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なぜ教科書で「日本」ではなく「わが国」と表現するのか
大学の授業や、使用する教科書では、「オゾンだけの消毒はわが国は法的に不可能...」や「昨今のわが国の水道のように...」のように、日本の事を指すのに、「わが国」と表現しています。 先生も板書で「わが国」と書きます。 化学系だけかと思っていたら、建築系でもそういう表現をしているのを見て、一般的なものだと知りました。 特にアカデミックな書物にこういう表記が多いと思うのですが、「日本」ではなく「わが国」とするのはなぜでしょうか。 若干客観性を失うように思えます。 ご存知の方、教えて下さい。
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回答ではありませんが... ご指摘の通り、できるだけ「日本」と記すべきだと思います。 他の方の指摘にある「客観性」も理由の一つですが、小生の最大の論拠は「読者は日本人に限らない」からです。 島国で外国人がそれほど多くない環境を当然と思っているためか、我々はつい、外国人の存在を忘れがちです。 日本語で書いてあるからといって、何も読者は日本人とは限りませんし、著者もできれば世界中の色々な人にも読んでもらいたいはずです。 なのに、自ら読者を限定するような表記をするのは著者の視野が狭いのではないかと、可哀想な気もします。 まして、大学の教科書のような学術書は本来、インタナショナルな著作物ですので、もっと広い読者層を想定しないのは変です。 ただ、英語のように、より広い読者を想定して当然の書物(学術書は別にして)でも、"this country"のような表記は珍しくないので、日本に限った話しではありませんが... なお、文部科学省検定の教科書のように、読者を(一応)日本人に限定している書物の場合には「わが国」でも良いような気がします。それに、もしかすると文科省も「愛国心」を刺激する意味で「わが国」を推奨しているのかも知れません。
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- bomber_c
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一般的に、文章には同じ言葉を繰り返し使うことをよしとしない慣習があるようです。学生のとき、英文の学術論文を書くときでさえも、それをアドバイスされたことがあります。 これは推測ですが、あまりあからさまな表現をすることをよしとせず、なるたけ抽象的に書くのがよいとする考え方が、万国共通であるのかもしれません。
お礼
ご自身の経験からのご意見ありがとうございました。 あまり多角的に考えてなかったのですが、色々な視点から考える必要があるようです。
当事者の一人としての目で見ているので(表現なので)「わが国」と表すのだと思います。 第三者的な目で見れば「日本」と表現しませんか。 我が家では門限が厳しい。 ○○家では門限が厳しい。
お礼
ありがとうございます。 教科書を見ると、当事者という意識だけでなく、周りに引きずられている部分もありのかもしれません。
- erkserve
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すみませんが、私は逆に、 「自分の国なのに『わが国』と呼ばずに、『日本』と呼ぶ人が多いことが嘆かわしい」という嘆きだか、怒りの文章を読んだことがあります。 私もあまり日本に愛着がないので、「日本」と呼んでいます。 (愛着はありませんが、私を「国民」として保護してくれるのはこの国しかないので我慢しています。) 以前は、わが国っていう呼び方が一般的で、学者先生方は年齢も年齢かもしれないし、権威ある昔からの本にそう書いてあるから、なんとなくまねているだけではないですか?
お礼
ありがとうございました。 ご意見にあるように、なんとなくまねているだけ、というのが本当のところかな、と私も思っています。
お礼
大変遅くなりましたが、ありがとうございました。 様々な視点から考える必要があるようです。