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天狗党、誠心方って?
幕末の時期に興味を持ち特に芹沢鴨について調べています。 小説を読むと、芹沢鴨はかなり深く天狗党とかかわりがあったようなのですが、細かい事が全く分かりません。 天狗党、誠心方は歴史の中でどのような働きをしたのでしょうか。 詳しい方教えて下さい。
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- nejiyama
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回答No.1
ここでは天狗党について答えたいと思います。 はじめに作ったのは藤田東湖の子である藤田小四郎です。これが1864年、つくば山において挙兵しました。これは徳川斉昭の遺志を継いだものと考えられます。 さらに彼らは、下野の太平山に行き、豪商や豪農を襲い、天狗党と呼ばれるようになりました。 しかしそのため、天狗党の責任を取り、尊皇攘夷派水戸家老の武田耕雲斎という人はやめさせられてしまうのですが、その後、天狗党の盟主に祭り上げられてしまいます。 天狗党はいる場所がなくなりついに、京の一橋慶喜を頼って西に進軍を始めます。中山道を通り北陸に出て、ついに京と目と鼻の先にある敦賀まで到着しました。ところが、慶喜はこの天狗党を見捨てて討伐の勅許をもらいました。そのため武田耕雲斎は攻撃して来る加賀藩への降伏を余儀なくされてしまいます。 そして最終的には、天狗党は全員斬られてしまいます。この数376人にも及びました。 そのため、水戸藩の尊皇攘夷派は全滅し、ほかの藩から取り残されることになってしまいました。 要するに、この天狗党は、大和の天誅組のような失敗の反乱のひとつという感じでしょう。ただ、前にも書いたとおりこれのおかげで、水戸藩の優秀な人材はすべていなくなってしまったと言うことは大事です。