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プラトンの正義とは
プラトンの『国家』の中に「正義とは、強いものの利益でしかないので、何が正しいかどうかを客観的に究明するのは無駄だ。」というようなところがありますが、この主張は妥当なのでしょうか?意見を聞かせてください!
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- mmky
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「正義とは、強いものの利益でしかないので、何が正しいかどうかを客観的に究明するのは無駄だ。」というようなところがありますが、この主張は妥当なのでしょうか? ということですが、プラトンの主張「正義は、客観的に究明するのは無駄だ。」という考えかたは、逆に解釈すれば、絶対的正義は存在するが客観的にはわかり得ない、つまり主観の範疇であるといいたかったのではないですかね。例えば、歴史的に、卑近な例では明治の元勲と呼ばれる人たちは当時の江戸幕府から見れば現代の連合赤軍のようなもので、評価は明治維新後100年もたってからでしたよね。同じようなことは2000年前のイエスの受難にも、ローマのシーザが共和政体を叫んで暗殺された例もありましたね。何が正義であったかということは歴史的な評価でしか決まらないという意味でしょうね。つまり、その時代の正義はその時代の人には判断できないので考えるだけ無駄、信じたことを行うことです。といいたかったのではと思います。
- hakobulu
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プラトンは名前を知っているという程度ですが、 正義とは「ある人間にとって正しいと認識できるもの」でしかないでしょう。 正しいと思えば、人を殺す事も正義だと判断されるわけです。 対象となった人間にとって、それが正義であるはずはありません。 故に「絶対的な正義は無い」という事が言えると思います。 絶対的な正義が無い以上、客観的な究明が不可能なのは明らかです。 また、客観性が通用しない事柄に関しては力の関係しか適用されませんから、「正義は強いものの利益でしかない」というのも事実と言えるように思います。 名前は忘れましたが昔の人の言葉で、「力なき正義は弾劾される」というのを覚えていますが、それも似たような趣旨を述べているのでしょう。 自己と他者との境界が限りなく狭められていけば、普遍的正義「らしきもの」が見えてくるのかもしれませんが。
お礼
回答していただいてありがとうございます。「正義」について自分とは異なった考えだったので、参考にさせていただきます。ありがとうございました。
お礼
回答していただいてありがとうございます。逆に解釈する発想や例は良い参考になりました。ありがとうございます。