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★ 英語についてどう思いますか? ★

私は皆さんの英語についての質問をいままで結構答えてきましたが、皆さんは英語についてどう思いますか? 英語は私たちにとってなんなのですか?? 時間がありましたら、どうぞなんなりとコメントを おかきください

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

言葉とは文化だと思います。 生成文法の立場を借りてお話すれば、例えば、アメリカ人を両親に持つ子供でも、産まれたときから日本で日本人の里親に育てられれば日本語を話すようになりますし、逆に日本人を両親に持つ子供でも、アメリカでアメリカ人の里親に育てられれば英語を話すようになります。 しかし人間とDNAの96%(?)を同じにするチンパンジーを日本人やアメリカ人が育てても、日本語や英語を話すようになりませんし、逆にチンパンジーが人間を育てても、その子はチンパンジーの言葉を話すようにはなりません。 つまり、日本語であれ英語であれ、「言葉」と言うのは人間の遺伝子に組み込まれた特性の1つであり、言語習得をする環境によって、母国語が英語になったり日本語なったり変化するだけで、何語を話すのかというのは結果論に過ぎないと言えます。これは食文化など他の文化体系と同じことのように見えます。つまり、ある地域では箸を使い、ある地域ではスプーンやフォークを使い、ある地域では手を使って食事します。 しかし現在のような流動性のある世界では、地理的な概念で食事方法を決めることはあまり効率的ではありません。「おにぎり」はスプーンよりも手で食べるほうが良いですし、ステーキは箸で食べるよりもフォークとナイフの方が食べやすいです。 言葉も同じだと思います。日本に居るから日本語で、アメリカに居るから英語と言うことではなく、その状況に適した言葉というのがあるのではないかと私は感じています。これは日本語で、尊敬語・謙譲語・丁寧語といった敬語や、親しい友達の間で使う言葉などを使い分けているのと同じ様に、言葉も使い分けることが出来たら素晴らしいと思いますし、また、そう感じる人も多いのではないでしょうか。 ロシアのロマノソフという人は次のように言っています。「スペイン語は神と話すのに適し、フランス語は友人と、ドイツ語は敵と、イタリア語は女性と話すのにふさわしい。」当然、これはロマノソフ1人の個人的な意見ですが、でも言わんとするところは何となく分かる気がします。(実際には、この後に「ロシア語はそのどれにも適している」という言葉が続き、ロマノソフの愛国心が現れるのですけどね) どんな言語でも、その言語独特の表現や音楽性がありますから、その美しさに魅了されることが多々あります。話し手と聞き手が同じ言語を理解していれば、意思疎通は何語でも可能ですが、その雰囲気に微妙な温度差が出るような気がします。これは友達言葉と敬語の違いや、箸とフォークの違いみたいなものだと思います。どちらでも目的達成は出来ますが、しかしその過程は全く同じではないはずです。 長くなりましたが、私は英語とは文化である、もしくは言語文化の構成素の1つであると思います。生の魚を食べることを嫌う人々が居るように、英語を好ましく思わない人々も居るでしょうし、大人になって一人暮らしをするようになればコメを主食にしようがパンを主食にしようが個人の自由ですし、相手に合わせて食事内容を変えることもあるでしょう。同様に、日本語でも英語でも使いたいときに使いたいようにすれば良いでしょうし、相手にあわせることもあるのでしょう。

その他の回答 (8)

noname#20688
noname#20688
回答No.9

English is the first foreign language for Japanese. The first means the earliest learnt and also the most important. 私は英語の他にも何ヶ国語か勉強していますが、 英語は compulsoryで 他の外国語はoptativeです。

  • figao2005
  • ベストアンサー率20% (2/10)
回答No.8

自分にとっては、便利なツールの一つ。 今は、世界的にアメリカとイギリスのプレゼンスが高いから、その国の言語をしゃべれれば良いと思っている。実際、世界の色んなところで英語は通じるから便利。勢い、中国がアメリカと肩を並べるころは、私は中国語を勉強していると思う。NOVAの主力商品は中国語になっていると思うし(笑)。民衆は私を含めて、割に流されやすいと思う。

回答No.7

>英語は私たちにとってなんなのですか?? 外国人の思考を米英流に変えてしまう手段。 物事の捉え方、概念、思考、人間間のコミュニケーションを強制的に変更させるもの。

  • vanvanus
  • ベストアンサー率21% (18/85)
回答No.5

皆さんとは違った視点で書きたいと思います。 個人的には、「非常に多くのものを含むもの」だと思っています。 例えば、日本史でも世界史でも構いませんが、文化史というものを学ぶとします。その場合、そこには一つも駄作がないといえましょう。 逆に、なんかの娯楽もの、たとえばゲームなんかだと、たとえそのゲームについてよくわかっていて、しかも上手だとしても、まあ悪いことではないとしても、偉大なことではないでしょう。そんなことは誰でもわかるでしょう。 英語に限らず、語学全般に言えることですが、語学自体の中にはさまざまなものが含まれています。我々は日本語を神社仏閣の研究にも、つまらぬ下ネタにも使います。 要するに「高尚」も「下品」も、「高邁」も「堕落」も、なんでも含んでいます。 だから、語学ができることが即座に高邁を意味したりはしないし、また、即座に堕落を意味したりもしない。 そういう「判断の難しさ」を常に含んでいると思います。

  • stylebb
  • ベストアンサー率41% (7/17)
回答No.4

やはりコミュニケーションの手段でしょう。ただ、工業的に見ても政治的に見ても世界の先端を行く日本の言葉がなぜ日本国内でしか使われず、英語は世界中に広がったか。ということを考えると、英語のほうが簡単だからだと思います。確かに自分で英語を使うようになって、シンプルな表現で感情を伝えることができるし、そういう意味では優れた方法だと思います。

  • walkingdic
  • ベストアンサー率47% (4589/9644)
回答No.3

コミュニケーションに必要な手段。情報取得に欠かせない手段。 無いと仕事が出来ない。 日本でも日本語の話せない人は沢山いて、そういう人たちと仕事をしなければならない。 日本だけでなく海外の人とも仕事をしなければならない。 英語圏の人でなくても英語が分かれば会話は出来る。 論文などは英語が基本。読むのも発表するのも。 最近ではお客として展示会に行っても海外の業者の売り込みで話しは英語。 少なくとも私の場合はそうです。

  • BonDovi
  • ベストアンサー率37% (14/37)
回答No.2

コミュニケ-ション手段の1つ。昔と違い、英語が標準言語として広まっている現在、学ばざるを得ないと思っています。時たま苦痛になるときもあります。 また、ネイティブではないので限界を感じます。英語を勉強すればするほど、日本語もきちんと使えるようになりたいと思う今日この頃です。

noname#13563
noname#13563
回答No.1

コミュニケーションの道具。情報の源。

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