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表現力
昨今話題になっている“若者の学力低下”。これについては多くの書物から納得がいっているのですが、“若者の表現力低下”となると書物も少ないし、低下につながった要因もコミュニケーション不足しか思いつきません。どうして最近の若者は表現力が低下していると言われているのでしょうか? また、学力と表現力にはどのような違いがあるのでしょうか? 書店に行ってじっくり探す時間がないので、これに関して詳しい方のコメント、若者の表現力低下について書かれた本を知っている方、回答を下さい。
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私は、個人よりも組織の枠組みを重んじる日本の風潮が根強いことで、表現力の低い国民性を作っているのだと思います。 組織のしがらみの中では、自分が生きるために、言いたいことも言えず、黙っておらねばなりません。主張=我侭となり、それは組織を乱す反乱分子です。よって、組織内部では必然的に表現する機会そのものが少ない。学校の授業も、そのような、組織に忠実に属する人材を育成すべく、講義形式の授業が初等教育の間から進められてきました。そのようなしがらみに、表現を奪われてきた大人たちを見て、子どもは表現することの非合理性を見て取り、表現そのものを快く思わなくなってしまったのではないでしょうか。 しかし現代は、組織の枠を超え、社会的な連携を取れる事を重視しなければ、生き残れない社会情勢となっています。とある組織の中で無難に振舞っているだけでは生きて行けなくなってきています。 つまり、いままで組織の中では不合理とされてきた個人の表現が、組織の枠組みを開拓するために、そして、組織の内部と、外部社会を連結するために、必要とされているのです。 組織が組織でありつづけようとする力が、個人達が組織を運営するという合理性に、脅かされているのが現代の社会状況であると思います。 それはつまり、表現せざるものは、社会の一員として認められない、そのような社会になってきているということです。組織に属し、安穏と過ごしているだけでは、組織から零れ落ちてしまうと言うことです。逆に、個人として常に表現による格闘を続けるなら、組織と組織の間を行き来する、自由分子となります。 このような自由分子たちが、組織の内外を入れ替わり立ち代りすることで、組織の内部は常に代謝され、組織は柔軟に機能し続けることができるようになります。すると、組織と言うのは、枠組みではなく、個人と個人が結ばれた、線分の集まり、コミュニケーションの塊であると言う認識に変わってきます。つまり、組織のしがらみ、と思っていた邪魔くさい束縛そのものが、組織であり、その絡まった束縛が、個人が自由分子となることで解け、コミュニケーションとなるのが、表現の可能性がもたらす機能的な組織の姿ではないでしょうか。 ただ、深い表現、浅い表現というように、表現力は、本質的かどうかに重きをおく事ができます。学力は、提示された物事に対し、どれだけのリアクションを取るかで決まってきます。要求されたものに、どれだけ応えるかです。反応が高い、低いで評価されます。 表現力は真逆でありえます。 表現によって、提示するのです。そして、リアクションを、相手に起こさせる。そういう力です。 学問は表現の一種でしょうが、それは考えることであり、考えるよりも、従順な反応を求める支配的な教育を続ける限りは、教育によって表現力などは養われえないでしょう。 教師や地域が、学校の枠組みに縛られている限りは、子どももそれから解放されることは無いと思います。 子どもは、本能的に、保護者に対しては従順だからです。組織に従順な親を見て、従順な子どもが増えるのだと思います。 自ら表現することこそが楽しいものなのだと、大人が知りなおし、それを子どもに伝えてゆくことが大切なのではないでしょうか。 豊かな社会はそこから再開すると考えております。 表現の本質は才覚ではなく、意志にその端を発するから、表現はコミュニケーションなのです。
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- overtone
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「表現力」って 「言語を介したもの」を指されているようですね。 でも、言語以外、身振りや音楽や絵画などでも 表現はできますし、顔の表情や語気でも 感情を表現できます。 学力(学科の知識=テストでの点数)と表現力の相関があるならば それは、学力しか物差しがなく なんでも(表現力も) 学力を関連付けたくなるためと考えます。 例えば 作家は みな 学力があったのか? ピカソは 学力があったのか? となると 疑問自体がナンセンスです。
お礼
「表現力」と一口に言ってもいろいろなことがあるのですね。もっと考えの視野を広げたいと思います。 ありがとうございました!
- luune21
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私(古い若者)には、最近の若者の表現力が低下しているとは思えません。それどころか等比級数的に表現力が増していると思います。 最年少の芥川賞作家の作品、価値の相対化(つまり人それぞれ百花繚乱)によるファッションやライフスタイル、音楽やアニメ等サブカルチャーの多様化、多彩なメール文字、松田聖子以降の少女のコケットリー等々、数え上げればきりがありません。 今、表現力に懸念を表明する人は、なんらかの古典的な絶対価値へのノスタルジーを持っているのではないかと、私は疑っています。 また学力との相関関係(研究したわけではないので素人考え)は、あまりないような気がします。共に高学歴の菊川玲と真鍋かをりでは、表現力にかなり差がありますし、知性の無さそうな若槻なんとかやリンカ?などのように表現力豊かな例もあることが理由です。^^; シナリオによる役割分担であることは理解していますが、それであれば一層、相関関係はないものと思われますね。皆、表現力豊かなわけですから。論文レベルになれば、結果に大きな差がでるとは思いますが、表現「力」には相関がないといえるでしょう。 しかし、表現スキルとなると話は違うかもしれません。 前述の表現力は、学校教育とはあまり関係しない表現力です。芥川賞の二人は例外的な天才というだけかもしれません。 日本は、!ずっと以前から! 表現にはスキルという実用的な側面がある、ということをあまり教えてこなかったと思います。深い思索や情緒は教えてどうなるものでもありません(評価はしてあげるべきですが)。 それよりも、まずは、正しい文法、美しい日本語、説得力を持たせる・感動させる・読ませる等といった技法が基礎教育として大切なのではないでしょうか。 現在、この役割はZ会やベネッセが担っていると思われます。
お礼
なるほど、作家の作品や芸能人を例に挙げてくだっさたのは分かりやすっかたです。 表現力と表現スキル、自分でも考えたいと思います。丁寧な回答ありがとうございました!
- luca_s
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参考図書など、ちょっとご紹介できませんが、 表現力は、本を読まないから低下しているんじゃないでしょうか。 表現力とは、主に文章力の事だと理解しますが、 基本的にアウトプットをしようとすると、インプットが必要です。 語彙や、比喩の用い方、何かを言葉にすることは、自分の持つものの中からしか選択することが出来ないからです。まったく新しい表現を自ら創造することなんて、それこそ天才作家くらいです。 私が知っている作家さんは、原稿を書く前に、本をまず五冊くらい軽く読むそうです。 文章を自由に書ける人の大半は読書好き・活字好きだと思います。
お礼
確かにそうかもしれません。私の友人で本をよく読むひとがいますが、文章力があり、また話も説得力がある(これは、読書が要因か分かりませんが)ように思います。 ありがとうございました!
お礼
私が考えていたものとは違った回答だったので、視野が広がりました。‘組織’について、自分でも考えてみたいと思います。 論理的な回答ありがとうございます!