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御家人の「株」について
よく御家人の「株」が売買されていたという記述を眼にしますが、御家人の「株」の実物はどのようなものだったのでしょうか?幕府発行の証書見たいなものだったのでしょうか、あるいは御家人自身が発行する売り渡し証書のようなものだったのでしょうか? ご存知の方がいらしたら教えてください。
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御家人「株」の売買は公式に認められていたわけではなく発覚すれば死罪、あるいは召し放ち(解雇)になりかねませんからそのような文書のようなものはありません。 ただ、御家人の多くは譜代ではなく、一代抱えの形式をとっていましたから、親がやめればその後任で子供が召抱えられるにしても新規採用という形でしたから採用はあまりうさくなく、持参金という形でお金を支払って名目的に養子になって養父のあとに召抱えられる、あるいは欠員となった組の支配頭や組士に根回しをして後任に推薦してもらうといった形で採用されて御家人になることができました。
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- shigure136
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御家人の大半は知行地を持たない蔵米取で、知行地を持つ者でも200石取り程度の小身であった。家格は譜代(ふだい)、二半場(にはんば)、抱席(かかえせき)の3つにわかれる。 譜代は江戸幕府草創の初代家康から四代家綱の時代に将軍家に与力・同心として仕えた経験のある者の子孫. 抱席(抱入(かかえいれ)とも)はそれ以降に新たに御家人身分に登用された者. 二半場はその中間の家格である。 譜代と二半場は、無役(幕府の公職に任ぜられていない状態)であっても俸禄の支給を受け、子に家督を相続させて身分と俸禄を伝えることができたが、抱席は一代限りの奉公で隠居や死去によって御家人身分を失った。 御家人は、小禄であることから江戸時代中期には非常に窮乏し、内職を公然と行って家計を支えることが一般的であった。 上述の抱席身分も、実際には、隠居や死去したときは子などの相続人に相当する近親者が、新規取り立ての名目で身分と俸禄を継承していたため、江戸時代後期になると、富裕な町人や農民が困窮した御家人の名目上の養子の身分を金銭で買い取って、御家人身分を獲得することが広く行われるようになった。売買される御家人身分は御家人株と呼ばれ、家格によって定められた継承することができる役ごとに相場が生まれるほどであったと記されています。 安生定洪(150俵取り)の3男として生まれた男が、根岸家の御家人株を買い取り、根岸鎮衛(ねぎし しずもり)となり、150俵取りの下級御家人だった人間が、根岸家の家督相続と同時に、勘定所中級官吏となり、普請工事などに腕を振るい、浅間山噴火後の復興工事の功績から佐渡奉行に昇格、その後、田沼意次失脚後の松平定信によって勘定奉行に抜擢され、500石取りの旗本になり、更には南町奉行にまでなったのも、ことの始まりは安生家の人間が、根岸家の御家人株を買い取ったことという人もいるとのこと。 ただ、株券のようなものがあったのか否かは記載されてません。 下記URLをご参照ください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「株」という言葉はあくまで名目的なものであり、現代の相撲の「年寄株」のように文書として残されるものではないようですね。養子という形を取れば身分としての御家人株を手に入れることができたようですね。 参考になりました。
- Bird1979
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こんばんは 御家人には、厳密には三種類あります。このうち「御家人株の売買」として登場するのは抱入(かかえいれ 抱席ともいう)という御家人のことですね。 1)譜代 家康から四代家綱までの間に留守居与力・同心などの職を務めたものの子孫 2)二半場 家康から家綱までの四代の間に、西の丸留守居同心などの職を務めたものの子孫 譜代とは異なり3)の抱入と譜代の 中間的存在 3)抱入(抱席) 四代家綱以後に大番与力・同心などに新規召抱えになった者の子孫 このうち「抱入」は一代限りの奉公で、役を引くと同時に御家人の身分も失います。したがって、役を引く際には子や近親者を新規の「抱入」とし召抱えにするのが普通でした。 このように「抱入」(抱席)については、常に「新規召抱え」の形をとりますから、身内に後継者がいない場合等には、その「席」は株として売買することが出来ました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 売買が可能な御家人の株にも制限があるようですね。 参考になりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 文書としての「株」は存在せず、養子という形で御家人の地位を手に入れるわけですね。 参考になりました。