- ベストアンサー
無意識の行動
電車でもバスでも、そしてトイレでも、誰もいなければ左側に座るとか、自分の中でパターン化されてる行動がありますが、これはなにを意味してるのでしょう?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
一番楽なものなのではないですか。しかし一番楽な方法が変らないという事はあなたの生活自身が、いわゆるパタンー化している可能性があります。つまりもっと良い方法があるかについて考えなくなっているということです。つまりマンネリ化しているということです。いわば退屈と表裏一体のことのようです。自分のこととしてご質問が大変参考になりました。
その他の回答 (2)
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「>誰もいなければ左側に座る」というのは、恐らく#1さんおっしゃっているように、とっさの場合に利き手を自由にしておきたいからではないかという気がします。 結果的に行動半径を広げていることにもなるでしょう。 しかし、右側にある物など付随的な他の条件によっても異なってくるでしょうから、必ずそうなるということは言えないでしょうね。 また、ある特定の行動が無意識の記憶を基にした判断である場合もあるように思います。 例えば、同じ場所に出る2本の道があるとして、いつも一方の道だけより使わない場合、 当人はすっかり忘れていても、子供の頃ひどく怒られた人の家がもう一方の道に面していたことが要因であった、など。 同様に、幼児期の記憶によって現在の言動に規制がかかる場合は多いように思います。 嫌な体験(本人が思い出せない記憶で)に伴う感覚(視覚・聴覚などのいわゆる五感)に対して、一定の反応を示すなどの場合です。 無意識の行動は、感覚や経験など記憶の累積が反射神経的に現われているものと言えるとは思いますが、よく考えてみると意識的にその行動を選択している場合もあることに気付きます。
いろいろ選べるなかで基本をひとつ決めておけば、どうしようか迷ったりしないで便利だからではないでしょうか? その「基本」も無意識に決めているのでしょうね。からだの特徴(利き手・利き足・利き目とか、いろいろ)から選ばれるのかな。 時々は心理的な原因でなにかを避けたりなどするらしいですが、そんなにどんな行動でも理由があるというわけでもないと思います。
お礼
みなさん、回答ありがとうございました。やはりそれなりの理由がありそうですね。パターン化されない行動にチャレンジしてみるのも新たな自分発見があるかもしれないと思いました。ありがとうございました。