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戦争と工事

戦史をみると敵前で比較的短時日に壮大な工事を行い、それにより勝利に結びつけた事例がまま見られます。 例えばシザーのガリア戦記にはガリア侵攻の際ライン河に敵前架橋しその技術に恐怖したガリアの蛮族は戦わずに四散したといいます。 またウエルキンゲトリクスをアレシアに包囲した時、敵前で籠城軍と救援に駆けつける蛮族軍に備える両面防御城壁を築き勝利しました。 詳しくはシザー著「ガリア戦記」参照 日本では後北条氏の小田原城を豊臣秀吉が攻撃の際、小田原城を見下ろす山上に城をきづき、籠城軍の戦意を失わせました。 高松城の水攻めの築堤も有名です。 コンスタンチィノープルを包囲したイスラム軍は金海湾の防備を迂回して人力や牛に引かせ軍艦を山越えさせて金海湾に進出し遂に攻略しました。 この他に同様な例があると思いますがご教示下さい。

みんなの回答

  • ARX7
  • ベストアンサー率15% (36/233)
回答No.6

現代の陸軍の戦闘に置きましても土木工事は重要であり、重要な地域に陣地をすばやく構築すれば戦闘に有利になります。 近代戦では、ほとんどの戦闘がそうですが、有名なのは第二次大戦の硫黄島での陣地構築で敵の進行を遅らせたことなどがあります。

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.5

川中島は謙信の関東出兵の隙を突き、海津城を築いたことにより、武田側が優位を気きづいてます。武田の川越城攻めも穴掘って城壁かをくぐりぬく作戦に降伏したといわれます。

  • phantom1
  • ベストアンサー率24% (184/748)
回答No.4

建造物を造ったのではなく、敵の堅固な建造物を一挙に破壊、突破した例ですが、1973年のヨム・キプール戦争でエジプト軍が行ったバーレブライン突破などはどうでしょうか。この時エジプト軍は、スエズ運河東岸に築かれたイスラエル側の土塁に対して、高圧放水ポンプを用いて工兵による爆破や重機による作業より早く渡河点の土塁撤去に成功し、イスラエル側の予想を上回る速度の渡河を可能にする事により、当初の予想より遥かに少ない損害で橋頭堡の確保に成功しています。地中海寄りの地域を担当した第二軍正面では土質のせいで土地が泥濘化すると言うアクシデントが発生したようですが、結果は概ね成功裏に終わったようです。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.3

私の知る限り、最も巨大な築城戦は、アレキサンダー大王によるテュロス攻城戦です。 テュロス市は、沿岸部の旧市街と、そこの沖合い600mにある新市街からなりたっていました。 防衛軍は、市民兵・海兵併せて約1万。 一方攻めるアレキサンダー大王軍は、陸軍のみの4万7千です。 陸軍のみで、沖合い600mの新市街を攻略する必要がありました。 アレキサンダー大王は、この海を埋め立ててテュロス市を攻略します。 最終的には、降伏したフェニキュアの他の都市から軍船を徴発し、海と陸から攻めますが、攻撃の中心となったのは、幅60m、長さ600m、高さ45mの傾斜路でした。 7ヶ月かけて攻略しています。 その他広大な工事による攻城戦として、ローマによるマサダ攻撃、(高さ400mのマサダを攻略約7ヶ月 新バビロニアによるニネベ攻撃では、2ヶ月かけてチグリス川の流れを変えて攻略しています。

回答No.2

墨俣一夜城の話は有名ですね。 また、三国志の中で、赤壁の戦い前、降伏を迫る曹軍に対し、隠しておいた防御施設の偽装を外し、または陣地を擬装して対抗した例があります。 あとはちょっと違いますが、第1次世界大戦における西部戦線とかですね。長期の塹壕戦。 ですが、徒に資器材、人員等を高速・浪費する築城よりも、堅陣は迂回して敵の隙を突く運動戦を追求する傾向が強いかと思います。

  • osyo3
  • ベストアンサー率56% (35/62)
回答No.1

三成の忍城攻めは土木工事としても有名です。 「1590年に三成が小田原北条戦にも参加した際、小田原の支城である館林城と忍城攻撃を命じられ、川の水を忍城周囲に引き込み水攻めをした。」 その時の土塁が現在も残っているそうです。 ※URLには写真なども紹介されています。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/osh/oshijou.htm

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