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後北条氏の本当のお墓はどこにあるの、あったの?
箱根の早雲寺に北条五代の墓と言うものがありますが、これは同寺が小田原合戦の際秀吉に焼かれてから、江戸時代に復興される際、北条氏の流れを受ける狭山藩北条家により建立されたとか。 では北条早雲や、氏綱、氏康の本当のお墓は、どこに、どのような規模で営まれたのでしょうか。多分秀吉に焼かれた際に破壊されてしまったのでしょうが、何か記録とか残っていないのでしょうか。 今後発掘調査などで発見される可能性、あるいはおおよその場所の見当くらいはついているのでしょうか。かつての広大な早雲寺境内も部分的に発掘調査されたことがあるんじゃないかと思うのですが、その辺情報を教えてください。
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noname#14405
回答No.1
早雲は韮山で死去、それまで真覚寺と呼ばれていた箱根の寺に埋められましたが、そこがいまの早雲寺です。 氏綱は春松院が菩提所といいますが、早雲寺のかつては寺領内にあったという春松院がどこにあったのかよくわかりません。広大な早雲寺境内は箱根湯本全域に及んだそうです。 氏康は大聖院、これもまたかつての早雲寺の広大な寺領の中にあった菩提寺です。春松院も大聖院も湯本のどこかにあったのでしょうが、ちょっといまここではよくわかりません。 氏政と氏照は伝心庵(いまは跡形もなく小田原駅南口に2人の墓所だけある)で、これは場所がわかっていますが、何分、伝承ですので、本当にそこにいるのかは不明です。 余談ですが、前の創価学会会長の北条浩、公明政治連盟の北条雋八参院議員は狭山藩北条家です。
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御礼が遅くなり失礼しました。参考になりました。