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戦前の進学状況
旧制1高について、1定員、2出身中学、3進路などを知りたいので、教えてください。1高に限らず、戦前の中・高・大各校の受験について(制度とかでなく、数字を)知りたいので、よろしくお願いします。もちろん、参照サイトのご紹介も大歓迎です。
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1.定員 昭和15年には文科200名、理科200名の合計400名です。 3.進路 明確にはわかりませんが、昭和15年の東京帝大の入学者に占める高校出身者は96%です。 京都:92%、東北79%、九州57%、北大4%、阪大75%、名大81%。 北大が低いのは北大予科からの入学者が大半だからでしょう。なお、高校以外の出身者とは、高師、高商、などの専門学校です。 一高ではないのですが、六高(卒業生6,054名)の大正11~昭和20年までの進路は 東京帝大2,609名、京都帝大2,037名、その他帝大736名、官立医大571名、官立商大45名、官立工大46名、文理大3名、公私大名 です。 明治40年のデータですが、入学者の最高・最低点は683-553点で、六高は552-352点ですから、六高の最高得点者でも一高には入れません。これから類推して下さい。 以上。秦郁彦「旧制高校物語」から
お礼
ありがとうございました。これまで、ぼやけたイメージしかなかった旧制高校ですが、おかげで実態がわかってきました。