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大名
国持ち大名の中で、序列の様なものはあったのでしょうか?
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まず殿席による違いがありました。大名の殿席は最高は大廊下で、溜ノ間、大広間、帝鑑之間、柳之間、雁之間、菊之間とありました。 また同じ殿席であれば官位による差があり、初叙の官位、極官、極官へいたるまでのステップなどによる序列、また参勤交代時や登城時に挟箱に金紋をつけられるかどうか、先挟箱を出すことができるかどうかといったようなごく些細に見えるような差も重要で、これらのいろいろのことで大名官の序列がありました。 なお、御三卿というのは将軍の家族の扱いであり大名ではありませんでした。
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- Reffy
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回答No.1
徳川幕府であれば親藩→外様まで3段階は有名ですよね、でもその中でさらに……となれば、より将軍に近い立場の人が権力をもつことになったと思いますよ。 例えば御三家(尾張、紀伊、水戸)吉宗の代以降はそこに御三卿(田安、清水、一橋)が続きますが、あとは同じ前将軍を父親に持つとしてもその年齢順とか、母親が正室か側室かとか。 将軍への謁見や儀式の座り方など、あらゆるものに序列はあったと思います。
質問者
お礼
御回答ありがとうございます。 大広間詰めの外様の国持ちの中でもいろいろと家格に応じた序列はあったのでしょうね。
お礼
御回答ありがとうございます。 箱につける家紋なども決まりがあったのですね。