人は報われなくても仕方ない」という理屈は、他にも何度か聞きました。身体障害者についても同様の発言をするのを聞いたことがあり、差別を助長する一面もあるようです。
- Saturn5
- ベストアンサー率45% (2270/4952)
イエス・キリスト、空海、マホメット.... あまたの偉大なる宗教家が奇跡をみせたと伝えられます。 しかしながら、誰一人としてお金をもらって奇跡をみせたということは 伝えられていません。 今度、その新興宗教の信者に出会ったらこう言ってほしいです。 「前世に業があったからおまえ達に出会ったのだ」と。
お礼
ありがとうございます。ブッダやイエスを出して批判しましたが、必ずしも彼らの清貧さを見習えと言いたかったのではありません。教祖というものは、美化されるのが当たり前です。実際のところは分かりません。古い教祖の権威を逆手にとってわざと批判に使っただけです。話の構造としては、ブッダやイエスの代わりに池田大作や大川隆法を出しても同じです。
- mojitto
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>みなさんはどうお考えですか? 別にどっちだっていいでしょう。 信じる信じないは自由です。 が、他人に信仰を奨めるのと、それを真に受けて反論するのは、どっちもおかしな人だと思います。
お礼
ありがとうございます。他人に干渉せずに生きていけるのなら、確かにどうでもいいでしょう。しかしながら、家族や恋人が新興宗教に傾倒して社会性を失うような状況になったとき、それに干渉したいと思うのならば、依って立つ価値観が必要となるのではないか、と思っています。
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お礼
ありがとうございます。なるほど因果応報をよしとするのならば、それを変えてはいけないはずですね。なにしろ、それによってもたらされる”救い”は、前世からの正当な”報い”をキャンセルさせてしまうのですから。ところが、金さえ払えばそれを変えてやるというご都合主義。因果応報理論?に従えば、たとえ金をもらわなくても、奇跡を起こしてはいけないはずです。まあ実際にそれを言えば、功徳を積む(=金を払う)事によって因果から開放されるのだ、などと言われそうですが。
補足
金を貰うかどうかが問題なのではなく、人を救う事そのものが問題だ、という観点が面白いです。