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戦国時代の火縄銃の威力についての質問
戦国時代に火縄銃が復旧してから合戦のあり方が革新 されたと聞きますが、実際に火縄銃の威力はどれほどのものだったのでしょうか?鉄の鎧を着た武者に対して 当時の丸い弾でしかも連発が出来ない銃で革新的効果があったと言うのが疑問に思いましたので、どなたかご存知の方がいたら教えてください。
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戦国期の鎧は馬や牛の皮を漆などを塗り硬くしたものを重ね縫い、嚇し糸で形を整えたもので、胴などを保護する一体型の胴丸(剣道具のような)は胴丸鎧と別な呼称で呼ばれる位でした。 鉄は資源的にも高価でしたからこれを使用する事は主将クラスでなければ使用できなかったのです。 従って兵力の大部分は弓矢を防ぐ程度の鎧でした。 矢はよほど急所に命中しなければ致命傷にならず、数本の矢を受けても行動の自由を失うまでに至らなかった例も多いです。 この為、弓組の心得に、敵が引き絞った矢の先端に近ずくほどの矢頃になるまで近付いてから射るのを心得よという程でした。 鉄砲の威力はこのような鎧を貫通するので比較にならない程のダメージを与えますし、丸い鉛玉は命中の衝撃で変形し大きな傷を与えますから致命傷に近いことになります。 鉄砲の威力を試す為胴丸鎧を的に試射した話は聞いたことがありますが、命中して穴があいた鎧が現存している筈です。 前装式の鉄砲は装填し易いように口径が大きいのが普通で鉛玉も大きくなります。 有効射程は100m程とされますが実際はそれ以上まで飛びますから密集体形で接近して来る敵には誰かに命中する可能性はあります。 自分の身近でバタバタ味方が倒れた場合、前進の意欲を失う事は十分考えられます。 秀吉の朝鮮に討ち入りした時の緒戦の大勝利は鉄砲の威力による事が多かったのですが朝鮮側が鉄砲の製造を学んで対抗してきたので末期は敗北することが多かったようです。 決して世界一の軍隊ではありません。
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- nacam
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6番です。 9番の方は、勘違いされています。 戦国時代の鉄砲は、あくまで補助兵器で、主力は槍です。 それは、同時代の西洋でも同じ事です。 当時の鉄砲では、歩兵の突撃を全く阻止できません。 そのため、前線には槍隊を配置したり、防御施設を作り、歩兵の突撃を防ぐ事が必要でした。 火線が交差し、十字砲火により突撃を阻止できるようになるのは、連発銃が一般に使用されるようになってからです。 突撃の間に、一発から2発しか発射できない鉄砲には、突撃を抑える力がありません。 また、通常鉄砲隊は、2列ないし3列縦隊で使用されます。 それは、火線を厚くするためですが、縦隊を取り、火線を厚くすると、側面が開いてしまうのが欠点で、そのため、縦隊と横隊をいくつにするかが、各軍の悩みになっていました。 火線を交差した陣をひくのは、防御側で、攻撃側には、そんな事はできません。 防御側は、防御拠点として、陣地を作り、そこで待ち構えている間だけ、火線陣地の恩恵を受けます。 この場合、陣地が敵歩兵の突撃を阻止しますので、槍兵は、最小ですみますが、攻撃には、全く役に立たず、鉄砲は、補助兵器として分類されてしまいます。 >フリントロック式と火縄銃(マッチロック式)の違いは点火方式と、肩撃ちと頬撃ちの違いだけなので、同じ前装滑腔式の小銃という意味では、性能に大差はないんです。 9番の方は、専門家としていますが、フリントロック式銃を勘違いしていませんか? 9番の方が言われているのは、ホイールロック式銃のことで、フリントロック式銃と、マッチロック式銃(火縄銃)は、全く別物です。 フリントロック式銃が現れるのは、18世紀に入るころで、戦国時代(16世紀)には、フリントロック式銃は、ありません。 有ったのは、マッチロック式銃とホイールロック式銃(火縄を使わない方式)です。 1600年代後半に、ようやくホイールロック式とフリントロック式の中間ともいえるスナップハンス式銃が現れ、ホイールロック式につながってゆきます。 フリントロック式銃と、バヨネットの出現により、初めて槍兵が消えるのです。 バヨネットの有効性は、現在でも、建物の中での接近戦や、森林地帯、塹壕などでの戦いでは、有効です。 ただし、現在では主兵器とはいえませんが。 西洋においても、火線防御が効果を現し、実用化されるのは、1600年代後半です。 それは、銃の射程が伸びた事により、可能となります。 日本の戦国時代の火縄銃の有効射程が、100m程度では、有効な火線防御陣地はつくれませんでした。 特に大砲の装備がほとんど無い日本においては、火線の考え方が有ったのかさえ疑問です。 私が、横隊3000人と言ったのは、 >百人で撃てば一分間に200発、千人ならば二千発です。 これを肩幅の密集横隊で組めば、数十から数百メートルの幅に対して一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます この発言に対しての反論です。 有効射程100m程度の鉄砲隊を、1000人で撃つとすれば、横隊でしかありえません。 それを皮肉ったのに気付かれないようですね。 日本の戦国時代に、火線陣地や、フリントロック式銃を持ち出す事に、違和感を感じます。
- mii-japan
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#7です 騎馬武者について補足します が 質問者ももっと文献等を調べるようにしてください(思い込みが強いです、適切な文献を少し調べれば解決することが多いように思えます) 1:旗本・与力と言われるのはは質問者の言うところの士官である 騎馬が原則--江戸時代 旗本八万騎 等にあるように 2:旗本・与力に陪臣の槍持・鉄砲持・足軽が従う(時代により異なる)これらは徒歩(かち) 3:騎馬1騎につき徒歩(かち)3~5名が従う 時代によって異なりますが、主要な戦闘は騎馬が行なう (絵巻物などをご覧になってください) 騎馬が討ち取られれば、配下は勝手に行動する場合が多い(戦闘を続行するのは稀) 近代戦の様な歩兵同士の激突は無かったと言う説が有力らしい なお、文献は 漫画と講釈本以外にしてください、それから視点の異なる複数の文献にあたる事をお勧めします
お礼
ありがとうございます。 いろんな専門的文献を調べて見ます。
- caesar-x2
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#6さんの回答は典型的なネットで流布されている誤った俗説なので、説明をくわえたいと思いますが、3千人を一列になれべようという二次元的思考は、そもそも全く荒唐無稽で、隊形戦術も銃火器の特性も理解しない、すっとんきょうなものです。 まず日本に限りませんが、数千名もの人間を人まとまりにして行動させることはありえません。 部隊構造は大きくなれば大きくなるほど統制が困難になるわけで、当然、分割する必要があるわけです。 日本の足軽組にしろ人数は60~120名前後(大名家の軍法によって違う)で、こういうピース(駒)が複数あつまって一つのユニット(部隊)を構成するというのは、古代以来全世界の軍隊で行われていることです。 三千人を一直線という発想自体が間違いです。 また銃火器の特性を考えると、射線は交差させる必要があります。 つまりは一直線よりは”>”の字型やその組み合わせのほうがより効果的なのは明らかです。 つまり小グループの鉄砲隊が相互に斜めで敵に対するならばキルゾーンにおける集弾率は一層高まり、いわゆるクロスファイアー(十字砲火)効果が得られることになるわけで、そういう意味からも分けることが効果的です。 また#7さんがいわれるように音による心理効果を利用する上では、全員が一斉射撃するより、半分が一斉射撃して半分が次に一斉射撃をする”半斉射”のほうがいい場合もあるわけで、三段撃ちの真相はじつはこういうことだという説もあります。 つまり武田軍は装填時間の合間に前進して敵陣を強襲するつもりだったとして、それを防ぐには発砲し続けて間隔を少なくする必要があるわけですが、従来は三段撃ちが交互に三列が並び替えて・・というものでしたが、実際には、各組がイロハぐらいに分かれてその場でイ組の一斉射撃、ロ組の一斉射撃、ハ組の一斉射撃と、”半斉射”を繰り返せばその場で普通に一斉射撃を繰り返すだけで、銃弾が発射される時間は三分の一になるわけで、1分に2発としたら発射する総数は変わらなくとも相手にとっては間隔が短くなったことで一分に6発ずつ撃たれたと同じ心理効果を得られ、三段撃ちの理想的連射が可能になるわけです。 次に「主力武器」という私の表現は当然、歩兵の持つ制式小銃の意味です。 論旨を曲解されているようですが、私が言いたいのは連射できるないことは必ずしも兵器として劣るわけでないということです。 単発でも十分に威力はあり、効果的であるということが言いたいのであって、#6さんの指摘は何の意図があるのかわかりませんが、あらぬ方向にもっていっているようです。 ちなみにどう考えても日露戦争以後の主力兵器が機関銃ってことはないですね・・。 大きな威力を発揮したということと、主力ということには大きな意味の違いありますよ。 主力ていうには余りに数が少ないでしょう。支援火器ですから。 最初に連射(といってもセミオートだけど)可能な制式小銃はアメリカのM1ガーランドです。 突撃銃や短機関銃も支援火器に普通は分類します。 あとフリントロック式と比較?はしてませんよね、私は。 よく読んでください。 しかしフリントロック式と火縄銃(マッチロック式)の違いは点火方式と、肩撃ちと頬撃ちの違いだけなので、同じ前装滑腔式の小銃という意味では、性能に大差はないんです。 実際、火縄銃の全盛期にはすでにフリントロック式も発明(1610年)はされてたんです。 この両者の違いは、火縄を維持しなくていいという利便性だけで、撃ちやすさからいうと”鳥撃ち銃”の異名がある火縄銃のほうがいいわけです。 ちなみにですが日本の火縄銃はポルトガル人がアジアに広めたかなり古いタイプの狩猟銃で、軍事用のものではなかったので、質問者さんのいわれる世界一の軍隊だったかは、装備面からはやや疑問符がつきます。 大砲がほとんどなかったことから考えると、日本の戦国時代の軍事力は現実的にはまだまだです。 鉄砲の普及率は異常に高いわけですが、朝鮮出兵の敗戦を考えると、圧倒的な力があったというほどではないですね。 次に銃剣(バイヨネット)ですが、#6さんがいうような現在では敵の突撃を防ぐなんて目的で使用されることはありません。 現在は主に訓練や士気高揚のためです。 現代では零距離戦闘は起こらないと考えれていますが、フォークランド紛争など稀に銃剣で殺しあうような事態も発することはわかっていますが、セミ・もフルオートも可能なアサルトライフルが標準の現在は戦闘で使用されるのは極めて異例です。 パイク兵や銃剣で騎兵の突撃を防いだのは16世紀と、19世紀前半までのヨーロッパ話です。 それと戦国時代を比べるほうがどうかと思いますが・・。
お礼
ありがとうございます。 物凄く論理的でわかりやすかったです。大部隊を分割して組織的に使う、規模が大きくなる組織ほど大事ですね。朝鮮の戦いは兵器の差だけではなく、大陸の 物資輸送の経験の乏しい日本軍の失敗だったと思います。
- mii-japan
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それぞれの回答が正鵠を射ている部分とやや見当違いの部分があります #1~5は指摘がありますから #6で機関銃を小銃の範疇に入れるのは適切ではありません 回答者が、落としていることで、歴史学者も多くが重視していないことで、一部の研究家から指摘されていることに「馬」があります、それと「火薬の調達」です 日本では 武士は騎馬が基本です 馬は大変臆病な動物で、よほど訓練しなければ、鉄砲の発射音で暴走してしまいます ですから騎馬武者の突撃に大量の鉄砲で迎撃することは、命中して相手に直接打撃を与えことよりも、相手を混乱させる多大の効果があったのだそうです また、火薬の調達には莫大な費用がかかり、戦国武将で火薬を満足に入手できたのは織田信長だけだったそうです いくら優秀なハードがあっても訓練が不充分ならば足手まといとなるだけです、また補給が充分でなければ、単発に終わってしまいます 現在でも、小銃が最も効果を発揮するのは「狙撃」だそうです
お礼
火縄銃の音は確かに大きな音がでますね、これでは 馬はおろか人間も驚くだろうと思います。 それから 日本では 武士は騎馬が基本です ここのところが疑問です。私の認識では戦国時代は 大部分が騎馬よりも徒歩中心で戦いをし、騎馬は士官 クラスが戦いに参加せず戦闘指揮に使っていたと思います。もし士官が戦闘に参加する時は馬を降りて戦っていたのではないでしょうか?一説では武田騎馬隊も江戸時代の創作だとか...違いますか?もし馬中心であれば 鉄砲は思っていたより強い武器だと思います。なにしろ 馬を撃って人間を振り落とせばいいのですから。
- nacam
- ベストアンサー率36% (1238/3398)
戦国時代の火縄銃に対して、攻め込む側は、竹を束ねた物を持ち、弾除けとして利用しました。 最前線の兵士が、弾除けを持ち、その後ろから武装した兵が進みます。 当時の火縄銃の有効射程距離が100メートル程度ですから、火縄銃だけで、十分な殺傷力を持つことはできず、戦いの主力は槍部隊になっていました。 そのため、鉄砲部隊の割合は、3割程度に抑えられていました。(槍兵は、6割程度) これは、西洋でも同じで、同時代(155年代後半)西洋最強を誇ったスペイン軍の陣形テルシオで、銃兵は1/3にしかすぎず、槍兵が2/3を占めています。 銃の進歩とともに銃兵の割合は増え、30年戦争時代には、1:1になり、1700年代では、バヨネットの発明もあり、槍兵の姿は消えます。 5番の方の言われる、フリントロック式小銃は、18世紀の話で、日本の戦国時代にフリントロック式小銃は無く、比較される事に抵抗を感じます。 また、 >第二次世界大戦まで、連射できる小銃は主力兵器ではありませんでした これは、明らかに誤りで、日本軍だけが当てはまり、日露戦争以降、機関銃が主力兵器となっています。 第一次世界大戦など、塹壕と機関銃の戦いとなっています。 また、 >百人で撃てば一分間に200発、千人ならば二千発です。 これを肩幅の密集横隊で組めば、数十から数百メートルの幅に対して一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます。 これも全くありえない話で、鉄砲3千丁を用いたとされる長篠の戦いでも、三千の鉄砲隊を肩幅60cmで一列に並べたとして、1.8Kmにしかすぎません。 これでは簡単に側面に回りこまれてしまいます。 さらに、当時の鉄砲の有効射程距離が100m程度ですから、鎧を着込んでいたとしても、1分程度で到達してしまいます。 当時火薬と弾をセットにした物を使っても、一発ないし2発の発射が限度で、とても敵兵の突撃を阻止できません。 そのために、槍兵が必要になります。 銃だけで敵兵の突撃を阻止できるようになるのは、機関銃の発明以後になります。 (小銃では、現在でも敵の突撃を阻止できないため、バユネットが今でも使われています)
お礼
大変勉強になります。 鉄砲が3割.鎗が6割ということは後1割が弓と刀ですね。
- caesar-x2
- ベストアンサー率46% (251/542)
実のところ日本では実証主義的な考えがまだ根付いていなかったので 戦国時代の戦後で火縄銃の威力について科学的な検証は行われたことはありません。 現代になった過去の検証という意味での実験しかありませんし それは必ずしも有効性の査定ではなくて、単に火縄銃の威力を測定するものでした。 ヨーロッパではナポレオン戦争直前にフリントロック式小銃の軍事的評価を 運用や性能面で検査検証が行われ、戦術面に生かされたのですが 日本ではそれが行われなかったので、有効に活用されていたかどうかも 含めて未知数のところがあります。 特にいわゆる兵法本という江戸期に書かれた書物はいい加減なものが多く 実態を正しく表記してないものがほとんどで 戦国時代では実際の軍法は国家秘密や門外不出の家伝に属することだったので 秘密にされていたという都合で、当時の実情については今でも専門家の議論するところです。 ただし火縄銃に限らず、前装滑腔式の小銃は十分な殺傷力をもっていて そのことに議論の余地はありません。 有効射程内で命中した弾丸は致死性の被害を与えます。 ”丸い弾丸が”と表現されてますが、丸いから弱いというのは誤解です。 鉛の弾丸は人体に命中した瞬間に球面が潰れて、破断面は傷口を広げます。 現在の弾丸は流線型をしていますが、これは施線式(ライフル)に変わったことから ジャイロ効果を生かすために後尾がやや空洞になっていて爆発の瞬間に膨張して 銃口に密着するようになっているためで、弾道を安定させるための工夫ですが 威力の点では流線形も球形も特に変わりはありません。 あと連発できないっていいますが、旧日本軍の制式銃だってポンプアクションですよ。 第二次世界大戦まで、連射できる小銃は主力兵器ではありませんでした。 前装式の小銃は、一分間に2~3発は発射できます。 これは少ないように感じるかもしれませんが 百人で撃てば一分間に200発、千人ならば二千発です。 これを肩幅の密集横隊で組めば、数十から数百メートルの幅に対して 一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます。 これは槍で戦った場合には全くありえない数字であって、 この高い殺傷力が鉄砲が革新的である理由です。 ちなみに刀剣や槍での戦闘では、敵の死傷率は10%に満たない程度です。 白兵戦では敵を殺したかではなく、敵の士気を挫いたがが勝敗の分かれ目になりますが 銃撃では敵を殺すというより致命的結果で敵の士気を挫き敗走に導けるわけです。 あと当世具足やそれ以前の大鎧には、防弾効果はほとんどありません。 あれは刀剣や弓を防ぐための防具です。 有名な織田信長が作らせた西洋式鎧は銃弾をはじけますが60キロ以上ある 重いものであまり現実的ではありませんでした。
お礼
非常に専門的ご解答ありがとうございます。 丸い弾丸が破壊力がなかったと思っていたのは誤解みたいですね、考えるに、よくテレビなんかで見る鉄の甲冑は士官クラスでほとんどの兵は農民でしょうから 軽微な鎧しか着けてなかったかもしれませんね。 ところで、鉄砲がそれだけ革新的破壊力もたらしたとすると当時の日本が世界一の鉄砲生産国だったようですので、当時は世界一の軍隊を要していたと思いますね。
- k99
- ベストアンサー率47% (491/1025)
殺傷能力はあまり変わりません。一人の人間が連射することを考えれば弓の方がメリットが大きいかも知れません。 しかし画期的なことは、火縄銃が使い方さえ学習すればたいした訓練無しに普通の人間に使いこなすことができることです。 ちょっと国が異なりますが、英国の長弓兵は、子供の頃からの鍛練で、骨格が変わるほどでした(弓手ばかり使うので右側が異常に発達する)。 これは極端な例ですが、弓というのはこれほどではないにしろ、日常的なトレーニングがあって初めて実戦使用できるわけです。 当然、そのような人間を短期間に大量育成したり、動員してきた人間をそのレベルに仕立て上げたりすることはちょっとムリ。仮に大量に弓兵を育成しても、召しかかえていれば人件費を食います。 しかし鉄砲はブツさえあれば、弓よりは簡単に使いこなすことが出来、戦時に徴集した人間に教えこめば短期間で実戦に投入できます。 そうすると、戦場に大量に動員できる鉄砲の方が少数精鋭になってしまう弓兵よりも有利になるのです
お礼
ありがとうございます。 今でいう大量生産の考えですね
銃の正しい使い方としては. いつでも発射するように用意して.敵がくるのをひたすら待つ。 敵の腹に銃口をおしつけて(寸法に注意してください刀が届かない距離になります).発射。相手は確実に死にます。この後.脇差を取り出して.殺した相手の首だけを切り取り対象のところに持っていって.領地とか金とかに替えます。 離れて打つ場合には相手が槍の場合です。 当時.私はなんたら天皇の末裔なんたらこうたらのの孫なんたらこうたらの息子なんて.20-30分かけて名乗りをあげて切り合いをはじめます。この名乗りをあげている相手をドカンと殺すという合理的殺人方法で成果をあげたのが火縄銃です。
お礼
なるほど 2~3mまで近くに来た敵に向かって撃てばさすがに死ぬということですね、しかし目の前に刀を振り上げた敵をまえに銃を構えるいうことはかなり度胸がいることではないでしょうか、それにしても戦国時代の戦いでも未だ名乗りをあげてから戦っていたのですか?
- Bird1979
- ベストアンサー率48% (114/236)
こんばんは 火縄銃の有効性については、次の通りです。 有効射程距離 500m 殺傷距離 200m 確実殺傷距離 50m 初期の鉄砲の役割としては、轟音と火炎および巻き起こる黒煙によって敵を威嚇するのが主だったようです。それを、強力な武器として活用したのが信長(長篠合戦)といわれますね。 鎧武者に対しての効果ですが、まあどの程度のものであったのか、顔面や内もも、脇など当たり所が悪ければ・・・、というところでしょうか。 とはいっても、10匁弾(37.5グラム)などが至近距離で当たれば、その衝撃はかなりのものだと思います。また、射手は騎馬武者の馬を狙って落馬させることが多かったのでは、と推測します。 >革新的効果があったと言うのが疑問に思いましたので 確かな記憶ではないのですが、騎馬武者一名が足軽十名(?)に匹敵する戦力であった、といわれます。それに対し、早合(火薬をパックにした物)の利用や、段構えによる連射などにより、勇猛な騎馬武者の突撃・進入を(ある程度)無力化する、という意味では、やはり革新的ではなかったかと思います。なによりも、弓に比べれば、雑兵でも操作に熟練させれば命中率はかなり高かった、ことも大きいですね。 http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/kikaku/hinawa/index2.htm http://www3.omn.ne.jp/~yumetsu/hinawajyuunitokuchou.htm
お礼
ありがとうございます。 確実殺傷距離 50mということは 当時の鉄の鎧は割合と脆弱だったようですね 確かに今に防弾チョツキみたいに強くはないのですね。
- merlionXX
- ベストアンサー率48% (1930/4007)
弓矢でさえ鎧を貫通します。 ましてや火薬の爆発力で飛ぶ弾が貫通しないはずがないでしょう。 さらに、弓矢は習熟するまで長い時間がかかりますが、鉄砲は足軽が比較的簡単に扱えます。 連発でないことは鉄砲足軽を増員することで解消できます。 これが革新でなくてなんでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに今のエアーガンの改造みたいにチャチ ではないのですね。本物の鉄砲は凄い
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お礼
ありがとうございす。 良くわかりました。やはり主将クラスでなければ粗悪 な鎧だったのですね、それならば強い殺傷能力のあるし歴史の教科書にあるとうり、鉄砲の使用は革新的なものだということがわかりました。それならば各大名が大金をはたいて高価な鉄砲を仕入れるということも納得いきます。